賢吉の愛しのタマ・1
吉原の大門のところで若い男がタマを抱きかかえてタクシーに乗り込もうとしていたのを見かけた俺はそれを阻止すべく警笛を鳴らし、男が立ち止まったのを確認すると、タクシーの前に自動車を滑り込ませた。
タマが見つかったことに心底ホッとしながらも、タマを抱きかかえて連れ去ろうとする男に言い知れぬ怒りが沸いていた。
こいつがタマを浚った犯人か……!!?
自動車を降りた俺は男に言った。
「タマをどこへ連れてく気だ?タマはうちのだ。帰してもらおうか」
眉を寄せた男の表情が怒りに染まったのが分かった。
そのときタマが大声でうれしそうに言った。
「おお!!!賢吉、諭吉、栄吉ではないか!!!今日は誘拐されて買い出しが出来なかったので晩ご飯が心配だった!!!ちゃんと料理は出たか!!?」
誘拐されたのになんで晩飯気にしてんだよ。
俺はなんだか悲しくなった。
「タマ……おまえさえ無事なら他はどうだっていい。俺たちと帰ろう」
タマを奪おうと男に近づくと男がタマを抱き上げている手に力を込めたのが分かった。後ずさりをしながら男は言った。
「……松尾の家の兄さんたちですね……悪いけどタマはずっと前から僕と一緒に暮らす約束をしています。年季が残っているのでしたら代わりの女中を紹介します。なのでお引き取りください」
それを聞いたタマは目を丸くさせた。
「そのことなのだが、龍之介は一体何の話をしているのだ!?あたしはそんな約束した覚えはないのだが……!?」
龍之介……?
あの龍之介か……!!?
俺は男の顔を凝視した。
龍之介の顔を見たのは松尾邸に来た日の1度きりだ。10年以上も昔な上に成長しているから分かる訳がないのだが、それでもよく見ればどこかで見たことのある顔だ。
龍之介は呆然とした表情をしてタマに言っていた。
「手紙で言ってくれたじゃないか……!!?僕のことが好きだから一緒に暮らしたいし、伯爵になったらお嫁さんになってくれるって……!!!」
伯爵……!!?
そうか!!今流行りの小説のモデルの男だ……!!写真で見たことがある!!
……ということは龍之介の母親は華族だったのか……!!?
だとすれば華族を妾にした親父は相当まずいのでは……!!?
いや、そんなことより問題なのは、タマが龍之介と一緒に暮らしたいし嫁になると言ったということだ……!!!
「タマ!!!それは本当なのか!!?」
俺が言おうとしたことを兄さんが叫んだ。
続けて栄吉が叫んだ。
「誰とも結婚する気がないと言ったのは僕を断るためだったのか!!?」
タマは栄吉、兄さん、龍之介の顔を目を丸くさせたまま見回した後、困惑した表情で言った。
「あたしは手紙など書いた覚えはないのだが」