第百七十三話 人魚姫の記憶
意識を失ったサーシャを抱き抱える俺の元に、ゴレミとゴレオがやってきた。ゴレミとゴレオは静かに目の前の二人に集中している。
いつでも戦闘に参加出来るように、ではあるものの、それを望んでいない事は十二分に伝わっていた。
魔王デスルーシと死体ゴーレム……と呼ぶには相応しくない、タルトの身体に寄生したラミレス。
息子の身体を触媒として、失った命を再燃させている。死者の魂を眠りへと導くR.I.Pの連発で弱っていた肉体は、生者であるタルトの力を持って、その力を取り戻していた。
魔王デスルーシは、どのように戦うつもりなのだろうか?
タルトの身体を無事に取り戻し、尚且つラミレスを消滅させる。その両立が最高の結果だ。
魔王は闘気を解き放った。
膨大な魔力と瘴気の混合体が、闘技場を包んでいく。そのエネルギー量は凄まじかったが、以前よりも弱まっているように感じた。
魔王はタルトに真っ直ぐ向かっていく。
獣のように伸びた爪で、タルトの腹に浮かび上がるラミレスの顔を斬りつける。タルトは血飛沫を上げるが、肝心のラミレスの姿は消え失せていた。
「キャハハッ」という音が聞こえた。その笑い声に似た雑音は、タルトの頬から生える人魚の尾が奏でるものだった。
「キャハハッ」は繰り返された。何とも恐ろしいスキルだろうか……その音を耳にするだけで、美しい人魚の姫の生涯が、情報の波として押し寄せてくるのだ。
「これがラミレスのユニークスキルか?」
耳を塞いでも、目を閉ざしても防げない情報量……俺は今にも気絶してしまいそうだった。
「……英太さま?」
そんな俺をゴレミが不思議そうに見ている。
「ゴレミには見えていないのか?」
「何がですか?」
「ラミレスの……」
俺は意識を保てなくなって……
☆★☆★☆★
海の中……
人魚王国……
その中で暮らす俺……
いや、私……
王女ラミレス・アルノー……
幸せな毎日は……
前触れもなく失われてしまった……
「《R.I.P》」
その声が今でも脳にこびりつく……
お父様とお母様を死に導いた……殲滅の厄災……
いえ……それだけでは無かったわ……
あのエルフは、人魚王国の全てを滅した……
父上の魔法で、私は貝殻になった……
あの厄災に、殲滅されない為に……
貝殻になった私は孤独に海を彷徨い続けた……
1,000年の時が流れた頃……私にかけられた魔法の効果が切れた……
私の手元には、あれだけいた人魚の鱗ひとつも残っていない……
私は一人になった……
いや……一人ではないわ……
私には邪神様がいるもの……
邪神様ならば、きっとあの忌まわしきエルフを殺してくださるわ……
……邪神様が封印された?
封印したのは、ハイエルフのダーリャ・ブランシャールとその一味……?
魔王デスルーシ……
憎い……
憎い……
魔王の癖に殺しをしないデスルーシ……
人魚を殺したハイエルフと手を組むなんて……
私に救いの手を差し伸べて来た……
憎い……
上部だけの優しさ……
憎い……
人魚たちの無念……
憎い……
新たな幸せに満足し始めている私……
憎い……
自分が憎い……
魔王の子を孕んだ私が憎い……
愛しい……
お腹の中の子供が愛しい……
愛しい……
私の乳を吸うハルフが……
愛しい……
私を「ははうえ」と呼ぶハルフが……
憎い……
一人だけ幸せになっている私が……
憎い……
ハルフの邪魔になる……腹違いの兄弟が……
殺したい……
エルフ……あのエルフを……
愛している……
魔王デスルーシと瓜二つの、小さな命を……
そんな私に……思いもよらない誘いが入った……
邪神様を復活させる……
新たな邪神様を誕生させる……
私の中にある力……
父が私を生かしてくれた理由……
私が生かされている理由……
☆★☆★☆★
「うわぁっっ!!」
「英太さま!?」
「悪夢だ……自分が誰であるかを忘れてしまいそうになる……」
「どうなさったのですか?」
「夢を見ていたんだ。ゴレミ、俺はどれくらい寝ていた?」
「寝ていた……ほんの一秒ほどです」
一秒……?
「魔王は!?」
魔王とタルトに寄生したラミレスは、変わらず戦闘していた。
周囲を見渡す。
……誰も俺のような反応をしていない。俺はアンカルディアの元へと転移した。
「アンカルディア!」
「なんだい?」
「夢を見たんだ……ラミレスの過去……まるで自分自身がラミレスになったかのような夢を……」
「……興味深いねぇ。ちなみに、ラミレスの出自は?」
「滅亡した人魚王国の王女で、父親の魔法で貝殻に変えられていた……殲滅の厄災……ダーリャ・ブランシャールを恨んでいて……」
「ふむ……なるほどね」
「これは真実なのか?」
「難しいところだね。事実ではあるよ……そうさね……真実か……」
「アンカルディア! ラミレスは間違っていないんじゃないのか!? やっぱりもう一度死体ゴーレムを!」
「私が一緒で良かったね」
アンカルディアはそう言うと、俺の頭に魔力を流した。その瞬間、自分の中に渦巻いていた記憶が一気に薄まっていった。
「俺はいったい……」
「ラミレスからの精神干渉だろうね」
「……何で俺に?」
「その辺はわからないけれど、サーシャに向くよりは良かったんじゃないかい?」
「それは確かに」
「その件に関しては、また追々だね。今は戦いに集中させておくれ。ルーシの奴が下手こかないか心配で仕方ないからね」
魔王の攻撃はどんどん激しくなって行った。
ラミレスはタルトの身体を自在に移動しながら、その身を守り続けている。ラミレスの宿となっているタルトの身体には、目を背けたくなるような深い爪痕が刻まれていた。