ep.6 悪女の噂
「アメリア! 同じクラスだね」
基礎クラスは二つに分かれている。一年生のうちはそこで基本的なことを学びながら、その他に好きな授業を選択する。割り振られたクラスに入ると、私が学長と話している間に先に向かっていたらしいルカが私に手を振った。
「席は自由みたいだよ」
とはいってももうほとんど空いている席はなく、どこへ向かっても好奇を含んだ視線を浴びるだけなので、おいでよと手招きするルカの隣に座った。
ティアは別のクラスなのだろうか。後方の席から目立たないように探してみるが、目立つ緋色の髪はどこにもない。
「……あ」
しかしそれとは別の目立つものを見つけて思わず小さく声をあげると、ルカがなんだなんだと私の視線の先を追った。
「あー……そう、僕たち皇太子と同じクラスみたいだよ」
面倒なことにならないといいけど、と彼は続ける。皇太子は周りの反応を見るに、ティアとは違っていい印象を持たれていそうだから、ルカの態度は少し不思議だった。まあでも、皇太子がいれば私は変に目立たなくて済むはずだ。関わらなければいいだけ。
「ティアは同じクラスじゃないんだ」
「確かに。婚約者ってずっと一緒にいるようなイメージがあるけど……」
学校側のクラス分けの意図はわからないが、皇太子であれ特別扱いはしないということなのかもしれない。ザッと見た感じ、貴族じゃなさそうな子も何人かいる。入学より前に寮に入っている人もいるし、同じ貴族で面識のある人たちも多いのだろう、すでにグループがいくつかできているようだった。
「ルカはいないの? 知り合いとか」
「うーん、うちはあんまり大きくない家だし、両親もあまり外には出ない人たちだから……」
尋ねると彼は苦笑いを浮かべてそう答えた。貴族社会のことはよくわからないが、あまり家の立場が強くないのだろうというのは察しがついた。
教室はざわざわと浮足立った雰囲気で、聞き耳を立てるとどうやら主たる話題は「自分の適性が何であったか」らしい。私は自分の適性について、言った方がいいのか隠した方がいいのか測りかねていたので、ルカやティアがそれを聞いてこないのは助かった。どうやら魔法を制御するための道具(あとで知ったが魔道具と呼ぶらしい)は適性検査の段階で配られているらしく、皆どこかしらに何か装飾品めいたものを着けている。ルカも例に漏れず、小さな指輪のようなものを身に着けていた。
「はーい、始めますよ」
しばらくして片目にだけメガネをかけた、初老の男性が私たちの前に立った。きっとこの人がクラスを担当するのだろう。身なりは細身でこざっぱりとしていて、今まで会ってきた先生たちのようないかにも魔法使いというような風貌ではない。そのせいかクラスメイトたちのざわめきは一向に収まらず、むしろ興味津々といった様子で先生を評価している。
不意に先生が右手の人差し指を立てた。ふわりと髪が持ち上がり、よく見ると指先で空気が渦巻いているのが見える。うわ、魔法だ。そう思ったのも束の間、先生は指先をこちらに向けた。
「わ……ッ」
その瞬間、私たちの間を突風が吹き抜ける。当たったらひとたまりもないだろう速度で。さっきまでのざわめきが嘘のように教室中がシンと静まり返った。先生は顔色一つ変えずに指を下ろした。
「さて、今のは基礎的な風の魔法です」
何事もなかったかのように話を続ける。今のだけを見ても、相当強い魔法使いなんだろうということは明確だった。入学前にユベール先生から聞いたことを参考にするならば、魔道具ができる前に四元素の魔法使いだったということはかなり強い力の持ち主だ。
「ここではこういった魔法の他、基礎的な学問も——」
初めて直接見る魔法。風がすぐ横を通り抜けた右半身が、ビリビリと痺れるみたいだった。
◇◇◇
その日は軽いオリエンテーションと、基礎授業の教科書を受け取って午前中のうちに終了。初めて足を踏み入れる校舎には当然私たち一年生以外もいるので、トレーニングルームや外の訓練場を覗けば普通に魔法が飛び交っている。にわかには信じられない光景だ。
