第百二十三話 カレーライスの価値
本日の護衛はゴレミとゴレオが担当する。
魔王国の情勢は執事のガリュムが資料にまとめてくれる。それが出来上がるまで、俺は魔王のお願いを聞くことになった。
魔王国のシェフにカレーのレシピを伝授するのだ。
俺とサーシャは、トップシークレットである魔王国の厨房へと案内された。
トップシークレットの理由は、けして料理自体が秘匿されている訳ではない。毒物の混入を防ぐ為だそうだ。
厨房に入った瞬間、スパイスと肉と火の匂いが鼻をついた。どうやら、魔王からカレーという料理における『スパイス』の重要性を聞かされているようだ。
魔王国の厨房は、想像していたよりずっと整っていて、どこか近代的だった。
「ようこそ英太殿。厨房を預かる者として、光栄にございます」
頭を下げたのは、黒い肌に小さな角を生やした魔物の料理長。名はミュゲル。種族名はデーモンだ。客人である俺への対応は丁寧だが、その瞳は鋭く俺を観察している。
かなりの圧……正直、今まで出会った魔物の中で、ダントツの警戒心だ。
「こちらこそ……お時間いただいてありがとうございます。今日はデベロ・ドラゴの料理をご紹介できればと思って」
「カレーライス……でございますな。材料と道具はすべてご用意しました」
ミュゲルの指示で助手たちが動き出す。統率された動きは、料理人ではなく軍隊を連想させる。
「では、始めてよろしいでしょうか?」
ミュゲルが問う。俺は小さく頷いて、玉ねぎを掲げた。
「まずはこれ。玉ねぎを細かく刻んで、飴色になるまで炒めます」
「飴色とはどのような状態でしょうか?」
飴色の概念が無いのか。前世ではまともな料理をしたこともない俺が料理人に説明なんて、難しいな。
「焦げる寸前。ほんのり甘い香りがしてくるまでかな」
「御意!」
ミュゲルが助手たちに手際よく玉ねぎを切らせる。包丁の音がリズミカルに響く。
火をつけた鍋に油をひき、玉ねぎを投げ入れると、じゅわっと香ばしい匂いが立ち上った。弱火でゆっくりと、玉ねぎが色味を濃くしていく。
「飴色とは、このような状態ですか……実に面白い表現ですな」
ミュゲルが興味深そうに鍋をのぞく。
「ふむ……味を凝縮しているのですな」
「次に、にんにくと生姜。これも刻んで、そのまま玉ねぎと一緒に炒める。香りが立ってきたら……」
「スパイス、ですな?」
ミュゲルの口調が少し熱を帯びる。俺は頷き、机に並べた瓶をひとつずつ取り上げる。
「クミン、コリアンダー、ターメリック、チリ……この辺りを炒める。でも焦げやすいから、火は弱めに」
ここで言語理解のスキルレベルが上がった効果が出た。スパイスなど、この世界と前世での呼び名が違うものが、俺の認識の呼び名に統一されたのだ。ヒノモトのリュウユのような、醤油っぽいけど別物というものに関しては、変わらずこの世界の言葉で伝達される。
「スパイスの量はいかほどですか?」
知った風に語っているが、正直、あまり詳しくは無い。動画を見ながら作ってみたことがあるというだけの知識を、それらしく披露していく。
「小さじ一杯ずつ。辛くしたければチリを増やして、まろやかにしたければヨーグルトを加える」
「ヨーグルトとは何でしょうか? 魔王様から伺っておりませんが」
「えっと……乳製品で……」
この世界にヨーグルトは無いのか。材料って何だ? 牛乳だよな? 創造出来るか? ……無理だ。乳酸菌が無いのか……乳酸菌ってなんなんだ?
