第百五十八話 兄弟
闘技場の内部が煙で包まれる。その光景には既視感があった。
準々決勝で、タルトがゼスを倒した爆裂魔法。
決闘で、カートがバルゼを葬った爆裂魔法。
魔王デスルーシが張った特別な結界でなければ、観客席にも重大な被害が出ていた事だろう。
二人が使えるその魔法は、魔王一族のユニークスキルではない。
俺やアンカルディアだけではなくとも、使い手は他にもいるだろう。
魔王の血を引く者の証明にはならなくとも、それを感じさせるだけの特別な雰囲気を持っていた。
砂煙が収まった時……そこに立っているのは、カートなのだろうか?
目を凝らす観客席の予想を裏切って、再びた爆裂魔法が炸裂した。
今度の爆裂魔法は、先程のそれよりも威力が小さかった。意図したものなのか、術者の能力によるものなのかは判断出来ない。
後者だとすれば、放ったのはタルトという事になるだろう。
「ダーリンは、爆炎魔法をエンチャントした大剣を囮にして、爆裂魔法を放とうとしていましたわ。ですが、カートに先を越されましたわね」
「二度目の爆裂魔法は、やはりタルト選手の放ったものでしょうか?」
「そうですわ」
ハルパラが言い切った直後、三発目の爆裂魔法が放たれた……いや、三発目と四発目が同時に放たれた。
人間国の王都一帯が消し飛ぶ程の魔法が、この狭い舞台の上で連発されている……二人は良く無事でいられるな……
「爆裂魔法の威力は、カート選手の方が上ですよね?」
「圧倒的……とまでは言いませんが、1.5倍程は違いますわね」
爆裂魔法が炸裂する。またしても二発同時だ。
二人の声を収音する筈のイヤーカフは、既に反応を示さない。
「つまり、優勢はカート選手ですか?」
「そうですかね?」
そう言ったのは、アシスタントのサーシャだった。
「サーシャはどう思うんだ?」
「あの狭い結界の中での爆発ですから、自分にもダメージはある筈です。だから、勝負を分けるのは、爆裂魔法の威力ではなくて、防御力……」
「……結界魔法か?」
「そうだと思います」
魔王デスルーシが得意とする魔法は、爆裂魔法だけではない。高精度の結界魔法もその一つなのだ。
王子二人の勝敗をわけるものは、その二つの魔法の力に委ねられていた。
その後も、何度も何度も爆裂魔法の爆破音が鳴り響いた。
ハルパラは口を閉じ、舞台上に真剣な眼差しを向けている。
観客席……いや、魔王国中が、この二人の対戦に固唾を飲んでいるだろう。
残り時間は、5分を切っていた。
二人の残りHPは、共に四桁になっていた。
このまま判定にもつれ込めば、勝者は元々のHPが低かったタルトになる。
そこで、今日一番の大爆発が起こった。
それと同時に、魔王が張った結界にもヒビが入る。
「マズい! 観客席の皆さん! 身を守ってください!」
俺の拙い結界魔法でも、少しは足しになるだろうか? そもそも、観客席を覆えるだけの結界魔法を放つ事は出来るのか?
俺が観客席にたどり着く前に、新たな結界が観客席を包んだ。
魔王か? いや、目に映る範囲に魔王デスルーシの姿は無い。
新たな結界は、既存の結界内部から張られたものだった。
爆発が収まると同時に、その結界は消滅する。砂埃が収まったそこに立っていたのは、結界の範囲を変え、爆発を一身に受けながら観客席を守った二人の王子の姿があった。
タルト・ナービス【HP:1/57500】
vs
カート【HP:1/81000】
観客席から、大会一番の大歓声が巻き起こる。
ヤラセなのか、演出なのか……偶然にも残りHP1という瀕死の状態で踏み止まる二人。
肌は焼け爛れ、顔は腫れ上がり、至る所から出血している。二人とも立っているのがやっとの状態だった。
一撃喰らっただけで死んでしまう……いや、即座に回復しなければ危険な状態だ。
観客席からは、タルト! カート! の大歓声が巻き起こっている。
残り時間は三分……立ち続ける事が出来れば、勝者はタルトになる。
公平でいなければならない解説者は、タルトが立ち続ける事を願っていた。
一歩動いたのは、カートだった。
歩いた、というよりは、倒れそうなの身体を、何とか踏み止まったようなそれだった。
しかし、カートは明確に動いていた。歩いていた。最後の最後まで、勝利の可能性を諦めていない。
対するタルトは、カートが射程内にやって来るのを待ち続けている。勝利の確率を上げる為に最善を尽くす。その姿勢は一貫している。
カートもそれを把握しているのだろう。射程ギリギリで、全ての力を出し尽くすように、タルトに向かって飛びかかった。
距離感だけを考えれば、カートの拳は間違い無くタルトに届くだろう。しかし避ける事は容易だろう。それどころか、カウンターを合わせる事だって出来るだろう。
残りHP1の弟に対して、タルトは拳を振り切った。
カートの身体は激しく後方に飛んだ。
倒れた……と、認識出来る状態を確認すると同時に、タルトも顔面から崩れ落ちた。
ほんの一秒だけ長く立っていたタルトは、KO勝ちで決勝進出を決めた。
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二人は即座に担架で運ばれて行った。二人のHPを示す数字は、1のまま変わっていなかったが、依然として予断を許さないだろう。
俺とサーシャは、急いで二人の元に向かう。
医務室では、カートに対して《回復魔法》がかけられていた。
より危険な状態で、王族であるカートが優先されるのは不思議ではない。
しかし、タルトに対して処置をする者が一人もいないのは解せなかった。
「おい! なんでタルトには処置をしないんだ!」
医療班の魔物が、苦しそうに言葉を発した。
「大会のルールでは、選手が試合間に使用出来る回復条件が、Dランクポーションのみと決まっています……タルト選手に回復魔法を使ってしまうと、失格となってしまいます」
ルール……しかし、このままではタルトが危険だ……俺が《上級回復魔法》をかけるか……それはタルトも望まないだろう……
「Dランクポーションは?」
「こちらをどうぞ……しかし、飲ませられる状態では……」
「唇を湿らせる……少しでも回復したら、飲ませればいい……無理なら魔法で回復させる。失格上等だ!」
俺とサーシャはタルトの唇にDランクポーションを塗った。傷口にも塗りたくってやりたいところだが、全体的な回復としては、経口補給が一番だ。
しかし、タルトは反応を示さない。
俺が作ったグゥインの尻尾肉入りポーションなら、これだけで体力を回復させられるのに……やはり、市販のポーションでは限界があるようだ。
「英太さん、少しだけ反応があります。無理矢理でも口に入れさせれば、何とかなるかもしれません」
口移しか……それで回復出来るなら、そうするべきだ。
サーシャがポーションを口に含もうとするが、その手は止められてしまう。それもルール違反だって言うのか?
サーシャの手を握っていたのは、一命を取り留めたカートだった。
「兄上の事は、私に任せてくれ」
そう言ったカートは、ポーションを口に含んで、タルトに口移しをした。
思考が止まってしまう。動き出したのは、タルトの顔に生気が戻り始めた時だった。
ホッと胸を撫で下ろしながら、後でこの口付けを弄らせて貰おうと考えた。
そして……その次に考えたのは、カートがタルトを「兄上」と呼んだ事だった。