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ご利用  作者: 青山えむ
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前編

 九月になっても残暑が厳しい。毎年夏に使っている冷感スプレーがそろそろなくなりそうだ。季節商品なのでもう店頭には売っていない。そうだ、ネット販売はどうだろう。


 仕事でトラブルが発生した。装置で使用している置き治具が破損した。在庫管理表でストックがあるのを知り助かったが場所は隣のA事業所だった。隣とはいえ、このC事業所からは歩くと十分かかる。

 しかも私は夜勤チーム。日勤チームは人数が多いのでスタッフが行くのだが夜勤チームはそうはいかない。

 チーフはここから離れられないので、現物の確認のために私が行くしかない。加えて現物が重いため二人で行くことになった。

 三十分ほど現場から抜けられる人員、栗原(くりはら)くんと私が消去法で決まった。


 A事業所か……。少し楽しみのような、そうでもないような。


紅葉(もみじ)さん、持ってくものはこれでいいですかね」

 

 栗原くんに声をかけられて我に返る。いけない、今は仕事中だ。

 栗原くんが書類と備品を揃えておいてくれた。ありがたいと同時に後輩に丸投げしていた自分が少し情けない。


「じゃ行こうか」

 

 動揺が表にでないよう、一言だけ発した。

 時刻は十八時になったが、外はまだ熱気が残っていた。真夏日が続いたとはいえ、体が暑さに慣れるわけではない。普段はクーラーの効いた社内にいるのだから。


「暑い……」


「そうですね……」

 

 暑いと言ったから涼しくなるわけではないけれども言わずにいられない。発言に気を遣えなくなるほどの高温なのだ。

 私は本気で暑いけれど、栗原くんは意外に涼しい顔をしている。私は女子にしては身長は高いほうだけれど、栗原くんはもっと長身だ。ちょっと猫背でおとなしい性格だからあまり目立たないけれど、もう少し前にでる性格だったら注目されているのかもしれない。


 特に話題もないので二人とも無言で歩いている。

 A事業所が近づいてくる。あのひとがいる事業所。浅川(あさかわ)さん、私と少し、関係のあった男。浅川さんとの関係を、なんと言ったらいいのか未だに分からない。恋人とは少し違う気がする。けれども男と女、だったのは確実だ。


 A事業所が近づくにつれて、思い出してくる。もしかして、会うかもしれない。会えるかも、しれない。

 私は栗原くんの手を握っていた。どうしてそんなことをしたのかは分からない。考えるより先に、動いていた。浅川さんも、そういうところがあった。うずく、体の内側が浅川さんを思い出して。

 浅川さんを想って栗原くんの手を握る。なにをしているのだろう、私はすぐに手を離す。これを「あざとい」と言うのだろうか。本能的にそうしてしまった私は、女なのか。

 恥ずかしくなりそうなので言い訳をするよりこのまま黙っていたほうが賢明な気がする。そんなことを考えていたら手を握られた。驚いて隣を見る。栗原くんは私から目をそらしていた。手は握ったまま。覚悟したように言った


「自分でよければ、利用してください」


 どういう意味だろう。利用? 私がそういう女に見えるのだろうか。それとも栗原くんが、遊びでも私とそうなりたいのか。


 聞くのは野暮だと思った。年上の余裕を見せたかったのか、私は無反応を装った。

 A事業所に着いた。


「私昔、この事業所にいたんだよね」


 ここに着きちょっと浮き足立っていた私は自分から話題を作った。


「そうなんですね。自分はA事業所にいたことはありませんでした」


「そっか、じゃあ今日が初めて来たんだね」


「はい、CともBとも違う構造でおもしろいですね」


 製品を作る会社は機密の関係でわざと分かりにくい構造にしていると聞いたことがある。それで三つの事業所が全て違う構造になっているのだろうか。

 いつもと違う事業所に来て二人とも少し嬉しかったのか笑みがこぼれた。

 トイレの入り口が違うとか、セキュリティが厳しいとか違いを見つけては声に出していた。けれども私の心の底にはずっと同じ思いがあった。

 浅川さんに、会えないだろうか。淡い期待をずっと抱いていた。


 階段を上り備品室に向かう。以前この事業所にいたときは備品室に行くことはなかったので場所を知らないが地図を用意してもらったので迷わず行けそうだ。ときどきすれ違う社員の顔を必ず見ていた。


 目的の置き治具を無事に見つけた。借用許可をもらい、これで用事は済んだ。もうこれで、ここにいる理由はなくなってしまった。少しがっかりした気持ちが芽生えた。けれど玄関を出て少し歩き、正門を出るまで私は期待していた。

 浅川さんが今どんな仕事をしているのかは分からない。こんな風に違う事業所に行くことだってあるかもしれない。だったら外ですれ違う可能性だってあるはずだ。


「まだ暑いですね」


 栗原くんの言葉で我に返った。


「そうだね」


 私は機械的に答えた。浅川さんのことだけが気になっていた。他はどうでもよかった。けれども浅川さんには、会えなかった。



 栗原くんと遊ぶことになった。休日に、どこかに行かないかと誘われた。浅川さんと行けなかった水族館に行くことにした。


 みんな涼を求めてくるのか水族館は賑わっていた。

 休日に男女でどこかに行く、つまりはデート。娯楽施設とごはん、お茶。そのあたりが定番だろうか。

私は栗原くんとごはんを一緒に食べたくなかったので「朝はゆっくりしたいから」と理由をつけて午後から会った。

 少しの罪悪感からか、私は楽しそうな反応をするよう努めた。幸い水族館は暗い環境だったので表情の演技は少なくてすんだ。

 

 水族館のあとタリーズコーヒーに寄った。スタバだと定番すぎる気がしてなんとなく避けた。浅川さんが好きだったタリーズ。ああ、だから選んだのか。

 私と栗原くんは四人掛けテーブルの、向かいあった椅子に座った。こんなとき、隣に座ればいいのか迷ってしまう。向かい合ったといってもなんとなく、椅子の位置はずらした。

「一応、コロナも心配だから」なんて取ってつけた理由で。気恥ずかしかったのもある。


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