「ほう、乳製品を……なるほど、面白いですな」
「あれば入れてもいいですが、基本的には無くても大丈夫です!」
本当にそうだしな。なんでカレーって、なに入れても美味しくなるんだろう? 不思議だよな。
「承知しました。では、この後は如何なさいますか?」
「スパイスを炒めたら、小麦粉です。これはとろみをつけるためのもの。これを炒めて……水を少しずつ加える」
とろみが出てきた鍋に、下ごしらえした肉と野菜を投入する。ごろっとしたじゃがいも、にんじん、トマト、そして、絶っ対にドラゴン肉ではなくて鶏肉を入れる。
「煮込むと一体感が出るんです。野菜は合いそうなものなら、これ以外でも色々と試して欲しいです。キノコ、海鮮……一緒に煮込んでもいいし、チーズや野菜をトッピングするってパターンもアリです」
「なるほど……これは自由度が高いですな」
煮込みが始まり、鍋から立ち上る湯気とともに、独特のスパイスの香りが広がっていく。サーシャが目を閉じて、深く息を吸った。
「……すごい、いい香りです。何層にも重なってるみたい」
「そこがカレーの強みだね。何を入れても、それなりになる。万能料理だ……で、最後に仕上げのガラムマサラを投入して……完成だ」
「さて、味見を」
ミュゲルがスプーンを取り、ひとくち。無言のままじっくりと噛み、咀嚼し、そして口元をほころばせた。
「美味しゅうございます。確かに、色々な組み合わせを試したくなりますな。果実や蜂蜜などの甘みを加えるのも一考かと」
凄っ……一発でそこに辿り着くんだ。流石は魔王国お抱えの料理人だな。
「ミュゲルさん、それ、ありです!」
ご飯をよそって皆んなで試食。厨房には驚きと賛辞の声が鳴り響き、やがて、アイディア合戦が始まった。
ディナータイムに出てくるカレーが如何なるものになるのか、楽しみで仕方ない。
「……ちなみに、このカレーの値段って、いくらくらいになりますか?」
ミュゲルが口にした値段は、魔王国の貨幣価格で、俺の知らないものだった。どうやら、庶民の一ヶ月の生活費相当の金額らしい。
料理単体としての希少性を省いても、半額にもならないそうだ。やはりスパイスが貴重なのだ。スパイスを量産出来れば、貿易や国交も優位に進められるだろう……
そして、近い将来、カレーライスを庶民も気軽に食べられるものとして広めたい。
「英ふぁはん、ひょうもはれーはおいひいへふ」
人間とエルフと魔物が笑顔で食事をしている。
不可侵によってもたらされた関わり合いの無い平和ではなく、互いに手を取り合って暮らせるような平和……俺みたいな者が何を言ってるんだ……なんて、思いもあるが、邪神と共存する世界を作ろうとしている訳だ。向き合っていきたい。
☆★☆★☆★
【英太の知ったかぶりスパイスカレー(4人前)】
■ 材料
• 鶏もも肉(または好みの肉(ドラゴン肉絶対ダメ))……300g(一口大に切る)
• 玉ねぎ……2個(みじん切り)
• にんじん……1本(乱切り)
• じゃがいも……2個(乱切り)
• トマト……1個(ざく切り、またはトマトペースト大さじ2)
• にんにく……2片(みじん切り)
• 生姜……1片(みじん切り)
• 油(植物油またはバター)……大さじ2
• 小麦粉……大さじ2
■ スパイス(粉末)
• クミン……小さじ1
・ コリアンダー……小さじ1
• ターメリック……小さじ1
・ チリペッパー(辛さ調整)……小さじ1/2〜1
・ ガラムマサラ(仕上げ用、あれば)……小さじ1
■ 調味料など
• 塩……小さじ1〜1.5(味を見て調整)
• 砂糖……小さじ1(まろやかさを加える)
• ヨーグルト……大さじ2(酸味とコク、なければ省略可)
• 水……500ml〜600ml(煮込み具合で調整)
■ 作り方
1.下準備
鶏肉に軽く塩をふっておく。玉ねぎ、にんにく、生姜をそれぞれみじん切りにする。
2.炒める
鍋に油を熱し、玉ねぎを中火で飴色になるまでじっくり炒める(約15〜20分)。
にんにくと生姜を加えてさらに炒め、香りを引き出す。
3.スパイス投入
火を弱め、クミン・コリアンダー・ターメリック・チリペッパーを加え、焦げないように炒める。
スパイスの香りが立ったら、小麦粉を加えて軽く炒め、とろみのもとを作る。
4.煮込む
トマトを加えて潰しながら炒め、水を少しずつ加えてなじませる。
鶏肉・にんじん・じゃがいもを加え、中弱火で20〜30分ほど煮込む。
5.味付け
塩と砂糖で味を整え、ヨーグルトを加えてさらに5分煮る。仕上げにガラムマサラを加えて香りを立たせる。
6.完成
ご飯と一緒に盛りつけてどうぞ。