「アメリアは何食べる?」
「んー……」
当然のようについてきているルカと一緒に食堂へと向かう。食べるものを選ぶ、なんて習慣今までにはなかったから、何を食べるか決めるという過程は苦手だ。足を踏み入れると、昨日までとは比べ物にならないくらいたくさんの人がいる。私の住んでいた場所は村全員を合わせても五十人いるかどうかといったところだったので、今までで一番たくさんの人に囲まれているんじゃないだろうか。人ごみに酔ってしまいそうで、思わずくらっときた。
「これ、ここ以外に食べられる場所ってないのかなあ……」
「そういえば外にもベンチがあったような……」
来た道を引き返そうと振り返ると、後ろで立ち止まっていたグループに軽くぶつかってしまった。すみません、と咄嗟に謝ると、相手は私の頭からつま先までを一瞥する。もう慣れた視線だが、不愉快であることに変わりはない。その結果どう判断したのだろうか、グループは目を見合わせてクスクスと笑っている。
「おっと」
「——は?」
そのうち一人の、ニヤニヤ笑いを浮かべた男子生徒が持っていたコップに注がれた水を思い切り私に浴びせた。わけがわからなくて体が固まる。今までもひそひそ言われる程度はあったけれど、ここまで露骨な態度をとられたのは初めてだ。今、何が起こった?
「悪いな、頭が汚れてるのかと思ったから」
「おい——」
「ちょっと、そこの貴方」
隣のルカが穏やかな表情を崩して自分より身長の高い相手に食ってかかろうとしたところで、入口の奥、人ごみの向こうからよく通る声が聞こえた。スッと人混みが開けて、カツカツと足音をたてて誰かが寄ってくる。いや、誰かじゃない。この声でわかる、ティアだ。
「謝りなさい」
「は? なんでだよ。俺は綺麗にしてやろうとしただけだろ」
相手は恐らく上級生。しかも男子生徒。女が男に意見するのは、本来この国では良しとされていない行為。ティアの声は澄んでよく通るので、今や食堂中がこちらに注目している。もうやめてほしい、私のために悪く言われるなんてことあってはいけない。耐えられない程じゃない、大丈夫。そんな意味を込めて袖口を引いたが、彼女が引く気配はまったくない。
「あら、私にそんな口を聞いても良い立場なのかしら、貴方は」
「は? お前誰——」
言いかけた男子生徒が、同じグループの顔を青くした別の生徒に耳打ちされて、途端に血相を変える。飛び跳ねるように顔を上げると、ティアに向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、何も知らず——」
「私じゃないわ」
彼女が冷たい声でそう言い放つと、男子生徒は一瞬悔しそうに唇を噛み、今度は私の方に向かって頭を下げた。どよめきが大きくなる。貴族の男子生徒が、平民の女子生徒に頭を下げる。前代未聞だ。
「悪かった」
「い、いえ……」
その態度に私もどうしていいかわからず、とりあえず返事をして頭を上げてくれと頼む。ティアはそれだけでは留まらず、注目が向いているうちにと声を上げた。
「貴方たちも以後、こういったことがないようになさい」
彼女に言われては、言い返せる立場の人間はそういない。私はしきりに心配してくるティアに肩を抱かれて、自然と開いた人ごみを抜け食堂から外に出た。
「なんだか……ごめんなさい」
なんとなく居心地が悪くてつい謝ってしまう。今まで助けてもらうことはなかったから、どうしたらいいかわからない。身分の差を持ち出すのが嫌いだと言っていたのに、家の名前まで出させてしまうなんて。そう話すと、彼女は「いいのよ」と優しく笑った。
「使えるものは使ったらいいのよ。私にはもう落ちる評判も無いわ」
ティアはカラッとそう言ってのけ、私の肩を抱いたままどこかへ歩いている。まだ行ったことのない方だ。表示によると倉庫や用具室なんかが並んでいるらしい。少し後ろをルカがついてきている。
