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ご利用  作者: 青山えむ
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後編

 栗原くんはアイスコーヒーとチーズケーキを頼んでいた。私がケーキを頼んだので合わせてくれたようだ。

 私は本日のコーヒーとチョコケーキ。真夏だけれどクーラーの効いた店内はホットコーヒーを飲むのに適している。けれどもホットを飲んでいるのは私だけだった。みんな冷えないのだろうか? 夏はいつも同じ疑問を持つ。

 栗原くんはアイスコーヒーにガムシロップ二個とミルクを入れていた。私はブラックで飲むのが好きだった。

 栗原くんが自分の話を始める。そういえば私生活のことって話したことなかったな。


「紅葉さんはいつも仕事に一生懸命ですから」


 そんなことない。私は要領が悪い。無駄話をしている余裕がないのだ。みんなお喋りをはさみつつ、上手く仕事を片づけている。

 

 男女に限らず逢瀬の初回はお茶会のほうがよいと思っている。

 正解だ。ごはんだったら食べるのが中心になってこんなに語れない。

 ケーキが残り三分の一ほどになった。食べてしまうのがもったいないけれどいつまでも残しておくのも見た目が悪い。食べる量は一緒なのにゆっくり食べたほうがお得に感じる。

 栗原くんはケーキを半分くらい食べていた。ふと私のケーキの残り割合を見て、大きな一切れを口に運ぶ。食べる速度を合わせる気遣いができるのか。自分から誘える子だもんね。栗原くんの意外な一面を見た気がした。


 何度か栗原くんと逢瀬を重ねた。二回目から栗原くんは手を握ってくるようになった。けれどもそこまでだった。それ以上は踏み込んでこなかった。手の感触だけでどきどきする自分がいた。


 仕事ではいつも通りに接している。仕事中たまに栗原くんを見かけると、よく分からない感情が生じる。

 なんだろう。栗原くんは私のことが好きなんだと思う。誘うのも手を握ってくるのも、いつも栗原くんからだった。回数を重ねると私の心はもやもやしてきた。


 そうだ浅川さんに相談がてら、連絡してみようか。そう思ったら少しわくわくしてきた。連絡する口実ができた。

 男の気持ちが分かるのは男だと聞いたことがある。同じ職場のひとには言えないし、私には親しい男友達もいない。浅川さんが適任だと思った。


 携帯の連絡アプリの友人リストをスクロールする。どきどきする。最後に連絡したのはいつだったろう。日付を遡る。けれども浅川さんの名前は出てこなかった。

 見逃したかと思い再び上から友人リストを凝視する。


 嘘、消されてる……。


 私の友人リスト登録数は三十人ほどだった。二度探して見逃すはずはない。

 最後に浅川さんと会った日のことを思い出してみる。浅川さんはだんだんよそよそしくなっていった。もう私たちは離れると分かっていたので距離を徐々に多くしていったのだと思う。きっとあのひとは、そういう場面に何度も立ち会ってきたのだと思う。今思えば女慣れしていた。私もすっかり、自然に捕まっていたように思える。


 そっか……。これでいいんだ。浅川さんは確か今年、子どもが受験の年だからそれどころじゃないんだと思う。

 浅川さんは私を忘れたくて連絡先を消しているのに、浅川さんの子どもの年齢まで覚えている自分が少し嫌だった。


 浅川さんと一緒に行ったのは唯一タリーズコーヒーだった。誰かに見つかっても「たまたま会ってお茶しただけ」って言えるから。

 水族館も美術館も、一緒に行きたいとは言えなかった。困らせるだけなのは分かっていたから。誰にも言えない。押し殺してしまいたい自分の気持ちに潰されそうだった。


「やっと涼しくなったなー」

 

私は台詞のような日本語をつぶやいていた。本当に涼しかったのか、思ってもいない感情だったのかはよく分からない。


 ずっと心に引っかかっていたのは浅川さんだった。認めたくなかった。けれども私の友人リストから消えて分かった。ずっと忘れられなかった。友人リストで繋がっていると思っていた。とてもちゃちで薄い繋がりだ。私たちの積み重ねた数ヶ月間も、消すのは一瞬だった。


 数日経ち、いくらか落ち着いたはずだと自分に言い聞かせていた。誰かに慰めてほしい。

 栗原くんはあの日、自分を利用してくれと言った。これが本当の利用になる。いいんだよね。


―今から会える?―


 平日に連絡したのは初めてだった。金曜日の夜、おっくうではない時間帯だと思う。


―すいません今、彼女が来てて―


 栗原くんの返信を読んで目を疑った。

 どういうこと? 彼女? いつから?


―彼女というか、彼女予定というか―


 栗原くんははっきりしないところがある。それが優しさだと思っていた。私も男に誘われて浮かれていた証拠だ。一人で耳が痛くて気恥ずかしい。事情を聞いた。

 栗原くんはある女子に告白された。その子には私と会っていることを話して、それでもいいと言われてその女子とも会っているらしい。


―その子を見ていたら、自分もこんな感じなのかなって思いました。紅葉さんが自分を選ぶことはない気がしたので、なんとなくその子と会う回数が増えました―


 つまり、その女子に惹かれているのだと。

 私の心にはずっと浅川さんがいた。絶対に私を一番には選ばないひと。

 私は私を求める栗原くんと会っていた。同じだ。私は栗原くんを選ばなかった。

 栗原くんを利用しようとしたらもう、それはできなかった。栗原くんが自分を利用していいって言ったからって人の気持ちを心を利用するなんて最低だ。これで当然だ。違う。


―利用していいって言ったじゃん―


 私はセーブが効かなくなり、本音を送信していた。浅川さんに連絡先を消されて唯一逃げ場所にしようとしていた栗原くんに新しい彼女がいて。自分が辛いからって言ってはいけない発言をぶつけてしまった。


―やっと本音を言ってくれましたね―


―紅葉さんはいつも「分かっている女」風でしたね。素直な紅葉さんを見れなくて辛かったです―


―自分は紅葉さんに気持ちがあるまま他の女性とはつきあえません―


 ああ、栗原くんは、ちゃんとしている。

 本当に私は、見る目がない女だ。

 もう自分をよく見せようとしても無駄だしこのチャンスを逃したくない。

 私には必死さが足りなかったのだ。


 浅川さんが女慣れしているのは感づいていた。妻子がいるのに私を自然に誘う男だった。

 きっとそういうのは私が初めてではないだろう。

 そんな浅川さんに置いていかれないよう、私は取り繕っていた。

 今思えば、無駄だっただろう。最初はお互い夢中になっていたけれど、長くは続くかなかった。

 このチャンスを、逃してはいけない。たとえ思いがけない方向に行ったとしても。


 私と栗原くんは、お試し期間へ移行した。この先どうなるかは分からない。


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