第八十二話 惨事の後
ゴルディアの冒険者ギルドから応援に来た、ナットウ・ヒキワリ(27)。セクシーな受け付け嬢だ。
テキパキと仕事をこなしている彼女の中身は『ショウグン・トクガワ』……隠蔽魔法で美女に変身したギルマスである。
ナットウという名前は俺がつけた。ギルマスがヒノモトの納豆っぽい食べ物を馬鹿にしていたからだ。
ギルマスはカマロ一家のアジトに捕えられていた奴隷の犯罪歴を照会した。奴隷たちには隠蔽魔法はかかっておらず、速やかに解放と拘束を判断していく。
ひと通りの判別が終わったところで、ギルマスと話をする事になった。俺とタルトだけではない。『漆黒』と『紅蓮の牙』の全員が王都跡地に集められた。
「まずは、アラミナの暴動の鎮圧、そしてカマロ一家の制圧と奴隷解放に関して、ギルドマスターとして感謝をする」
「ショウグン殿もご無事でなにより」タルトが言った。
「エイタ殿のおかげだよ」ギルマスはわざとらしく褒め称える。
「でも、結局は手がかりなしか……」
タルトの言葉に一同が口をつぐんた。これだけの惨事を巻き起こして、手がかり無しなのだ。
「タルトさま、お言葉ですが、カマロ一家を取り締まっただけでも充分成果と言えます。少なくとも、アラミナの街は、違法奴隷の温床としての機能を失いました」ゴレミが言った。
「確かにそうか。問題はひとつ解決したな」
「タルト、お前はどうするべきだと思う?」
「方法がない。証拠の無い教会を潰すか、疑わしいというだけでマリィさんを探すか……そもそも、マリィさん自体が口止めの為に消されている可能性もある」
ギルマス曰く、濃厚だ……もちろん、偽のマリィさんの話ではあるが……
「野盗の中に詳細を知る者はいると思うか?」
「いないな。ボスのカマロですら、奴隷商人の名前しか出さなかった」
「その奴隷商人は?」
「既に死んでいる」
タルトは言い捨てる。まさか殺したのは……と、疑いたくもなった。
「打てる手の最善は何だと思う?」
「奴隷解放だけを考えれば、証拠など気にせずに教会とゴルディアの貴族を殲滅する事だ。しかしそれは到底現実的とは言えない。総合的に考えれば、全てを忘れて平穏に暮らすのがベストだな」
「隷属魔法を使えるのは、本当にマリィさんだけなのか?」
「ああ、間違いない。俺の知る限りでは……だがな」
「……くそっ」ギルマスが言った。
「ギルマス?」
少し芝居がかった言い回しに聞こえた。続く言葉を聞いて、それがタルトに向けた芝居である事がわかった。
「ギルド責任者として、マリィ・トクガワを指名手配にする。だが、あくまでも重要参考人だ」
「……ショウグン殿、あなたには出来ませんよ」タルトが言った。
「何を言う! いくら家族だって!」
「ギルマス、あなたは行方不明だし、今は美人受け付け嬢のナットウさんです」
「くっ……」
苦虫を噛み潰すギルマスに、タルトは言った。
「一筆書いてくれ、筆跡と共に魔力で印も残す。ショウグン・トクガワからの声明文をタルト・ナービスの名でギルドに提出する」
現存する人間国の六大国、全ての冒険者ギルドにマリィ・トクガワの指名手配依頼が出される事になった。違法奴隷の売買に関する重要参考人である。
マリィ・トクガワが『大聖女』と呼ばれる存在であることは周知の事実だ。聖統主教会に纏わる黒い噂……それとマリィさんが結び付けられるのは、ギルマスとしても苦渋の決断だろう。
この問題が解決するまで、ギルマスは本物のマリィさんを隠蔽魔法で匿い続けるのだろうか? そして、ギルマス自身のことも……
☆★☆★☆★
一人になりたいと言うギルマスを置いて、俺たちは崩壊したアラミナの街に戻った。
火は消えた。冒険者に化けた盗賊も消えた。まともだった冒険者も消えた。俺のスキルは、倒壊した建物を修復する事が出来る。
それをするべきなのだろうか? 全てのものには終わりがある。王都が消滅し、週に一度、スタンピードも起こっている……そんなアラミナの街だ。固執せずに新たな居住地を求めるべきなのではないか?
