龍之介の家族
松尾家の義母を見た瞬間、僕の身体は硬直し、心臓は大きく波打っていた。
タマを吉原から松尾邸へ送り届けた時もそうだった。
幼い頃、母に捨てられて松尾邸に置き去りにされた僕をゴミでも見るような目で見るなり、近くに居た女中に「離れに連れて行きなさい」と命じ、僕には「外に出たら許さない」と鬼のように怖い顔で言った。
それから僕は義母に怯えながら離れで暮らし、義母が怖いから極力外には出ないようにした。
僕にいいものを食べさせないように命じたのも義母だと女中達が話しているのを何度か聞いた。
人に憎まれるということが自分を否定されることのように思えて、毎日義母の憎しみに押しつぶされそうになっていた。
そんな記憶があるせいか、僕は義母に対して憎しみや怒りよりも恐怖を感じ、逃げ出したい衝動に駆られていた。
しかし思いのほか義母は僕に遠慮ぎみな声で話しかけてきた。
「龍之介ですね……?」
その声は優しく、かつての威圧は微塵も無かった。僕を心底憎んでいたはずの義母が僕の名前を優しい声で呼ぶということに違和感を覚え、それは、彼女は別人なのでは無いかと本気で思うほどだった。
義母の目は赤く充血し涙ぐんでいる。僕はその目を探るように見つめていた。
義母は眉間に皺を作りながら言った。
「松尾の妻です。昔、幼いあなたに大変酷いことを致しました。許してくれとは言いません。ただ一言謝っておきたくて……誠に申し訳ございませんでした……!!!」
頭を深々を下げる義母に僕は呆然としていた。
あれだけのことをしておいてこんな謝罪をされてもと思いつつも心のどこかで謝ってくれたことに喜んでいる自分がいた。
義母が謝ってくれたことで僕の心の奥にあった重くて苦しいものが1つなくなり、過去から解放されたような、世界が広がったような、そんな感覚になっていた。
さっきタマはこの人と嬉しそうに話していた。
僕はタマに視線を移した。
「……タマにとってあの人は大事な人なの……?」
「お……?おお……そうだな。今ではすっかり大事な人だ……」
僕はタマと世界を共有したい。
僕は義母を許すことにした。
その後、タマと二人きりになりたかったがそうはさせてもらえず、兄さんたちと義母も一緒に食事をする羽目になった。
はっきり言って迷惑だった。
迷惑だったが、楽しいと感じている自分がいて、皆で喋り笑いながらビフテキを食べているときにふと思い出していた。
幼い頃、あの薄暗い部屋の中で想像していた。家族のみんなと笑い合いながら肉を食べているその姿を。