それは君じゃない
新規長編準備中に、思いつきで書いた短編です。
短編と言いながら長いので、お時間のある時にどうぞ。
ミルステラ王国王城、華やかな夜会の真っ只中で、その騒動は始まった。
婚約破棄の宣言。そして、断罪劇──が、今から起こるのだろうか。
まことしやかに水面下で囁かれていた噂では、今宵の夜会で王太子のシエル殿下が、異世界から来訪した聖女様を虐げた罪で自身の婚約者であるマリーローズ公爵家の令嬢ドロテアとの婚約を破棄し、その罪を断じ、厳しい刑罰を与えることを宣言すると言う。
騒動は始まった。
しかし、声高らかにドロテア嬢を壇上の王族席から呼び出すのは、シエル殿下ではなく聖女であるピノア様。
呼び出され、青褪めながらも健気に背筋を伸ばし、後ろ暗いところは何も無いのだと凛と立つドロテア嬢。
聖女ピノア様の隣には、土気色の顔をして、笑顔と称するには恐ろしい頬の歪め方をするシエル殿下。
異様な雰囲気が漂う中で、シエル殿下の腕に絡みついたピノア様が殿下を見上げて言葉を発する。
「ねぇ、シエルぅ。早く宣言して? あたしを王妃にするから、その地味で邪魔な女と婚約破棄するって」
絡みつく腕に大きく露出させた胸元を擦り付けながら強請られるも、殿下は口を開かない。
壊れた絡繰り玩具のように不規則にカタカタと痙攣するばかりだ。
苛立った様子で品無く舌打ちをして、ピノア様は声と口調を強めた。
「早く言いなさいよ。そこのドロテア・マリーローズと婚約破棄して、このあたし、聖女ピノアを虐めた罪で処刑するって! ほら、早く言いなさい!」
いくら強大な力を持つ異世界の聖女とは言え、この国の王太子に向かい不敬が過ぎる言葉と態度。
会場が騒つくが、ピノアにギロリと睨まれ、シンと静寂が返る。
注目の中、シエル殿下はカタカタと痙攣し、やがて澱み濁った常なら輝くセルリアンブルーの瞳から血の涙を流し始めた。
誰かが「ヒッ」と悲鳴を飲み込む音がした。
「ちょっと! なんでよ! どうして言うこときかないのよっ! ほらっ! 早く宣言しなさいってば!」
遂には殿下の襟元に手をかけてグラグラと揺さぶり出したピノア。
何故、ここまでの暴挙を許しているのか。
この夜会には国王陛下と王妃殿下も列席されている筈。
異様な雰囲気に飲まれていた観衆の中から、ようやく我に返った数人が陛下と妃殿下の席へ視線を移し、大声で上げかけた悲鳴を己の掌で覆い隠した。
陛下も、妃殿下も、まるで魂の抜け殻のようにピクリとも反応してらっしゃないのだ。
王族を守護する、周囲に立つ近衛騎士達もだ。
襟元を掴んでいた手を放され、倒れて壇上から転げ落ちたシエル殿下は這いずりながらも婚約者のドロテア嬢の元へ向かい、ドロテア嬢もすぐさま殿下に駆け寄ると跪き、血の涙を流す頭部を大事にドレスの膝の上に抱え上げる。
「・・・ロシー・・・愛し・・・て・・・」
途切れ途切れに婚約者の愛称を呼び、愛を伝えようと藻掻く王太子の姿。
目を奪われる観衆の意識を引き戻すのは、ピノアの甲高い叫び声。
「ふっざけんじゃねぇよっ! なんで正気残ってんだよ⁉ 魅了が効かなかったから苦労して手に入れた超レアアイテムだってのに! 古代遺跡の『神従の首輪』は神レベルに強い奴でも隷属する筈でしょお⁉ 何だってのよーっ!」
狂ったように頭を掻き毟り唾を飛ばして叫ぶ聖女の姿は、触れてはならない異質な悍ましさを撒き散らしている。
ハッとしたようにシエル殿下の襟元を緩めるドロテア嬢。
その露わになった首元には、禍々しい鈍色の光を放つ奇妙なデザインの首輪。
「シエル様っ、今お外し致します」
躊躇いもせず、禍々しい首輪に触れるドロテア嬢。
だが、その途端、凶悪な力がドロテア嬢を襲い、首輪に触れたドロテア嬢の右手の手首から先が吹き飛んだ。
