第六十話 ヒノモト
「おう、いいタイミングだな」
俺は姿を元に戻してからギルマスの家に転移した。いきなり部屋の中に入ってやったのだが、もうギルマスは驚いたフリもしてくれない。
「すぐに向かいますか? あれ、奥さんと娘さんは?」
「ああ、実家に帰ってる」
「浮気でもしたんですか?」
「ばーか! 俺は家族を愛してるよ!」
ギルマスはテーブルにシャツを引っ掛けて、右腕の袖を捲った。前腕にマリィ、マリヤと書かれたタトゥーが彫られている。
「リアクションしにくいです」
「ふん、言ってろ! 少しでも家族の危険を回避したかったんだよ」
「ああ、じゃあ……まあ、ご一緒にと思ってたんですが、仕方ないですね」
「ん? いや、迎えにならすぐ行けるぞ。俺の転移魔法で実家に行って、ニイチャンの転移魔法で仮住まいまで行けばいい」
「なるほど……その前に、さっきギルマスと一緒に……」
ギルマスは指で黙れ、と促した。
そうだ……前回ここに来た時は盗聴されていたんだ……
「先に迎えに行こうぜ……あいつの実家はエメラスなんだぜ……人間国最大の歓楽街で、人間国で唯一売春が合法な国なんだ! ……観光させてやれないのが残念だぜ」
ギルマスは豪快に言い放った。芝居がかった言い方は、俺の観光欲を刺激した。
「いやおれはそんなざんねんだなんておもってないですよ」
なんだか感情の欠落した言い回しになった。演じるって難しい。
「全ての依頼が完了したら、俺が案内してやる。安心しろ……嬢ちゃんたちには内緒にしてやるから……さ、いくぞ!!」
ギルマスは俺の手を取って、転移魔法を唱えた。
視界が切り替わると、そこは中世ヨーロッパとは全く別の街だった。目の前には、瓦屋根の家々が連なり、遠くには山々が霞んで見える。
「歓楽街……っぽくないですね」
「おう、ここが『ヒノモト』だ」
「ヒノモト? ここが……」
周りを見渡す……確かに黒髪の人しかいない。道行く人々の顔立ちや服装に、日本を思わせる特徴が色濃く感じられる。ヒノモトで間違い無さそうだ。
「あれ、別の街の名前言ってましたよね?」
「嘘に決まってんだろ! ブラフくらい張るわ! 野盗共に他国まで遠征する予算はねえと思うが、念のためだよ! 歓楽街なら身銭切って手を挙げるバカもいるかと思ってな!」
「確かにそうですね。しかし……ここがヒノモト」
「その表情を見るからに、ヒノモト出身ってのも嘘みたいだな」
「ははは……お見通しでしょう?」
「いや、実はニイチャンには『鬼眼』が通じなかったんだよ」
鬼眼は……嘘を見抜く目……ギルマスがそう言った瞬間、俺は内心で少し身構えた。
「え、散々尋問したでしょ?」
「鬼眼が無くても判断くらい出来る。俺の人を見る目で信用してたまでさ」
「そうやって、俺の信用得ようとしてるんでしょ?」
「いや、本音さ。信用を得られたらラッキーとは思っているがな」
「じゃあ幸運ですね」
「ほー、そうか……じゃあ、もっと腹割って話さないとな……実は俺もヒノモト出身じゃないんだ」
「……だろうと思ってましたよ」
「お互いさまだな! そういや、なんでチンピラ冒険者と仲良く飲んでたんだ?」
「そりゃ、情報収集ですよ。おかげさまで、色々と聞き出せました……そちらこそ、A級冒険者と仲良さそうで」
「『紅蓮の牙』な……A級はリーダーのタルトだけなんだが、奴らの実力は本物だ……そのタルトがお前を鑑定していたんだよ。お前、前科持ちなのか?」
やっぱりね。って事は、隠蔽したステータスしか見られていないということか。
「あ、いや……チンピラ冒険者の設定で、ステータスに前科を書いてみたんです」
「無駄にこだわりやがって」
「世界で50人しかいない万能鑑定スキル持ちが、アラミナに3人も集まってるんですね」
「まあ、異常事態だわな。国が無くなった時からずっと、じわじわと危険度が増してる。ってかな……タルトはお前のステータスを見て、あの場で斬りかかりそうになってたぞ」
