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第10話 アホの正体

 私と王子、そして兄は王城の応接用の一室に待機していた。


 理由はただひとつ。

 ルーエン枢機卿と面会するためだ。


「リセ! 友達に会いに行きたいんだけど!」

「駄目です」


 友達なんていってるが、どうせ浮気相手のことだろう。

 私の正面に兄と並んでソファに座る王子の要求を、私はきっぱり跳ねのけた。


「ええ……でも、せっかくちょっと食べて元気がもどったからさあ……」

「殿下。不用意に動かないで下さいますか。私の足が砕けてしまいます」


 ちなみに、王子の脱走防止のため、兄の右足と王子の左足は足かせで繋げてある。


 本来であれば婚約者である私が王子の横に座るべきだが……不摂生で多少衰えたといっても戦場の黒獅子の体力は健在。いざ王子が本気を出せば私の力ではどうにもならないので、兄に犠牲になってもらった。



 王子の文句を適当にいなしていると、ノックの音が部屋に飛び込んでくる。


 私が扉を開くと向こうには……頭に小帽子をつけ、足首まである真紅の法衣をまとった、線の細い、老年の男性がいた。


 ルーエン枢機卿だ。


 ドレスの裾をつまみ、一礼をしてみせる。


「……あなたは……王子の婚約者様ですか」


 私の声は王子以外に聞こえない。

 だから、薄く微笑み、卿の言葉にうなずいた。


 卿を部屋に通し、王子の向かいの席を勧める。


 椅子に腰かけた卿に兄が座したまま会釈をすると、卿の肩がびくっと跳ねた。

 ……弱みを握ったというのは、本当らしいわね。


 なお、王子はぼんやりと卿の頭のほうを見ていた。

 どうせ、あの帽子小さいな……とか中身のないことを考えてるんだろう。


「本日はお声がけを頂き、改めてお礼申し上げます」


 兄はにこりと卿に礼を言うと、卿は居心地が悪そうに微笑み、ちらりと王子を見る。

 皴の目立つ目元がピクリと動く。


「わ、私の方こそ……面会に応じて頂き、感謝しております」


 そう述べる卿の瞳は王子にピタリと留められ、少しも動かない。

 まるで、狩人を前にした狐のようだ。


「さて、互いに忙しい身です。本題に入りましょう。『殿下には、呪いがかかっているはずだ』というのは真実ですか」


『呪い』……その言葉が兄から発せられると、表情がぐっと険しくなる。


 それもそのはず。

 魔術によって願いを叶えるのは教会において重い禁忌のひとつ。

 そして、魔術によって願いを叶えた者には……必ず、相応の『呪い』が宿るとされている。


 もし、今にも即位しようという王子が自ら何かを願い、呪いを受けているとなれば……下手を打てば、この国がいくつかに割れてもおかしくはない。



 ルーエン枢機卿はしばらく黙って、王子をじっと見据えていた。覚悟を決めたように視線を外さぬまま――それでも、その奥にはどうしても消しきれない怯えが滲んでいる。

 微動だにしない卿と、ふらふらと頭を揺らす王子があまりにちぐはぐで……その光景は妙に不気味に見えた。



 やがて……卿は諦めたように深くため息をつき、ようやく、口を開く。


「……ええ。間違いはありません。殿下には呪いがかかっている。それも……非常に強く、複雑な呪いが」


 その言葉に、私は息を呑む。


 王子には、呪いがかかっている?

 何故それがわかるの?

 呪いがかかっているとしたら……それはどんな?



 まさか、王子は呪いのせいで昔と変わってしまったの……?



 問いたいことはたくさんある。

 でも、私の声は届かない。


「どうしてそれがわかるのですか?」


 兄の問いに、卿は俯く。


「あまりに呪いが重く強いため……視えてしまうのです。生まれながらの素養を持ち、教会で修練を積んだ、一部の者には」


 呪いが……視える?

 そんな、そんなことが……!


 一気に鼓動が高まる。手のひらが汗ばむ。


 私が声を代償に美貌を得たことは、ばれていないだろうか。

 王子の婚約者が願いの代わりに呪いを受けたと知れれば大騒ぎになる。


 ……いや、落ち着け。

 卿は私を見たとき、何も反応しなかった。

 さきほどの説明からすると呪いが視えるのは恐らく例外的なことなんだろう。


 今は、王子の呪いのことだけ考えよう。



 ルーエン枢機卿は続ける。


「恐れながら……教会の一部の者たちの間では、殿下の戦場での無類の強さは、魔術によるものだと噂されていました」


 クローディア家を出た頃、この国は隣国と戦争状態にあった。

 父王の指揮の元、ラウル王子は若くして戦場に出て、獅子奮迅の戦いぶりをみせたという。


 そしてついたふたつ名が――『戦場の黒獅子』。


「なぜ、卿は王弟派を離れようとされたのですか」

「近頃の王子の呪いの影が深くなり、それにつられるように王子の……お心が乱れるのを拝見し、もしや殿下の呪いは私たちが思っているものと異なるのでは、と……」


 卿は僅かに目線を上げ、何もないはずの王子の背後に目をやる。


「殿下に会って、どうしようと?」

「殿下にかけられた呪いが何か、検めさせて頂きたい」


 ……なるほど。


 ルーエン枢機卿は、王子は強さを魔術師に願い、その代償に呪いでアホになってしまったと考えていた。そして、呪いによって強さを得ただろう王子を軽蔑していた。


 しかし、強さに比例するわけでもなく、加速するようにアホさは増していく。


 願いは呪いと引き換えに得られるもの。

 呪いばかりが際限なく増していくのはおかしい。


 そう考えた卿は、真実を明らかにするためにここに来た、というわけか。



 兄は卿の話にひとつ頷き、手のひらで王子を示す。

 それを許可だととらえた卿は、王子に両手を差し出した。


「殿下、お手を……」

「ん? 手か?」


 枯れ木のような手に、王子の分厚い右手がぽんと乗せられる。

 ルーエン枢機卿は王子の手の甲に自らの額をあて、小声で聖節を唱えた。



 すると、どうしたことだろう。


 ――王子の背後から、炎のような影が突如めらめらと噴き上がったのだ!



 卿が喉の奥で何かを押し殺すような息を漏らす。

 部屋の空気も、汗ばんでしまうほどに一気に熱くなる。


 あまりに恐ろしげな光景に、私は思わず身を引いた。

 王子の隣に座る兄も、わずかに表情を強ばらせ、揺らめく黒い影をじっと見つめている。


「ん? なんだこれ? すごいな!」


 一方、王子だけはのんきな顔でその影を見上げ……あっけらかんと笑った。






 ――どれくらいの時間が経っただろう。


 ルーエン枢機卿が王子の手から額を離した瞬間、幻のようだった黒炎は背後から消え、部屋の温度が一気に下がった。ぞくりと鳥肌が立つ。



「呪いの正体は、わかったのですか」


 間髪入れず、兄が尋ねる。

 卿は重々しく頷き……一拍の間をおいて、それに応えた。




「……殿下には、王座に近づけば近づくほど、王に相応しくなくなる呪いがかかっております」




 王座に近づけば近づくほど、王に相応しくなくなる……?



 つまりそれって……

 王子は『王座に近づけば近づくほど、アホになる』ってこと……?!

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