今度こそ止められない悲鳴が見守る者達から上がり、会場はヒステリックな聖女の絶叫も相まって阿鼻叫喚である。
「・・・ロ・・・シ、も・・・いい、殺し、て・・・わた、しを」
「嫌ですシエル様っ、どうか、どうかっ」
「頼、む。聞・・・いて、必ず、ま・・・」
「シエル様⁉」
「早、く、ロシー・・・頼むっ」
「承りました。シエル様。貴方様のお望み通りに」
ドロテア嬢がシエル殿下の懐剣を取り出す。
将来を近い合った二人は深い信頼と強い絆で結ばれていた。
だからシエルは、隠し持つ懐剣の場所をドロテアに教えていたのだ。
「シエル様、愛しています。誰より、いつまでも」
涙とともに、シエル殿下の胸にドロテア嬢が残った左手で握った懐剣の刃が吸い込まれる。
片手では押し込みきれないと、ドロテアは愛するシエルと身体を重ねるように体重をかけた。
そして、熱く冷たい暴風に巻き込まれたかのような感覚。
聴覚が麻痺して叫びが遠くなり、最後に感じたのは大きな衝撃。
おそらく、暴走した膨大な魔力の爆発。
そこまでが、ドロテア・マリーローズという、前の人生の記憶だ。
✛✛✛✛✛✛✛✛✛
高校二年の冬、両親が事故で亡くなった。
その時、私は今の「御影 せと香」という人生の、前の人生を思い出した。
最初は第三者視点で、長い映画を観ているような感覚。
そして、段々と意識が甦るように、前世の自分の主観で感想を持つようになり、視点も自分に切り替わった直後には終焉となった。
前世の私は、ミルステラ王国の公爵令嬢ドロテア・マリーローズだった。
荒唐無稽にも、私の前世は魔法も存在するファンタジーな異世界のものだ。
思い出しても然程パニックに陥らなかったのは、そんな作品が溢れた日本の若者だからかもしれない。
昨日までの私は、多分ごく普通の一般的な日本人の女の子だった。
少しばかり大人しい方だったとは思う。
誰に教わったわけでも無いのに、所作に品があると言われたり、姿勢はよく褒められた。
そのせいか、同年代の子たちからは遠巻きにされていたかもしれない。
両親は亡くなったけど、住む場所と生活資金に不安は無い。
多分、一人残された未成年としては、とても運の良いことなんだろう。
前世を思い出したことで、「両親を亡くした一般的な日本人女子高生」らしいショックや孤独感や悲愴感は覚えずに済んでいる。
この人生での生活に不満は無く、産み育ててくれた両親にも、とても感謝している。
けれど、悲しみも孤独も辛さも、前世で愛する人を自ら殺した記憶を凌ぐものではない。
私は、とても恩知らずで薄情な人間なのだろう。
思い出すと、誰より逢いたい「失ってしまった人」は、両親ではなくシエル様なのだ。
手持ち無沙汰に右手に掴んだスマートフォンで、何の気無しに「ミルステラ王国」と検索した。
そう言えば、前世では最期は右手を失っていたな。
ぼんやりと画面を眺めてスクロールしていけば、目に留まる文字列。
私の、遠いけれど強烈な記憶を刺激する文字列。
ミルステラ王国。シエル王子。悪役令嬢ドロテア・マリーローズ。
「昔の、乙女ゲーム?」
よく調べてみると、随分と前に発売された女性向け恋愛シミュレーションゲームで、当時はゲーム機に合わせたソフトで販売されていた。
ダウンロード版を探すと、時間はかかったけれど、「復刻版詰め合わせ⑥」と銘打たれた、ジャンルもごちゃ混ぜの「昔の二流、三流ゲームで暇潰しにオススメ」とコメントされたパッケージの中に目当ての物が見つかった。
『救世乙女は愛の魔法で闇を照らす』
タイトルと表紙の絵に時代を感じる。
内容は、異世界に召喚されたヒロインが、ミルステラ王国で出会う素敵な男性達と、彼らを悩みや苦しみから解放しながら愛され絆を深めて行き、その『愛の力』で世界が救われる?