危なかった……あの時のタルトの鋭い視線を思い出し、背筋が少し寒くなった。
「A級冒険者って……俺より強いんですか?」
「言うねぇ。まあ、俺が鑑定出来る範囲の数値なら、ニイチャンと同格で、レミ嬢には劣るって感じだな……だが、アンタらも『紅蓮の牙』も、その範囲にねえだろうさ」
いや、俺たちは開示した通りだが……? まあ、現在進行形でゴレミはレベルアップをしている筈だが……
『紅蓮の牙』もダンジョンを攻略するのだろう。関わらないって訳にはいかないだろうな……
ギルマスは一人でマリィさんとマリヤちゃんの元へと転移して行った。そこは俺にも隠したいのだという。俺には見せられない何かがあるのだろうかと、少しだけ好奇心が湧いた。
数分で戻るというから、俺はヒノモトの街並みを眺めていた。木造の家屋や石畳の道が広がり、遠くには鳥居のようなものまで見える。こういう手持ち無沙汰な時間にスマホを眺めないのって、なんかいいな。
ヒノモトは俺が想像していたものとは少し違った。日本ベースであるのは間違いない。中世ヨーロッパの世界観だから、戦国時代……江戸時代的な雰囲気かと思ったが……なんか、時代がごちゃ混ぜなのだ。
脇差しを携えた江戸時代っぽい服装の人もいるが、昭和初期っぽい服装の人もいる。かと言えば、平成顔グロギャルまでいる。街行く人々の多様さに、俺は思わず目を丸くした。
街並みも同様だった。瓦屋根の伝統的な家屋の隣に、モダンな装飾の建物が混在している。ひとつ違いがあるなら、家電や車が存在しない事。そこは中世……江戸時代基準なのだろうか?
そうしているうちに、ギルマスファミリーが転移して来た。空間が一瞬歪み、三人の姿が現れる。
「エイタさん、こんばんわ!」マリヤちゃんは礼儀正しい。彼女の明るい声に、俺は思わず微笑んだ。
「エイタさん、本日はご招待ありがとうございます」それはマリィさんも同様だ。落ち着いた口調はとても心地よい。
「良いって事よ! いつも世話してんのは俺の方だ!」
俺のセリフを奪ったギルマスは、俺に紙袋を握らせてくる。ずっしりとした重さが手に伝わった。
「ヒノモト特産の腐った豆と腐った豆汁の調味料だ。俺は大嫌いだが、ニイチャンは好きかもしれねえと思ってな」
中には藁に包まれた何かと、小瓶に入った黒い液体が入っていた。匂いでわかった。藁の中身は納豆。小瓶の液体をひと舐めすると……それは醤油っぽいものだった。懐かしい香りに、俺の心が一気に躍った。
俺は思わずギルマスを抱きしめた。衝動的に体が動いてしまったのだ。
「ギルマス……いや、ショウグン様!! この汁の名前を教えてくださいっ!!」
「いや……なあ、マリィ……なんだっけ?」
「あら……なんでしたっけ?」
思い出せないでいる大人たちを尻目に、マリヤちゃんがこう言った。
「リュウユだよ」
「ああ、リュウユだ! そうだそうだ!」
運命を感じてしまった。これは是非とも製造方法を『死の大地』に持ち帰らなければならない。
「おいおい、ちょっとした冗談のつもりだったのに……本当にこの腐った豆が好きなのかよ? やっぱりヒノモトの人間なのか?」
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ギルマスファミリーと一緒に我が小屋へと戻る。果たしてゴレミたちはどれだけの魔物を狩る事が出来たのか、大人しい魔獣を連れ帰る事が出来たのか? 俺は少しドキドキしながらその結果を想像した。
「《転移魔法》」
呪文を唱えた瞬間に、しまった!と気付いた。小屋の外には魔獣や魔物の死体があるだろう。ギルマスはともかく、家族にそれを見せるのは良くない! 俺は慌てて手を伸ばしたが、時すでに遅しである。小屋の前には魔物の死体が山のようにある。
沢山……いや、沢山どころの話じゃないぞ……え? この間より多い? え、嘘……怖い……ゴレミったら、この短時間で何匹倒したの? 目の前に広がる血と肉の山に、俺は思わず息を呑んだ。




