栄吉の心慌
三男で学歴も兄さんたちに比べれば低い僕は父さんが経営している松尾商会で取り扱っている布を、取引先の縫製工場などに注文された分だけ納品する仕事を任されている。
大体いつも夕方の4時くらいには仕事が終わっていて、この日もいつもと同じ4時過ぎに松尾邸へ帰ってきた。
いつもと違ったのは庭でザワついている女中たちが庭に立っている母さんを囲んでいて、何やらただならぬ雰囲気だったということだ。
「どうかしたの?」
通りすがりに問いかける僕に女中たちと母さんが注目した。母さんが淡々とした声で言った。
「女中のバカ娘が居なくなったのよ」
「バカ娘ってタマが……?」
「そうよ。買い出し行ったきり帰って来ないのよ。あのバカ仕事だけは人一倍こなすから買ってたのに、もしサボりとかなら尻をはたきの柄で叩いてやるんだから」
そう言う母さんの目は涙ぐんでいた。母さんでもこんな表情するのかと驚きながら僕は言った。
「店の人とうっかり話し込んでるんじゃないの?」
女中の1人が買い物用の風呂敷を僕に差し出した。
「これがすぐそこの道の隅っこに落ちていたんです……最近若い女性ばかりが狙われる人さらいが多発していまして……」
それを聞いた途端、僕の頭の中は真っ白になっていた。
人さらい……?
タマが……?
笑顔で元気に働いているタマの姿が脳裏を過った。
「うそ……」
僕は気が動転して門の方へ走り出していた。
母さんが僕の背後から大声を出した。
「何処へ行くの!!?駐在所には下男に言いに行かせたわよ!!!」
我に返った僕は立ち止まり、母さんのほうへ振り向いた。
母さんは付け加えるように言った。
「言いに行かせたけど警察からは音沙汰無しなのよね。……町のほうは下男たちに探させているから、他に思い当たる場所があるなら探して来なさい」
僕はタマの実家が近くだと言っていたことを思い出していた。
「実家……タマの実家はもう誰か探した……?もしかしたらさらわれたんじゃなくて実家に寄っているだけかもしれないし……」
風呂敷が落ちていたということからその可能性が低いことは分かっていた。分かっていたけど思いつく限りの場所は全て探さないと気が済まなかった。
いつもタマと一緒にいるつり目の女中が鼻や目の周りを赤くさせて涙ぐんだ顔で一歩前に出て手を上げながら答えた。
「あたしタマの実家知ってます!!!案内します!!!」
走り出す女中の後を追って僕も走り出していた。