第百六十話 優勝者
勝負は決した。
会場に居た誰しもがそう思っただろう。
タルトただ一人を除いて。
両手両足があらぬ方向に折れ曲がっていたタルトは、明らかに瀕死の状態だった。
モニターに映し出されるHPは、またしても1と表示されている。
正確な生命エネルギーの残量では無いのかも知れないが、それと大幅に違う事も考え難い。
立ち上がれる状態でないのは、間違いない。
あとは、十秒が経過するのを待つだけだ。そうすれば、ゴレミの勝利は確定する。
誰もがそう考えていた中で、タルトは立ち上がった。両手両足が折れる中で、タルトを立ち上がらせたもの……それは結界魔法の応用だった。
タルトは《爆裂魔法》を防いだ時の要領で、結界で自分を包み込んだ。そして、その結界の形を変える事で、無理矢理身体を起き上がらせたのだ。
観客席からは、声も上がらなかった。
「結界魔法ですわね」
響いていたのは、ハルパラの淡々とした解説だけ。
タルトは敗北して楽になる事を選ばなかった。
だが、依然として勝ち目が無い状態には変わりない。
観客たちは、その痛々しさを自分ごとのように感じているのだろう。かくいう俺も、全くもって同じ感情だった。
「続行、で構いませんか?」
ゴレミの問いに、タルトは答えなかった。
既に意識は半分飛んでいるようだ。
ゴレミはタルトの腹目掛けて、強烈な蹴りを飛ばす。
「やめろ!」
思わず叫んだ実況の声が、会場中に響く。
タルトの腹に風穴が空く……そう感じた俺は、叫びながら目を閉じた。多くの観客は同じように考えたと思う。
しかし、そうはならなかった。
タルトは腹に結界を集中させ、ゴレミの蹴りを受け止めたのだ。
ゴレミが次に選んだのは、優しい試合終了だった。
タルトの身体を掴んで、場外へと放り投げる。
タルトの身体はそのまま場外へ落ちる……事なく、空中の壁にぶつかって、舞台上に落下した。
「結界魔法で自分を打ち落としましたわね」
そして、再び立ち上がる。
ゴレミは表情を変えずにタルトに近づき、耳元で囁いた。
「一撃だけ、喰らわせてみなさい。受け止めてあげますよ」
ふらふらのタルトは、痙攣のように口角を上げた。
そして、詠唱を始める。
魔法を使う……呪文を唱える……その際には詠唱が必要だ。一流の冒険者ならば、詠唱は省略出来る。アンカルディアのような化け物なら、言葉どころか、モーションすら必要としない。
「普段、詠唱を省略するダーリンが詠唱を行うという事で、魔法の火力を底上げする事が可能ですわ」
ハルパラが解説した。
「そうすると、威力はどれくらい上がるんですか?」
「術者によりますわ。1.2倍〜2倍が普通ですが、伝説の大魔導師や、魔王様なら……」
「魔王なら?」
「100倍もあり得ますわよ」
背筋が凍った。
魔王の血を引くタルトなら?
カートとの試合で見せた《爆裂魔法》……その100倍……いや、10倍の威力だとしても、結界ごと、この会場は消し飛んでしまう。
「魔王、結界を重ねがけしてください! タルト! 詠唱を中断しろ! ゴレミ! タルトを止めるんだ!」
俺の指示に従ったのは、魔王デスルーシだけだった。
舞台と観客席の間に、二重三重の結界が張られる。
タルトは詠唱をやめなかったし、ゴレミはタルトの《爆裂魔法》を受ける気満々だった。
とりあえず、ゴレミは死んでも復活出来るから良い。
結界も重ねがけで強化されている。観客席は無事だと信じよう……しかし、瀕死のタルト自身はどうなる?
