第百八十二話 聖なる者の唸り声
その夜は眠れなかった。
サーシャはアンカルディアと共にエルフ王国に旅立った。俺たちも着いていくべきではないか、というのは、散々話し合った上で拒否されていた。
しかし別れの旅立ちの瞬間に側にいたのなら、俺は無理矢理にでも着いて行ったかもしれない。
後の祭りなのか、そういう運命だったのか……それとも、アンカルディアはそれを知っていてレベル上限の解放を施したのか……
すやすやと寝息が聞こえて来る。ゴレオの寝息だ。ゴレオは、ゴーレムたちは呼吸をしていたんだっけ? それとも人化が進んだという事か?
「英太さま」
背後からゴレミの声が聞こえた。
「お伝えしなければならない事があります」
「どうした?」
「魔王国の広範囲から、数名が悪意を放っています」
「それは……どれくらいの数だ? 法則性はあるのか?」
「数はさほど多くありません……8……いや、9……ですね」
「9? タルトは8人が聖統主教会と深く繋がる信者だと言っていた。一人多いのは……」
「対象まで絞れるか?」
「近くにいればわかるでしょうが……あ、一人だけわかりました……アンジー枢機卿です……他は探知した事のない魔力です」
1+8……タルトの調べは完璧って事だな。
「法則性は……皆が一定の距離を保っています……このかたちは……デベロ・ドラゴに似ています」
六芒星……いや、八芒星って事か……何かしらの儀式の可能性があるな……
「動くぞ! 俺は魔王の寝室に向かう! ゴレミはゴレオを起こしてから手分けして魔八将に助けを求めてくれ! 早急に、静かに!」
「承知!」
俺は魔王の寝室に転移した。高度な結界に阻まれ、同時にバルゼが姿を現した。
「英太様、どうなさいましたか?」
「緊急事態だ。中に入れてくれ」
「あ……いや、取り込み中でして……」
「聖統主教会の信者が怪しい動きを見せているんだ。魔お……あ、中にいるのはマー君じゃなくて、タルトか?」
「はい」
「あまり騒ぎたくない。頼むバルゼ」
「……承知しました。では英太さまがどうぞ」
バルゼは扉を開けた。俺は速やかに寝室へと向かう……そこには、裸で抱き合うデスタルトとハルパラの姿があった。
「げっ……」
幸いにも、大事な部分は隠れていたが、そこよりも色気を発するハルパラの尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「あら、英太様……どうなさいました? ダーリンは眠ったところですよ?」
「ハルパラ、この件に関しては後でじっくり話を聞かせてくれ。とりあえず、聖統主教会の隠れ信者が怪しい動きを見せている……デスタルトと一緒にアンジー枢機卿のところに行きたい」
「あら? そうですの?」
ハルパラはデスタルトの背中に尻尾の先端、ハートの部分を突き刺した。
「ダーリン、起きてくださいまし」
「ん……英太?」
「デスタルト、アンジー枢機卿の元に、隠れ信者が怪しい動きを見せている。八ヶ所に分かれて、何かしらの儀式を行おうとしているのかも……」
「わかった……そっちの対応は?」
「ゴレミとゴレオが魔八将の元を回っている」
「ハルパラ、魔八将に連絡してくれ……魔力を探知して、領地から一番近い地点に向かうように……ゴレミとゴレオは六人の魔八将がカバーし切れない地点に」
「わかりましたわ! でも魔八将は七人いますわよ?」
「カートは待機だ。寝かせておく」
☆★☆★☆★
俺たちが向かった時には、アンジー枢機卿は虫の息だった。
……いや、虫の息である筈が無い程の惨たらしい姿だった。重要場所がここで無ければ、アンジー枢機卿だとは把握出来ない程に肉体が解けて崩壊している。
「……タルト、これはアンカルディアの拷問なのか?」
「いや、違う……どちらかというと、父上のスキルだ」
「マー君?」
「この状態になっている理由はわからない。自分でやったのか、アンカルディアの婆さんが仕込んだのか……この状態になっても生きながらえているのは、父上のユニークスキルのせいだ」
セーフモード……任意の範囲内の指定した対象を死なせない。