俺は『漆黒の牙』に宿屋での出来事を伝えて、宿屋に向かう事にした。そこには誰も居なかった。救出した女将のリーナさんの姿も、エルヴィンさんの亡骸もない。
血溜まりは黒く濁り、床にへばりついていた。
それぞれが祈りを捧げる。
「エイタ、卵かけご飯が食べたい」そう言い出したのはタルトだった。そして、八人分の金貨10枚を俺に握らせた。
「タルト……」
「お前から、女将に渡しておいてくれ」
「わかった」
俺は勝手に厨房に入る。たった一度の料理修行だ。勝手知ったる訳でもない……それなのに、溢れ出る感情を抑えるのに必死だった。
ご飯を炊こうと窯を持った。窯の中には炊き上がった米があった。蓋を開けて匂いを嗅ぐ。傷んではいないようだ。
この米は卵かけご飯の為のものだ。ダンジョンから帰った俺たちに食べさせる為のものだ。ギルマスの避難勧告よりも、優先させたエルヴィンさんの仕事だ。馬鹿だ……本当に馬鹿だ……だからこそ、この米は俺たちが食べなければならないものだ。
「サーシャ、生活魔法で米を温められるか?」
「はい。出来ます」
サーシャがご飯を温めた。リンガーが食器を用意して、アイラが皿によそった。ラブランがそれをテーブルへと運ぶ。
「エイタさま、お願いがあります」ゴレミが言った。
「どうした?」
「私は食事が出来ません。ですが、せめて形だけでも卵かけご飯を食べたいのです。喉の奥に食事を溜められる場所を作っては頂けませんか?」
「ああ……《創造》」
ゴレミの身体に、食料補完場所を作った。マジックバックの応用のようなもので、中に入ったものは腐らない。
全員が、卵を割ってご飯にかける。リュウユを回しかけてご飯をすする。誰も、何も喋らない……ズズッという音だけが響いた。
そこに、リーナさんが戻って来た。
勝手に宿に入って、勝手に厨房を使い、勝手に涙している。そんな俺たちの前で、彼女は泣き崩れた。
「エイタさん……」
リーナさんは俺に近づいて、力尽きるように膝をついて、そのまま頭を下げた。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
アラミナが崩壊したあの日……転移魔法を使える冒険者である俺は、エルヴィンさんを救うことが出来なかった。その事をリーナさんに責められたのだ。
リーナさんは、俺を責めるべきでは無かったと思っているのだろう。しかし俺は、原因を作ったのは俺たちだと思っている。
「英太さん……ちょっと良いですか?」サーシャが立ち上がった。口元にはご飯粒がついている。
「どうした?」
「今の私には出来ないかもしれませんが、やらせて欲しい事があるんです」
サーシャの瞳に、濃い紫が宿った。
「祖母が亡くなったエルフにしていた事です。今思うと……安眠魔法だったのかもしれません」
サーシャはリーナさんを背後から抱きしめた。そして「《R.I.P》」と唱える。
すると……光の粒が湧き上がり……リーナさんの周囲を取り囲んだ……その神々しさに、俺たちは言葉を失う。
リーナさんは立ち上がり、光の粒子に笑顔を向けた。
「うん……馬鹿……ありがとう……ありがとう……私もだよ……」
リーナさんは光の粒にそう話しかけた。誰しもが気付いただろう……光の粒子はエルヴィンさんだ。安らかに眠れ……R.I.Pの効果で思い残しを消化しているのだ……
やがて、光の粒子は消えていった。しかし俺には、リーナさんの唇に僅かに粒子が残って見えた。最後の最後までチュッチュしやがって……
俺たちは、一粒残さず卵かけご飯をたいらげた。