自分の魔法に耐えられるだけの余力など無い筈だ。
その時、タルトの長い詠唱が終わった。
「《爆裂魔法》」
その声と同時に、矢のように鋭い爆撃がゴレミを襲った。的を絞り、威力を上げ、対象に向かって行く……これを喰らえばゴレミとてひとたまりも無いだろう……それは復活すれば良い……問題なのは、観客とタルトが無事かどうかだ。
ゴレミはタルトの《爆裂魔法》に対して、右拳を突き出した。そして、そのまま魔力に拳をぶつけていく。
爆破と共にゴレミの身体ごと吹き飛ばした、黒い砂煙が舞うかと思われたが、魔力はそのままゴレミの拳に吸い込まれて行く。
正しくは、多少のお漏らしでゴレミの身体を傷付けてはいた。その九割以上は、ゴレミの『黒竜ナックル』に吸い込まれてしまった。
力尽きたタルトは、先程の試合のデジャヴかと言った様子で顔面から崩れ落ちた。
もう立ち上がれる筈が無い。
勝者は決した。
俺は高らかに宣言する。
「優勝者は、タルト・ナービス選手です!」
☆★☆★☆★
タルトが崩れ落ちたその直後、ゴレミは清々しい顔で「降参」を宣言した。
「タルトは私に一撃喰らわせましたし、3分以上立っていました。それに、与えたダメージ量も、タルトの方が上です」
そうなのだ。タルトの《爆裂魔法》は、たった一撃、しかも、拳に撃ち漏らされたほんの僅かな爆撃だけで、ゴレミのHPを半分まで刈り取っていた。
「しかし、ダメージ量による判定は、あくまでも時間切れに対する判定の為のものだぞ」魔王は言った。
「ええ、ですから、勝敗は私の降参によるものです。英太さま、サーシャさま、タルトを回復してやってくださいませ」
ゴレミに言われた頃には、俺たちはタルトの前に到着していた。
「《上級回復魔法》」
「《ドライアドサモニング》」
二人がかりで回復する俺たちを尻目に、ゴレミの演説が始まった。
「魔王、そして魔王国の皆さま! 私とタルト、どちらが本当に強かったか、皆さまならお分かりですよね? そうっ! 私です! ……しかし、次の魔王に相応しいのはどちらでしょうか? 国民の事を常に考えて、2,000年もの間、争いの無い魔王国を収め続けた大魔王デスルーシ……それを引き継げるのは誰ですか? タルトは圧倒的な強者である私に対して、けして負けを認めませんでした! それに引き換え、私の愚弟はあっさり……いえ、それは一旦置いておきましょう!」
回復しながら、ゴレオに視線をやる。わかりやすく項垂れていて、可愛らしかった。
「私との試合だけではありません。明らかに仕組まれていた魔八将と総当たりのトーナメント戦……タルトは逃げる事無く戦いました! 特にカート王子との激戦は、私にとっても一生忘れられないであろう一戦となりました! そして、初戦です! 我が国の王の一人である英太さまの搦め手! 卑怯極まりない戦法にも屈しなかった!」
おいゴレミよ。タルトを持ち上げる為に、自国の王を下げすぎてないか?
「そうっ! 我が国の王はタルトのピンチにこのようにして駆けつける程の仲なのです! 二人は心の友なのです! それにサーシャさまです! 我が国の王と……仲良しの……は……普通の、ごくごく普通の……容姿の素晴らしいエルフとも仲良しなのですっ!」
サーシャの耳がみるみる垂れ下がった。魔王国では、幹部たち以下にはハイエルフのブランシャール家系である事を隠している。
だから仕方ないのだが……わざわざ主張しなくてもいい。
「サーシャ、後でゴレミを説教しような」
「はい、エルフですから!」
「ゴレミ……勝手な事言ってんじゃねーぞ」
タルトは意識を取り戻し、自分の意思で立ち上がった。
そして、ゴレミに文句を言おうとしたが、その声は大歓声にかき消された。
「タルト! タルト! タルト! 魔王! タルト! 魔王! 魔王! 魔王タルト!」
鳴り止まない歓声の中、俺とサーシャは、なんとも言えない表情のタルトの手を取った。
そして、高らかに宣言する。
「優勝者は、タルト・ナービス選手です!」
歓声は大きさを増すばかりだった。