タマは行き行かない
門番のお兄さんが龍之介の贈り物を持って来てから12年が経っていた。
あたしは25歳になり、時代は明治から大正に移り変わっていた。
「ヤエも嫁入りが決まったらしいよ。これで行き遅れ組はあたしとタマだけになっちまったよ」
ヨネが栄吉の浴衣を洗濯板でゴシゴシとしながらため息交じりに残念そうに言った。
あたしは賢吉のホワイトシャツを洗濯板でゴシゴシとしながら答えた。
「あたしは嫁には行かないから行き遅れではない。行き行かないだ」
「なに訳の分かんないこと言ってんだよ。いくら職業婦人が持て栄やされているからって、それは結婚ありきだからね。結婚もせずに働き続けていれば世間から白い目で見られるだけだよ」
「女は結婚をすればお母ちゃんやお祖母ちゃんを捨てなくてはならない。育ててくれた大事な親を捨てて、意地悪をする夫の親を大事にして、奴隷のようにこき使われて、お母ちゃんとお祖母ちゃんと離ればなれのままお婆ちゃんになって死んでいくんだ。あたしは本当に大事だと思う人を大事にして死んでいきたい」
「それは分かるけど……そもそもタマって恋したことあるの?」
「あるぞ。7歳のとき純平先生に初恋をした。今でもたまにキュンとする」
「それって今でも好きってことじゃない!!その純平先生となら結婚したいってことなんじゃないの!!?」
「純平先生には奥さんがいる。だから結婚はしたくない。でも純平先生ならお母ちゃんもお祖母ちゃんも仲がいいし純平先生のお母ちゃんとあたしも仲がいいので結婚しても楽しく暮らせそうだ。だが純平先生には奥さんがいるから結婚はないんだ」
そのときヨネの視線があたしの背後に向いて驚いた顔をした。
あたしもヨネの視線の先の方へと振り向いた。
そこには背広姿の賢吉が立っていた。賢吉は少し怒ったような冷たい微笑を浮かべている。
「何の話?俺も混ぜてよ」
「仕事は休みなのか?」
「今から行く。少し時間があるから寄った。何の話をしてたんだ?」
「行き遅れと行き行かないの話だ」
「あの町医者じゃなくてもタマの家族と一緒に暮らせる男は他にもいる」
「ああ、純平先生のほうの話か。そうだな。だがそもそも純平先生はあたしの過去の男だからな」
「過去の男……?タマに過去の男など居ないだろ」
不機嫌な口調でそう言って懐中時計を見た賢吉は「この続きは後でな」とあたしの頭を撫でて髪に指を通すと去って行った。