幕間 タルト・ナービスの冒険 前編
今日こそは逃げる!
覚悟はとっくに決まっていたが、今までは実行に移せなかった。なにせ相手が悪すぎる。
伝説の大魔導師・不老不死のアンカルディアに生半可な手は通じない。
人間国に打ち捨てられた魔物の子供。そんな俺を隠蔽魔法で人間の姿に変化させてくれた恩人は、親代わりであり師匠でもあった。
感謝しても仕切れないのだが、その感謝を軽くぶっちぎるくらいに恐怖の対象だった。
人間国に迷い込んだ俺を見つけ出したアンカルディア。幼女の姿をした彼女が真っ先に思ったのは、知り合いの魔物に似ている……だったそうだ。
そして、こう思ったのだという。
「良い実験台が手に入ったよ」
アンカルディアにとっての俺は……
実験台>>>>>>>>>>>>>>>>弟子>>>息子
だと、楽しそうに言っていた。
照れ隠しなんて感情は微塵も無い。無駄な嘘は吐かない人間? 悪魔? いや、くそババアなのだ。
「とりあえず、筋肉を全て断裂させるよ」
「炎の感覚を知るには、自ら焼かれるのが一番さね」
確かに効率的だったし、最終的には回復してくれるのはわかっているが、毎日のように死の恐怖を味わう日々。思い返すのも悍ましい……訓練という名の十年にも及ぶ人体実験の中で、俺は結界術の基礎を学んでいった。
「結界術の構成も、知り合いに似てるよ……あんた、あいつの隠し子か何かかね? 心当たりは……まぁ、あれは違うさね」
アンカルディアは不吉な事を言った。俺の父親に隠し子がいる?
魔王デスルーシの隠し子なんて、才能次第では世界のバランスを崩しかねない。
アンカルディアは、俺の才能を的確に把握して、結界術、炎・爆破特性に絞って訓練メニューを組んでいた。それをこなすだけでもへとへとだったが、俺は可能な限りの自由時間を結界術の訓練に費やした。
アンカルディアの目を欺く為だ。
結界魔法のスキルレベルが上がったその日、俺は、くそババアが寝静まるのを待ってから、自分に隠蔽魔法をかけた。
通常の隠蔽魔法とは違う。結界術をベースにした隠蔽魔法だ。アンカルディアから指導はされていたが、使いこなせた事はない。ぶっつけ本番……見つかったらどんな目に遭わされるか、たまったものじゃない。
俺は存在全てを無色透明に変えて、体力が尽きるまで走り続けた。万が一にも気取られる訳にはいかないので、魔力を放出する事は出来ない。
ただただひたすらに草原を駆け抜けた。
三日三晩は走り続けただろうか?
野兎を狩って、恐る恐る炎属性魔法を放った。焼けこげる兎に今すぐ齧り付きたいのを抑えて、周囲を警戒する。
アンカルディアの気配は……無い!!
