第百九十六話 不可侵条約の破棄
「おいルーシ、ふざけるのも大概にしな」
まーくん渾身の隠蔽魔法は、アンカルディアの前には全くの無意味だったようだ。
「違います! 私はまーくんではありません! サーシャです!」
必死の抵抗を見せるまーくんだったが、根本が間違っている。
アンカルディアを騙そうとするのなら、まーくんは『サーシャ』ではなく『サーシャの姿に変身したタルト』のフリをしなければならない。
「サーシャはここにいるよ」
アンカルディアの視線の先で、少年エルフがけたけたと笑っていた。
「この少年がサーシャなのか?」
「はい! そうです!」
「元魔王なら、それくらいわかるだろ? 引退したからって、もうろくし過ぎじゃないかい?」
「無理もないです。私、隠蔽魔法は得意ですから!」
「うむ、サーシャの隠蔽魔法は特別だ!」
この状況でサーシャの笑顔を引き出せたのなら、まーくんの変身にも意味はあったと思う。
アンカルディアは特大のため息を吐いて、力なく微笑んだ。
「仲が良くて宜しいね。それで、ルーシがサーシャの影武者になるつもりなのかい?」
「そのつもりだが、なんで儂だとわかったんだ?」
「仕草が違うさね」
「サーシャの仕草か……」
「いや、それ以前の問題だよ。タルトも男丸出しだったけど、ルーシはジジイ丸出しさね」
……確かに。ロリ魔女のアンカルディアもババア丸出しだ。
「英太、何か言いたそうだね」
「いえ、何もありません」
ロリ魔女ババア……心を読む魔法でも使ってるのか? アンカルディアなら冗談抜きで使えそうだから怖い。
「うーん。まぁ、タルトでもルーシでも変わらないさね。どっちでも良いよ。但し、交渉は私が進めるから、私が良いって言うまで口出し無用だよ」
「わかった」
「ったく、この色馬鹿は仕方ないね」
アンカルディアは呆れたように言った。きっと俺の知らない魔王デスルーシ恋愛譚を知っているのだろう。
それこそ、魔王デスルーシとエルフ王国の王女様が恋に落ちた経緯も……
「デスタルト、エルフ王国は儂に任せて、魔王国に戻るんだ」
「それは聞けません。幹部たちには5日で戻ると伝えてありますので、少なくともあと4日は滞在させて貰います」
「デスタルト! 儂の言うことが聞けぬのか!」
「これだけは聞けません!」
タルトはまーくんを前にしても全く折れない。魔王不在は魔王国にとってイレギュラー中のイレギュラーだ。
それだけサーシャの事が心配なのだろう。
それはまーくんも同様だろうな。
「ストップ! 親子喧嘩は見るに耐えないよ。タルト、ルーシが代わりをするなら、あんたは不要だよ」
「アンカルディアの作戦に不要なら、こちらで動かせて貰います! なぁ、英太!」
俺を巻き込むなよ……まぁ、自ずとそうなるか。
「それは邪魔なんだよね……まぁそうさね、丁度良いから、アンタは人間国に宣戦布告して来な」
「……は? 今ですか?」
「魔王国は各国との不可侵条約を破棄するんだったろ? なら今が一番のタイミングさね。魔王国での聖統主教会の暴挙を人間国に知らしめるんだよ。英太、映像は残ってるんだろう?」
「それはそうですけど」
「魔王国に続いてエルフ王国でも事を起こそうとしている……教会への反発心を煽るだけ煽るんだよ。エルフ王国での立ち回りが楽になるさね」
「……俺の一存では決められない。魔王国の幹部には伝える必要がある」
「だったら私が送り届けてやるよ」
「父上のご意見をお聞かせください」
「決めるのはデスタルトだ。儂は口を出さない」
まーくんは魔王国の相談役の筈だが、どうやら相談に乗るつもりは無いらしい。
「ほいさ」
アンカルディアはタルトに魔力を飛ばした。
「……何ですか?」
「精神干渉の耐性を上げといたよ。タルトは元々耐性が強いし、英太の指輪も付けてるからね。隷属魔法も効果なしさね」
「まーくん……少しは息子に助言してやったらどうですか?」
「……ふむ。儂ならば、そもそも不可侵条約の破棄という選択は取らないのだが……ここは聖統主教会の壊滅だけを考えるべきだと思う」
「聖統主教会の壊滅ですか?」
「今後の魔王国、人間国、エルフ王国……それ以外の全ての国……そこにどれだけの犠牲が生じるとしても、ここで根絶やしにせねばならん……一人の兵も死なさずにそれを成し得ようなどとは考えるな」
「一人の兵も死なさずに統治してきた父上が言いますか?」
「儂は不可侵条約の内側に居たからな。魔王国の内部を統治して来たまでだ。儂の統治は正しかった。デスタルトの選択も正しい。儂の意見など聞かずに、その選択のまま突き進むが良い」
「ほいさ、ほーいさ」
アンカルディアは俺とサーシャにも精神干渉耐性を上げる魔法をかけたようだ。
「古い世代の負の遺産は私とこのジジイでやっておくさね。あんた達はこの先の世界の為に動きなさい」
「デスタルト、英太、サーシャ……任せたぞ」
そう言うと、まーくんはエルフ王国に張られた結界を一部無効化した。
デスタルトは俺とサーシャの手を取って、転移魔法を展開する。
転移先はフレイマ跡地だった。デベロ・ドラゴと繋がる場所の目標に作った竜の像には、もはや懐かしさも感じる。
「……俺たちも一緒に行動しろってのは意外だったな」
アンカルディアとまーくんが二人で動くのならば、俺とサーシャがエルフ王国に居る理由はない……のか?
「サーシャ、アンカルディアは何を企んでいるんだ?」
「……言えません」
知らないではなく、言えない……か。俺が魔王国でむすばされた『血の契約』でも結んでいるのだろうか……
「英太、サーシャ、作戦を練るぞ」
デスタルトを中心に、聖統主教会断罪作戦を計画する事となった。