「平和なスキルだと思ってたけど、使いようによっては残酷なスキルだな」
「この状態だとどうだかわからないが、生きてされいれば回復魔法が使えるし、アンカルディアがいれば元通りになれるかもしれない……英太、試しに回復してみてくれないか?」
「《上級回復魔法》」
アンジー枢機卿の肉体は、一度再生してから崩壊していく。
「ぅがぉぉぉ……ぐぅうぅっ……」
声にならない声が響いて、消え失せる。
「通じないな。神聖魔法にするか?」
「いや、原因がわからないと、肉体ごと消滅させてしまうかもしれない」
「そんなR.I.Pみたいなこと……」
出来ないと思うが、可能性があるならば避けなければならない。
「ハルパラ、父上を連れて来てくれないか? 俺と英太はアンジー枢機卿を監視しておく」
「承知しましたわっ!」
ハルパラは甘い香りの残して転移して行った。
骨、皮、臓物を崩しながら生きながらえるアンジー枢機卿を見やった。本人に思考能力は残っているのだろうか? 残っているとしたら、いっそ死んでしまいたいと考えているかもしれない。
アンジー枢機卿は、アンデット化した魔物を死体ゴーレムにした。彼女の現状は、皮肉にも彼女がして来た事と似ている。
「残酷なスキルだと思っただろ?」
「死にたくても死なない……そう捉えればな」
「英太は父上のステータスを見た事があるか?」
「魔王国に来たばかりの時に一度」
「多分それは偽物だぞ」
「……かもな」
「あくまでも勘だがな……父上とバルゼ……この二人は、ステータスを隠蔽している」
「バルゼもか……」
「始祖の勇者と邪神……それとセイメイの生み出したアンデットたち……それらがいなくなった段階で、魔王デスルーシは世界征服が可能だった筈だ」
「……でもしなかった。新王はどうするんだ?」
「馬鹿な事言うなよ……お前とゴレミの存在だけで手一杯な上に、グゥイン様にルーフ、大量のゴーレムたちだろ? 無理無理無理……それに、俺も魔王デスルーシ同様に、争いのない世界を望んでいる」
「不可侵は脱退するんだろ?」
「それも全世界の平和の為だよ。本来なら聖統主教会の隠れ信者の粛正もやりたくない」
「……だよな」
唸るアンジー枢機卿に、新王デスタルトの言葉は届いていないだろう。
その時、ハルパラとマー君が転移して来た。
「だいたいの言はハルパラから聞いた。奴らが行おうとしている儀式には心当たりがある……アンカルディアが去った途端に実行に移すとは……儂も舐められたものだな」
「心当たりとはなんですか?」
マー君は俺の質問に答えなかった。代わりにデスタルトが口を開く。
「例の『口外出来ない事柄』に関与する事だろう。アンジー枢機卿を生贄として、デベロ・ドラゴに干渉しようとしているんだと思う」
デスタルトの考えが正解である事は、マー君の表情から見てとれた。
「アンジーは儂が受け持つ。新王デスタルトと同盟国の王鏑木英太殿で、この危機を乗り越えてくれ」
俺とデスタルトの視線が合った。そして俺たちはマー君に跪く。
「承知致しました」
デスタルトが拳を差し出した。柄でも無いが、拳を合わせざるを得ない。
俺たちは共に転移した。
☆★☆★☆★
聖統主教会の隠れ信者達の目論見は、新王デスタルトと魔八将の迅速な対応により無事に阻止された。
八芒星のかたちに分かれた魔物たちは、揃ってアンジー枢機卿の救出を目的としていた、と口を揃えた。
「嘘をついていない」
デスタルトはそう断言した。信者の魔物達は、自身が特別な結界を生成しようとしていた事実を把握していなかったのだ。
その事実は、翌朝には魔王国全土に伝わっていた。昨夜まで共に祭りを楽しんでいた同族が、魔王国に危害を加えようとしていた。
その事実は、魔王国に重たくのし掛かった。
2,000年の間、平和続きだった魔王国で起こったテロ事件。人間国からやって来た聖統主教会が、ボルバラという異端な存在と起こした事件……
そうではない。これは新しい魔王国が真正面から向き合わねばならない問題なのだ。
移住希望者だった八人の魔物は、長らく使われる事が無かった牢に収監された。
デスタルトは魔王の名の下に八人の極刑を宣言した。