ep.1 人生が変わる日
光のすべてを吸い込んでしまうようなこの黒い髪が嫌いだった。
私の暮らすディグニタス帝国では、栗色や明るい茶髪、金髪が一般的な髪色で、黒であることは滅多にないらしい。黒い髪の私を産んだ母はそれなりに苦労してきたらしく、私は父の顔はもちろん、母の元の身分や生まれも知らずに帝国の端の小さな村でひっそりと生きてきた。田舎の村だ。数少ない同じくらいの年頃のこどもたちは私のことをいじめこそしなかったが遠巻きに眺め、ひそひそと噂話をした。呪われたんだ、神を信じていないんだ、実は魔女なんじゃないか、どこから聞いてきたのかもわからないそんな迷信を信じているようだった。
大人だってそれは同じだ。特段名産品もない村なので、労働力のために母を魔女を産んだ女だと陰で言いつつ働かせてくれてはいる。しかし古い考えの彼らは、たとえ私たちが同じように教会に行き、礼拝に参加していたとしてもただその見た目だけで信仰心を疑い、心から受け入れてくれることはなかった。
「虹色の目のお姫様は王子様と結ばれて、幸せに暮らしましたとさ」
うちに一冊だけある絵本。どこかの教会でもらったらしいその話では、人とは違う虹色の目をしたお姫様が、王子様に見初められて結婚し、プリンセスになる。きっといつか、きっといつかあなたのことも王子様が迎えに来て、それできっと幸せになれるのよ、と母は言った。狭い世界で、それだけを信じて毎晩星に祈った。いつか、私の人生を変えてくれる運命の相手が現れますように。
その日は突然に訪れた。小さな村に現れた身なりのいい役人。十二歳以上のこどもを集めろとのお達しに、私を含む八人がその人の前に立たされた。すると役人は、何やら不思議な形の石を私たちにかざしだした。赤、青、緑、かざされた石はごく僅かに光を発し、役人はそのたびに紙に記録をつける。色が何を意味するのか、微妙に違う光の量が何を意味するかも知らされず、私たちはただまっすぐ立って順番を待った。ひとり、ふたりと近付いてきて、私の前にかざされた石は、一瞬暗くなった後、明らかにほかとは違う光量で、紫色に輝いた。わずかに目を瞠った役人は、一緒に来たほかの役人たちを集めると、もう一度全員でそれを確認し、何やら書類を見ながら話し合いを始めた。
「母親はどこにいる?」
話し合いをやめた役人は私にそう聞くと、その後集まっていた村人たちのなかから目立つ黒髪を見つけ、聞くまでもなかったというように母を連れて行ってしまった。残ったほかの役人は、戸惑う私の頭からつま先までをなにか品定めでもするように一瞥したあと「君はこれから私たちと一緒に来てもらうことになる」と言った。
「一緒に……? みんなもですか?」
「いや、君だけだ」
聞き耳をたてていたらしい周りの村人たちの間にざわめきが広がる。まだ小さい子が「やっぱり魔女なんだ!」と大声をあげ、母親に嗜められていた。大人や一緒に調べられた皆は口に出さないが、きっと同じことを考えているに違いない。この状況だ、私ですらそうかもしれないと思い始めている。昔、まだ帝国や教会の力が今ほど強くなかった頃に行われていたという魔女狩り、今の状況はまるでそれにそっくりだ。
「あの、どうして——」
せめて理由を聞かせて欲しい、そう思って口を開いた所で、外していた母と役人が帰ってきた。何か言われたんじゃないかと心配して表情をうかがったが、母は予想より柔らかい顔でこちらに向かい、「それじゃあ行きましょう」と手を引かれた私を最後にギュッと抱きしめた。
「お母さん……?」
「大丈夫よ、大丈夫だからお役人さんたちの言うことを聞いて。手紙を書くからね」
まったくわけがわからない。頭の中が整理できないまま私は手を引かれ、村の入口に停めてあった変わった形をした馬車へと歩いた。今の状況で母をひとりで村に残すのが心配で、何度も振り返ったが、母は手を振るばかりで、村の皆は私と母を交互に見比べていた。
「は、離して……っ、お母さんが……!」
このままじゃ村に残された母はきっと、今よりもっと酷い扱いを受ける。必死に腕を振りほどこうとするが、大の大人の手を栄養の足りていない少女がどうこうできるわけもない。ギュッと目を瞑り、泣きそうになるのを堪えようと大きく深呼吸をした、その一瞬。急に身体にエネルギーが満ちる感覚がして、気が付いたらさっきまで私の手を掴んでいた役人が、十メートルほど先に吹き飛んでいた。後ろを振り返ると、村の皆は私のことを怯えたような目で見つめている。それに対して、吹き飛ばされた役人と、それをみていたほかの役人は多少驚いた様子ではあるものの冷静だ。尻もちをついていた役人は何事もなかったかのように立ち上がると、少し体をはたいて、わけもわからず逃げずに立ち尽くす私の方へやってきた。
「こちらが強引だったようだ。すまない。君のお母さんのことならこちらが手を打つから、一緒に来てもらえるか?」
「……え、あ……」
今、何が起こったのか。私はもしかして、本当に「魔女狩り」されてしまったんじゃないだろうか? 頭の中がパンクしそうで、ろくに返事もできない私に役人は「こういうことはよくあるんだ、大丈夫。着いたらちゃんと説明がある」と安心させるよう言った。すっかり抵抗する気力を無くした私は、ふたたび手を引かれ、馬車に乗り込んだ。
こうして、予想とはだいぶ違った形で私の人生は一転することとなった。