第百八十七話 サーシャの命
アドちゃんには気難しいところがあるとは思っておったが、ここまでの状態になるのは初めてじゃった。
「だよっ! だよっ! だよーーー!」
アドちゃんが咆哮すると同時に、木々がざわめき、大地が振動を始めた。
揺れは次第に大きくなってゆく……これは、地震という現象であっただろうか? その迫力に、皆が気圧されておった。この圧力に耐えられるのは、妾とルーフくらいのものじゃろう。
「うるさいっ! だよじゃなく、ちゃんと話しなさい!」
いや、もう一人おった。
アドちゃんを治めたのはマリヤじゃった。思いっきり顔面を殴って気絶させてしまった。
何とも末恐ろしい5歳児じゃ。
マリヤのお陰で場は落ち着いたが、母のマリィに暴力で解決したことを咎められ、家に連行されてしまった。
「グゥイン、一体何があったんだ?」
ギルマスの表情は真剣そのものだった。ただの癇癪ではない……明らかな異常事態だと認識しておるようじゃ。
「英太たちが帰って来なかったからであろうな」
「『英太たち』じゃなく、サーシャ嬢が帰って来なかったからだろうが……こんな風になるか?」
「うむ……妾も驚いた。この手紙を見せた途端にアレじゃ……」
妾は、英太が宛てたであろう手紙を差し出した。皆が手紙を覗き込む。
【グゥインへ
少し遅くなる。
サーシャはエルフ王国に戻った。
移民を沢山連れて行く。
楽しみに待ってて。 英太】
「エルフ王国に戻ったって事は、もうデベロ・ドラゴに帰って来ないって事なのか?」
「むぅ……エルフ王国の女王になったのであれば、今まで通りとはいかぬであろうな」
「サーシャはグゥインに別れを告げずに帰るような奴ではない!」
妾とギルマスの会話に割り込んだのはルーフじゃった。アドちゃんに負けず劣らずのサーシャ狂いではあるが、此奴の方が若干常識的ではある。
「そうじゃの……サーシャは妾に魔素を届けるのが最優先と言っておったしな」
「って事は、止むに止まれぬ事情って事か……」
「エルフ王国に残した家族が病気になったとか?」
スライムのアイラは平気で不吉なことを口にする。
「否、サーシャの血縁は祖母のダーリャだけだった。今は天涯孤独の筈だ!」
ルーフは変なことを言いよる。妾たちがおるのに、どうしてサーシャが孤独なのじゃ?
「サーシャ嬢がエルフ王国に向かった事が原因で間違い無いだろう」
「置いていかれたのが寂しかったって事?」
単純じゃが、リンガーの発言が最も腑に落ちる。
「それならいつも通りだが、それにしては反応が異常過ぎるな」
ギルマスは首を捻った。
「何にせよ、此奴は妾が預かる事にする。皆には謝りに行かせる故、許しては貰えぬか?」
皆は頷いてくれた。妾はアドちゃんを掴んで第五区画へと飛んだ。
ユグドラシルの大樹の側で眠るツバサを見舞いながら、アドちゃんが目覚めるのを待つ事にした。
ツバサが眠りについて以来、毎日欠かさず見舞っておるが、その肉体に変化は無かった。状態としては間違いなく死んでいるのじゃが、肉体が腐敗していく気配は無い。
ホムンクルスであろうとも、肉体は人形から黒竜へと変化しておる。ちゃんと血も流れておる。
仮死状態……何故此奴は自らの身体を仮死状態にする事が出来たのであろうか?
妾には出来ない芸当じゃ。故に妾を見て学んだということはありえない。此奴はどのようにしてその術を得たのか……たどり着いたのか……その技術を学んだのか……
妾の中で、大方の予想はついていた。
妾はアドちゃんの頬をぺろぺろした。強力な回復効果が、アドちゃんの意識を回復していく。
「……だよ?」
「アドちゃんよ、落ち着いて話すのじゃ……其方は何に対して憤っておるのじゃ?」
「だよっ……サーシャ! サーシャ!」
「サーシャがどうしたのじゃ?」
アドちゃんはまたしても暴れ始めたが、妾はそれを許さなんだ。アドちゃんの両腕を掴み、殺気を放つ。
「暴れて何になる? 言葉というものがあるのじゃ、使わぬ手はなかろう」
「だよ!」
「国民の脅威になるのならば、妾は其方を殺すことも厭わぬぞ」
「殺せばいいんだよ! サーシャのいない世界に興味無いんだよ!」
「英太が帰国次第、事の成り行きを確認する。サーシャに会いたいのはわかるが、あまり我儘言うではない」
「違うんだよ! サーシャは……サーシャは……」
「アドちゃんよ……其方にとって、妾は、妾たちは友達ではないのか? 其方のサーシャへの想いは充分に理解しておる。しかし、妾たちも其方の大切な友達ではないのか?」
「……だよ……そうだよ……嫌いになんてなれなかったんだよ……」
アドちゃんは妾を通り越して、ツバサに視線を向けていた。やはり、ツバサが仮死状態になった事にアドちゃんが関わっているのは間違いないであろう。
「アドちゃんよ……話してはくれぬか?」
「……僕はダメなドライアドだよ……こんな事をしておいて、グゥインたちに嫌われたく無いと思ってしまっているんだよ」
「ダメなドライアドか……同じ様な事をサーシャも口にしておったな」
妾はアドちゃんの腕をそっと離した。アドちゃんはふらふらとツバサの元に向かい、覆い被さった。そして、声を抑えながら啜り泣き始めた。
妾はアドちゃんが泣き止むのを待ち続けた。
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泣き止んだアドちゃんは、ツバサが仮死状態になった経緯について話し始めた。
ツバサを仮死状態にしたのは、ツバサ本人で間違い無かったが、それを促したのは、やはりアドちゃんじゃった。
「では、其方ならば目覚めさせる事も可能ということなのか?」
「それは出来ないんだよ。僕が関与出来るのは、ツバサと繋がっているユグドラシルの大樹の影響にだけなんだよ」
「妾にもわかるように言うのじゃ」
「ツバサを仮死状態のまま留めているのは、僕とユグドラシルの力によるものなんだよ。ツバサを仮死状態にした原因は、黒竜の力によるものなんだよ」
「……しかし、妾にはそのような力は備わっておらぬぞ」
「力じゃなくて、封印の術式のようなものなんだよ」
「それを其方がツバサに施したということか?」
「いいや……方法をツバサに話して聞かせただけなんだよ……でもね、方法を知っていたからと言って、簡単に出来ることでは無いんだよ」
不思議と怒りは湧かなかった。怒りに向かうことよりも、理解に費やしたかった。
「それは、どの様な方法なのじゃ?」
「……グゥインには教えたくないんだよ。きっとグゥインは、自分を殺そうとするから……どうしても教えなきゃならいなら、僕は僕を殺すんだよ」
「……わかった。今は聞かぬ」
もう既に、腹は決まっておる。
妾の存在が、国民に危険を及ぼす日がやって来る……その時は、妾はその術式を躊躇なく使うじゃろう。アドちゃんから聞き出す事が出来なくとも、ツバサが復活すれば聞き出せる……それが敵わないとしても、何としても国民を守る。
アドちゃんは続けて、自らの過去を話し始めた。
その内容は妾には到底理解が不能なものじゃった。