ep.2 新しい場所
そこから馬車を走らせること一日。一日じゃ到底着かない距離のはずなのに、気が付いたら私は帝都へと連れてこられていた。馬車に乗り込んだとたん、異様な疲れに襲われてぐっすりと眠ってしまったので道中のことはまったく覚えていない。起きたら初めて見る、賑やかかつ煌びやかな街中で、ここはどこかと尋ねたら帝都だと教えてもらった。
「ここが……」
噂を聞いたことはあった。なんでもあって、みんなオシャレで、村よりもずっと進んだ街。王様や女王様がいるところ。窓に張り付くようにして外を見ていると、馬車は何やら大きな建物の門をくぐった。私は生まれてこの方、少なくとも記憶があるうちは大きな建物なんて村の近くにある教会くらいしか見たことがなくて、でもこの建物はそれよりもずっと大きい。まさかお城? 本当に王子に見初められて——なんてバカなことが一瞬頭を過った。
「もうすぐ着くぞ」
「あ、あの、ここは……」
「学校だ。詳しいことはあとで説明がある」
「学校……?」
学校、名前は知っているが私とは縁のないものだと思っていた。村では、村長や一部の多少金のある家の子どもが、ときどき村の外へ出て行って、なにやら専門の技術を学んで帰ってくる。なにかを勉強する場所、そこが学校と言うんだということは母に教えてもらっていた。
「働くんですか? 私……」
「働く? いや、君は今年からここの生徒になるんだよ」
「生徒……」
学校に行くことなんてまったく考えてもみなかった。村はほとんどは字の読み書きすらもできないような場所だ。私の母は珍しく読み書きができたので(露骨な差別に遭わず働かせてもらっていたのはこれのおかげでもある)私もそれを教えてもらっていたが、それ以上外でなにかを学ぶなんてこと、想像したこともなかった。
「まあ、とにかく詳しいことは中で教えてもらえる……お、着いたようだ」
馬車から降ろされる。初めて踏む地面の感覚。知らない匂いがした。私をここまで連れてきた役人は、誰かとなにやら話して、いくつか書類を渡すと、私を前に出した。
「あなたがアメリアね?」
「……っはい、!」
急に名前を呼ばれ、返事の声が上ずった。ゆっくり顔を上げると、そこにいたのは穏やかな笑みを浮かべたおばあさんだった。役人と同様、上等な布をたっぷりつかった変わった服を着ている。
「私はルイーズ、ここの学長——皆をまとめるリーダーのようなことをしているの。よろしくね」
「は、はい……!」
ルイーズさんは役人たちを帰すと、ついてきて、と言って建物の中に歩き出した。恐る恐るついていくと、建物の中は外から想像するよりももっと広かった。遠くからは人の気配や声がして、たまにこれまた上等そうな服を着た、私と同い年かそれに近いくらいの子どもたちが歩いたり、走ったりしている。吹き抜けの玄関ホールには足音がよく反響して、どこにどれだけ人がいるかはまったくわからなかった。
「じゃあまず最初はもう一度あらためて検査をして——あら」
「……?」
書類を捲っていたルイーズさんが急に立ち止まる。そうなのね、なんて誰に向けてかわからない相槌をうちながら私のことを頭からつま先まで、ゆっくり眺めると方向転換して、さっきまで進んでいた方とは別の方へと歩き始めた。
「あの……っ、なにか、変、ですか……?」
昨日からずっと向けられているその視線。黒髪を珍しがるのとは少し違うが、似たような「異質なもの」を見るようなそれに、私はいい加減答えがほしくなっていた。この髪以外、ほかの人と違うようなところは無いはずだ。
「変ってわけじゃないのよ、ただちょっと、別のやり方が必要になったの」
「別の……?」
そうしてしばらく歩いて、辿り着いたのは恐らくこの建物の端の部屋だった。コンコン、とルイーズさんがノックをすると、中から「どうぞ」と声が返ってきた。扉を開けると、そこは本や見たことのないガラスや金属でできた何かがそこら中に落ちている、端的に言えば散らかった部屋だった。
「ユベール先生」
「あれ、学長じゃないですか、珍しいなあ。言ってくだされば片付けたのに」
なんだかのんびりした声色と共に本や紙の山で今にも埋もれてしまいそうな机の前からひょっこり顔を出したのは、ひょろっとした背の高い男の人だった。髪はぼさぼさで、ルイーズさん——先生と呼ぶのが適切かもしれない——や学校の中ですれ違ったひとたちとはまた別の服を着ている。
「いいのよ、こちらも急な話だったから……今日はそれなのね」
「違う方がよかったですか?」
「いいえ、結構よ。……それより、この子なんだけど、適性を見てあげてほしいのよ」
「いいですけど……それは検査室で一斉にやることになったんじゃ……」
ユベール先生と呼ばれた男の人は、机の上をゴソゴソと探ってわずかに色のついた眼鏡のようなものをかけてふたたび私を見るなり「なるほど」と呟いた。
「お名前は?」
「アメリア……」
「そうか、アメリア君。こっちに来てもらえるかな」
「……っ」
躊躇う私にユベール先生は「痛いことはしないから」と声をかけ、ルイーズ先生も大丈夫だと背中を押した。私が恐る恐る、そして散らばった器具や本に躓かないよう気を付けながら近付くと、ユベール先生は引き出しの中を探り、そこから取り出した器具を私の頭や指先、足首などに装着し始めた。
「ちょっと冷たいけど我慢してねえ」
「う……ハイ……」
金属と石のヒヤッとした感触。全部が付け終わると、所々に繋がれている石がぼんやりと紫色に光り始めた。これ、村で見たのと一緒だ。私の身体に取り付けられている端末から伸びる線の先、なにやら機械のようなものの駆動音が低く鳴り響き、空中に文字と数字の羅列が浮かぶ。
「うわ、なにこれ……」
見たことのない光景に思わず息を飲んだ。空中に文字? 一体どういう仕組みなのか見当もつかない。こんなのはまるで——
「魔法みたい……」
「そう、魔法だよ」
ユベール先生はこちらに目もやらず、サラッとそう答えた。魔法? おとぎ話とかでよく聞くような? もしかして、と思っていたバカバカしい考えが、まさか本当だったなんて。都会では当たり前に存在していたの? 少なくとも村で見たことはない。驚きのあまり声も出ない私に、ユベール先生はこの器具は魔法を応用して自分が開発したものだとか、何を使ってどうとかよくわからないことを得意げに話し続けている。
「それで君も——」
先生が顔を上げた。深い青色の瞳と目が合う。
「魔法使いだ」
先生は何故だか、ワクワクした子どもみたいな、楽しそうな表情を浮かべていた。