タマと九六子・1
あたしは妾になった。
女中のタマではなく妾のタマになった。
しっくり来ない。
松尾邸より大きくて外国みたいな建物が見えてくると祖父が「あれが倉島邸だ」と言った。とてもモダンだった。
お昼を少し過ぎた頃でお腹がペコペコになる時間なのにあたしは全くお腹が空かず、皆とのお別れの淋しさと悲しさがまだ癒えずにいた。
自動車で屋敷の門をくぐると、庭で掃除や荷物運びをしていた女中や下男達が走って集まって来て、停車した自動車の前から玄関まで一列に並んで頭を下げた。
自動車から降りた祖父が下男にあたしを抱きかかえて運ぶように命令した。
下男に抱きかかえられてお屋敷の中に入ったあたしはキョロキョロと廊下を見回した。
廊下に赤い絨毯が敷き詰められていて、鎧や壺が置いてあって、金色の額縁に入った大きな絵が飾ってあって、ステンドグラスのガラス窓があって、引き戸はどこにも見当たらなくてドアばかりが並んでいた。
祖父の後ろをついて歩く下男に抱きかかえられているあたしに祖父が背中越しに話しかけた。
「タマさんの部屋はここ本邸ではなく別邸になるが、一応龍之介の部屋とその隣りの本妻の部屋の場所だけ教えておこう。何か用事があることもあるだろうからな」
そう言いながら祖父が案内したのは3階の一番突き当たりの部屋だった。
「ここが龍之介の部屋で、隣りが本妻の部屋だ。本妻と言ってもまだ婚約もしていないが将来龍之介の妻となることは決定している。彼女もさっき到着したばかりだそうだ」
祖父は本妻の部屋のドアをコンコンとノックした。
すると「はい」と若い女性の声がしてガチャリとドアが開いた。
中から出てきたのは、チューリップ柄の桃色の着物に髪を最近流行りだした耳隠しで結った、一重まぶたで小さな目をした唇の薄い色白の女性だった。
祖父は本妻をあたしに紹介した。
「侯爵家の四女である九六子さんだ。今年で20歳になる」
九六子さんはあたしに一礼した。
「初めまして。誇り高き侯爵家の四女の原九六子と申します。龍之介さまの未来の妻でございます。宜しくお願い致します」
あたしも下男に抱きかかえられたまま一礼した。
「初めまして。元女中の妾のタマと申します。女中のタマではなく妾のタマとなりました。宜しくお願い致します」
祖父は九六子さんに「龍之介が帰ってきたら連れて挨拶に来る」と言い残して九六子さんの部屋をあとにした。