第百六十二話 心象風景
最初にエンカウントしたのは、本命のカートだった。
闘技場のバックヤードど真ん中を陣取って、優雅にティーパーティーをしていたんだから、そりゃ目立ちますわ。
「おや、英太さま! ご一緒にいかがですか?」
「後でいただくよ。ボルバラは一緒じゃないのか?」
「……まぁまぁ、飲みながら話しましょう」
王子自らお茶を注ぎ、俺にティーカップを促して来る。
魔王とタルトの試合開始まで、残された時間は一時間……余裕があるとは言い切れない。
よし! ボルバラの所在を聞いたら、一気飲みしてこの場を立ち去ろう。
俺がお茶を口に含んだ時、カートが小さな結界を張った。
「ボルバラは殺されましたよ。アンカルディ・アビーノの手によってね」
心臓が高鳴る。
……知っている?
それ自体は不思議ではない……しかし、カマをかけている事も十分に考えられる。
カートはバカ王子だが、爪を隠している『能あるバカ』だ。
「じゃあ、そのアンカルディアは何処にいるんだ?」
「アンカルディ・アビーノですよ。姿を眩ませてしまいましたね……妙な事を企んでいたのでしょうが、やすやすと思い通りにさせる訳には行きません」
「……お前、どっちなんだ?」
「はて、どういう意味ですか?」
「アンカルディアの味方なのか、敵なのか」
「うーん……難しい問題ですね。どちらの部分もあります。全てを思い通りにはさせない……という事ですね」
「結界を解け。俺はアンカルディアを探す」
「……やはり、無理でしたね」
「何がだよ?」
「お茶に痺れ薬を混ぜていたのですが、英太さまの状態異常耐性には負けてしまいました」
「……なんだって?」
何か企んでいるようだが、ここでカートの相手をして、時間をロスしている場合ではない。
「普通の人間ならば、致死量なんですがね」
カートは大袈裟に笑った。そこに悪意は無さそうだが、それが不気味に感じる。
「殺すつもりだったのか?」
「いえいえ、その魔道具の力は素晴らしいですし、魔道具を装備なさっていなくとも、英太さまは普通の人間の域にはいませんよ……私としては、アンカルディ・アビーノの思惑を阻止する為にも、英太さまを足止めせねばなりません」
「俺はアンカルディ……アビーノと何かを示し合わせている訳じゃないぞ」
「それにしては、焦っておられるようですが?」
このバカ王子……こんな時だけ勘がいいな。
「逆に聞くよ。お前はアンカルディの企みを何だと思っていて、どうやって阻止しようとしているんだ?」
その時、カートの結界が消滅し、新たな結界が俺たちを包み込んだ。
カートの結界術は上澄みレベルの高水準だ。
この術者はその結界を破棄して、新たな結界を展開したのだ。そんなの、あのロリババアしかいないだろう。
しかし、これを結界と呼んで良いものなのだろうか……異空間に覆われているような感覚だ。
そこにあったのは、死の恐怖……いや、そんな生半可なものではない……濃縮された『死』そのものだ。
「あんなに目立つところで何してるんだよ。あんた達はバカなのか?」
そこに居たのは、やはりアンカルディアだった。
「アンカルディ、何処に行ってたんだ?」
カートがアンカルディアに詰め寄る。
「アンカルディアだよ、この馬鹿タレ!」
アンカルディアは、杖でカートの頭をコツンと叩いた。そのコミカルな打撃音からは想像がつかないほどの勢いで、カートは吹き飛んでしまった。
「ヴァああああああっ!」
カートの声が瞬く間に遠ざかって行く。
「アンカルディア、ここは何処なんだ?」
「心象風景さ。私が創り出した黄泉の国のようなものだよ」
「じゃあカートは……?」
「死んでないから安心しな。英太と話すのに邪魔だから、ちょっとぶっ飛ばしただけだよ」
なら一安心だが……アンカルディア自体が信用ならない事には変わりはない。
「話って何ですか?」
「そっちが私を探していたんだろ?」
「この後の事を確認したくて」
「確認しても変わらないよ」
「タルトが生贄になるだなんて、俺は聞いてませんよ」
「本人は納得してるみたいだけどね」
「……は?」
「飲んだんだろ? あの薬」
俺が渡した薬……確かにタルトは飲み干した。
「飲んではいましたが」
「じゃあ納得したって事だよ。もう仕掛けは全て終わったから、あとは流れる様に進んでいくだけさね……と、言いたいところだが、イレギュラーが重なってしまったみたいでね」
「イレギュラー?」
「ひとつ目はガリュムだよ。何処かから情報を得ていたみたいだね。バンパイヤの一族が滅んだのにもラミレスが絡んでいるんだが、きっとそれだろうね」
ガリュムはバンパイヤの王族だった。一族が滅んだ事により、魔王デスルーシの執事となったのだろうか?
「ガリュムも復讐を考えたって事ですかね?」
「それなら私に任せておけばいいんだよ。しかし、ラミレスの情報は隠匿されていた筈なんだがね……ルーシの奴、詰めが甘いんだよ」
「支障あるんですか?」
「この私が綿密に準備をしたからね。計画は九分九厘上手くいく……この結界に引き摺り込んで、あの世に送ってやれば終了さ……」
「『ひとつは』って事は、他にも不安要素があるんですよね?」
アンカルディアは、真っ直ぐ俺を指差した。
「俺ですか?」
「一回戦負けの癖に目立ち過ぎたね。どこぞの大魔導師が化けてるんじゃないかって噂になっていたよ」
「いや、それは……魔王に頼まれて仕方なく」
「ノリノリでカメラを改造してたじゃないか」
ぐうの音も出ないが、そもそも目立つなとは言われていない。
「私がここにいるって事を隠したいのに、まったく余計な事してくれるね」
確かに、アンカルディアの様な事をやれるのは俺だけだし、逆もまたしかりだ。まさか俺がアンカルディアだと疑われるとは思ってもみなかった。
「すみません」
「創造を使いこなす邪神の存在に、あちらさんは興味津々みたいだね」
「貴女にだけは、そのあだ名で呼ばれたくないですね」
「このキュートな私の、何処に邪神要素があるのさ?」
いや、ほぼ全部だろうよ!
「英太、あの魔導モニターは創造出来るかい?」
「出来ますが……」
「作っておくれ」
俺は言われるがままに魔導モニターを創造した。
「うん、ちゃんと映るね……」
「心象風景なのに、魔力が通るんですね」
「そりゃ、私だからね」
「……ここで、魔王とタルトの試合を観戦するんですか?」
「そうだよ。あんた達がね」
「……俺たち?」
「事が終わるまでの間、英太とカートをここに閉じ込める事にした」
「はあっ?」
何言ってるんだ? そんな事したら……
「魔王国も『漆黒』も騒ぎ出すって?」
「魔王国はわかりませんが、漆黒はそうなると思います」
「これでもかい?」
アンカルディアは、そう言って俺に変身した。その瞬間、身体が鈍く弛緩し始める。
「……あれ?」
「どうしたんだい?」
「か、、だが、し、び、、て」
「カートが盛った痺れ毒かね? ちょうどいい、この隙に退散させて貰うよ」
「ま……」
「……死んだら可哀想さね。ほれ、これでゆっくり回復する筈だよ。事の顛末はモニターで確認しておきな」
アンカルディアは、俺に何かしらの魔法をかけて、姿を消してしまった。
俺とカートは、ほぼ死後の世界同然の心象風景の中に取り残されてしまった。