「この顔立ちなのも相まって、最近じゃ悪女だなんて言われてるのよ、私」
意志の強さが見える瞳は、少し吊った形の目の中にある。鼻は高く輪郭はシャープで、まるで彫刻のような顔立ちは、確かに少し冷たく見えるのかもしれない。それが物怖じしない態度と相まって、そんな可笑しな評判がついてしまっているのだ。
「どうして、すごく綺麗なのに……」
「ふふ、ありがとう。アメリアがそう言ってくれるだけで十分だわ」
至近距離でのはにかみ顔、これは誰だってドキドキするだろう。この顔を悪女だなんて、全員見る目がなさすぎる。絵にかいたお姫様そのものでしょ、これ。目を見合わせて笑っていると、後ろから「あのー……」と小さな声がした。
「僕はそろそろ……」
「あら、いいじゃない、一緒に食べましょうよ」
ほら、もう着くわとティアが示したのは何の変哲もない空き教室。ここで食べるのだろうか? と言っても、私たちは食事をとってくるより前に出てきてしまったから何も持っていない。ティアが扉を開ける。
「お嬢様」
「イルザ、いたのね」
扉の先に広がっていたのは空き教室ではなく、食事をとるための場所らしかった。イルザと呼ばれたのは、紫色の髪を三つ編みに結った年上と思しき女子生徒。ティアが「お嬢様はやめてって言ったでしょ」と言うと、彼女は「……ティア様」と嫌そうに言い直した。話を聞くと、どうやら彼女はティアの家に代々仕えている家の娘で、ここで生徒として勉強をしながらお目付け役としてティアを見張っているらしい。
「お目付け役なんていらないって言ったんだけどね」
彼女が私とルカをじっくり観察するように見つめる。なるほど、お目付け役っていうのはティアの、ではなくティアの周りのってことか。その視線に気付いたティアが「この子たちは大丈夫よ」と告げて、ようやく警戒の色が消えた。
「私のことはイルザと呼んでください」
「ねえイルザ、食事って四人で分けられるくらいにはあるかしら」
「えぇ、すぐご用意できますよ」
二人は揃って部屋の奥へと消えると、バスケットを持って戻ってきた。イルザさんは水の入ったボトルとグラス、ブランケットを抱えている。私たちはティアの提案で、中庭でお昼を食べることになった。
◇◇◇
「いいお天気ね」
「あの、さっきの場所って——」
「あちらのお部屋は皇太子殿下とティア様のためのお食事室です」
二人専用の食事のための部屋、と聞いて驚いたが、国にとって必要な二人だから、毒見なしに食事をとるのは危険ということで用意されたものらしい。身分が高いっていうのも大変だ。それなのにティア様が食堂に行くと言って聞かないから困っていたのだとイルザさんはため息を吐いた。
「いいじゃない、私だって皆と食べたいのよ」
「そのお気持ちはわかりますが——」
「あー、もういいのよ! ほらアメリア、ここ座って!」
うるさい、とイルザさんの言葉を遮ったティアが、ブランケットの上の自分の隣を示す。イルザさんに目線で確認をとると頷いたので、遠慮なくそこに座らせてもらった。あ、ほんとに日差しが気持ちいい。
「まだ濡れてるわね……」
「ん? 大丈夫だよ、そのうち乾くし」
「……ねえアメリア、ちょっと我慢してね」
ティアはそう言うと私の頭に手をかざす。すう、と息を吸う音が聞こえたあと、ごく弱く、少し温かい風が私の髪を揺らした。突然のことに驚いて彼女の方を見ると目を瞑って集中しているようで、私は共感を求めるようにルカの方を見た。しかし彼はティアの方を目を輝かせて見ていて、私の視線にまるで気が付かない。風の出所である手からは確かに単なる風ではない何かを感じる。ティアはもう魔法が使えるの? これも貴族パワーなのだろうか。困惑しつつも私は身動きをとれず、ただされるがままだった。
数分後、彼女は私の髪を乾かし終わるとふう、と息を吐いた。
「よし、乾いたわ」
「すごい……ティアは風の魔法使いなのね」
私の言葉に、ティアは曖昧に頷いた。