賢吉の狼狽
俺は父親の仕事を手伝う傍ら、自身の資金で洋服の縫製工場を立ち上げていた。
流行の型で洋服やスーツを大量生産し続けた縫製工場はかなり軌道に乗ってきたのでいずれタマを迎え入れるための家を建てた。
我ながら捕らぬ狸の皮算用ではあるが、タマを手に入れるための投資でもある。
最初は女中としてタマの家族共々一緒に家に住ませ、居心地のいい環境を提供し、徐々に『俺と一緒になってもいいか』と思うように仕向ける。
焦らずに詰めて行けばタマの心もきっと俺になびくはず。いや、なびかせてみせる。
そう考えていた矢先の出来事だった。
「タマが買い出しから帰って来ない!!?」
仕事から戻ると兄さんと栄吉と女中が家の門前に立っていて、話を聞いたらタマが行方不明になったと言う。
「……あの坂を上った向こう側の下り坂のところに……女中が買い出しに使っているこの風呂敷が落ちてたらしい……」
栄吉が力ない声で言った。
俺は全身に鳥肌が立った。
「警察には!!?」
「……夕方に下男が駐在所に言いに行ったそうだが……それから何の音沙汰も無いそうで……」
警察は当てにならないと感じた俺は再び自動車に乗り込んだ。
「女ばかりを浚うのは女である必要があるからだろう。女を売るなら行き先は港か遊郭だ。港はもう止まってるから先に遊郭へ行く!!」
俺がそう言うなり兄さんと栄吉も一緒に行くと言ったので後部座席に乗せて自動車を出発させた。
話によればタマが浚われたのは買い出しに出かけた昼過ぎだ。それから少なくても3時間は経っている。
もし外国に売られるとしたらすでに船の中だ。明日港へ行ったところで見つけることが出来る可能性は低い。
だが遊郭ならまだ何とかなる。
陽はすでに沈んでおり、吉原が賑わい始める時間になっていた。
吉原をはじめ遊郭は男たちの醜い欲望で出来ている場所だ。もし売られてすぐに水揚げされていたとしたら――……
タマの無邪気な笑顔が脳裏を過ったと同時に胸がチクンと痛んだ。
俺は自ずと自動車の速度を上げていた。