解放……
その安堵から、一気に空腹が襲って来た。魔物のように野兎にむしゃぶりついた。
なんの味付けもされていない、その野兎の味を、俺は一生忘れないだろう。
ルウィネス王国の辺境にあるバスクチ村。その村に逃げ込んだ俺は、結界魔法で姿を変え直してから、こじんまりとしたギルドを訪れた。
本来の俺の肌は赤く、背中には天使の様な羽が生えているが、今の俺は人間そのものだ。年齢は15歳、成人を迎えたばかりの少年だ。
魔族である俺は、10年の苦行を経て、人間の少年『タルト・ナービス』として冒険者となった。
……のだが、魔物の現れない人間国……更に辺境の地には、冒険者っぽい依頼など皆無だった。
ドブ浚い、薬草の採取、鉱石の探索、畑仕事に大工の真似事……剣も魔法も登場しない仕事ばかりを丸一年繰り返し、ようやく冒険者ランクはFからEへと昇格した。
人間国には魔物がいない。国が管理するダンジョンと、100年起きていないスタンピード以外で、魔物と出逢う事はない。
野原で見かけるのは、獣と魔物のどちらに分類するか迷うような『魔獣』のみ。それも、食料として勝手がいい為に、乱獲され、姿を消しかけていた。
俺は運良く貴族様の護衛の依頼を受け、運良くグリズリーと出会った。
普通の冒険者なら、10人がかりでも倒せない巨大なクマの魔獣だが、俺は難なく倒してやった。
その華麗な剣捌きに貴族様は大興奮だった。
貴族様には大変気に入られ、好きな褒美を賜れる事になった。1,000,000回ドブ浚いをしても手に入らないA級冒険者の称号は、たった一度の魔獣討伐で簡単に手に入ってしまった。
金と権力で手に入れた称号。
A級冒険者に相応しい実力は、冒険者になる前から手に入れていた。
実力があっても、認められる機会が無い。金と権力でどうこうしなければ、一生A級冒険者にはなれなかったかもしれない。
俺はダンジョン攻略をする為に、拠点としていたルゥイネスを離れる事にした。
人間国に存在するダンジョンは、全て国が管理をしている。七大国を渡り歩き、全てのダンジョンに挑戦した。
攻略は可能だったが、深層階に挑戦する事は無かった。
もう目的のA級冒険者にはなれた。あまり有名になり過ぎて、アンカルディアに見つかるのも面倒臭い。
目標を達成し、目標失った俺は、新たな目標を掲げた。貴族様に飼われている『奴隷』の解放だ。
ただの奴隷ではない。本来ならば禁止されている人間以外の……他種族の奴隷だ。
不可侵条約が結ばれている現在、人間国に他種族が足を踏み入れる事自体がレアケースだ。
違法に渡航した他種族の犯罪者が捕まったケースもあるが、スタンピードで出現した低級の魔物を捉えるケースもある。魔獣を家畜とする文化もあり、低級の魔物を家畜のように扱う事はグレーゾーンだった。
俺が最初に保護したのは、ルゥイネスの貴族が飼っている魔物たちだった。
貴族のおぼっちゃまの戦闘訓練の相手をさせられていたスライム、コボルト、オークの三匹は、低級の魔物にしては珍しく、言語を操れた。
貴族の戯れで言葉を覚えさせられ、不要になったら殺処分される……それでも拷問を受けていないだけ、扱いとしては上等なのだという。
くそったれだが、これが貴族社会の常識で、ごく普通の事なのだ。
その後も、貴族様のご機嫌を伺っては、飽きられた奴隷の魔物たちを引き取っていった。獣人やエルフの子供も同様だ。隠蔽魔法で人間に姿を変え、設立した孤児院で生活の基盤を整える。
人間の孤児を引き取る事もあったが、魔物達とは違う施設で育てる事にした。いつか共存出来ればいいが、今はまだその時ではないから。
最初に引き取った魔物たち、ラブラン、リンガー、アイラの3人は、他種族が暮らす孤児院のお兄さんお姉さん的存在だった。
そんなあいつらが、冒険者になると言い出した時……俺はどうして良いかわからなかった。
他の子たちには隠し通せていたが、あの3人だけは、俺が危険な任務を引き受ける代償として、奴隷を褒美に貰っている事を知っているのだ。
あいつらの真剣な眼差しを前にした俺は、首を縦に振る事しか出来なかった。
懸命に努力してくれていたが、彼らはやはり低級の魔物に他ならい。
魔獣だけでなく、ちょっと強い獣にすら殺されていまう可能性がある。
死んで欲しくない。
彼らは俺にとって唯一の家族だった。
血の繋がりは無くとも、それ以上に深い場所で結ばれていると信じていた。
……同時に、自分が血の絆に敵わない存在であることも痛感していた。
魔王デスルーシの息子。
その呪縛は永遠に消えはしない。
姿を変え、名を偽っても、俺の中に流れる血が、事あるごとにその事実を告げてくるのだ。
奴隷解放の為に戦っている……
ラブラン達はそう信じて疑っていない……
俺だって、そう思っている……
だが、何処か深いところで、魔族としての本能が戦いを渇望しているような気がしていた。