よく分からないので、取り敢えずプレイしてみた。
ヒロインにはデフォルト名が無いようで、設定しないと各ヒーロー達が好感度によって勝手に付ける呼び方になるみたい。
古いゲームだから音声は無し。
パッケージ裏に声優紹介欄があるから、一応エンディングだけでも声優さんが喋るのかな?
設定しなくていいならスキップ。
「・・・どう見ても、メイン攻略対象がシエル様」
絵柄が古いし二次元だけど、どう見ても、私の最愛の婚約者だったシエル様御本人にしか見えない。
「えぇ・・・私、酷すぎない?」
悪役令嬢ドロテア・マリーローズ公爵令嬢。
同姓同名で髪の色も目の色も、大体の顔立ちも、前世の私だと思う。
ただ、・・・コレ、私だと思いたくない。
下品過ぎる、趣味が悪過ぎる、台詞が頭悪そう、その他諸々。
いや、如何にも王道の悪役令嬢の人相風体と態度と台詞ではあるのよ?
けど、シエル様はほとんどそのまま変わりないのに、どうして私はここまでキャラを悪役令嬢っぽく作り込まれてるの・・・悲しい、というか恥ずかしい。
これはゲームだと、創作だと分かっているのに、「ドロテア・マリーローズ」が動いて台詞が表示される度に、どうにも形容し難い羞恥が込み上げる・・・。
「え、嘘。お兄様も全然違う」
羞恥に耐えながら、最初は当然シエル様のルートからプレイした私は、エンディングで「悪役令嬢」が断罪されるシーンで出て来た、前世の兄、ミカエルと同じ名前と外見の脇役キャラの表情を見て呆然とする。
私はお兄様から、あんな憎々しげな目で見られたことなんか無かった。
私とお兄様は、お父様が呆れるくらい仲の良い兄妹で、こっちの世界だったら「シスコン」とか「溺愛」と確実に言われるくらいだった。
幼い頃から嫌いだったとか、軽蔑しかしたことが無いとか、家の恥とか汚点とか、もしも私がお兄様に実際に言われたらショックで失神しそう。
いや、確実にするしトラウマになる。夢にも出て来そうだし不眠になりそう。
シエル様ルートは、王道を意識したのか「悪役令嬢と婚約破棄して断罪、後、新しい婚約者として王太子妃へ」だった。
現実を考えたら、異世界から来た庶民の女の子を教育する暇も無く王太子妃に、って有り得ないと思うけど。
まぁ、ゲームだし。
気を取り直して次の攻略対象。
「うーん・・・このゲーム見つけた時から可能性はゼロじゃないと思ってたけど・・・」
前世で全ての元凶となった聖女ピノアは、多分、この世界から転移した日本人女性だと思う。
前世では記号にしか見えなかったけど、ピノアは漢字で「純乃愛」と書いていたのを覚えている。キラキラネームだったんだね。
私も人のことを言えない特殊な名前の気がするけど。
「やっぱり、このゲームをプレイしたことがある人だったんだ」
ゲームの中の「年上騎士タイプ」の攻略対象は、第二近衛隊の隊長セオドア・ボルドン様。
こちらも私の記憶にある方と同姓同名で姿形も似通っている。
前世ではセオドア様の妹君モニカ様と、刺繍が縁で互いに「親友」と呼び合うくらい親しくさせてもらっていた。
セオドア様も私のお兄様同様、妹を溺愛するシスコンだったので、モニカ様の親友の私のことも、何くれと無く気にかけてくださったのだ。
前世の私にとっては、第二の兄のような方だった。
私は前世で、ピノアが騎士の鍛錬場を睨みつけながら「テッドのくせに! さっさと溺愛して来いよ!」と吐き捨てていたのを聞いたことがある。
当時は、「テッド」とセオドア様が繋がらず意味不明だったが、どうやらゲーム中では、セオドア様の好感度が上がるとヒロインに「テッド」と呼んでほしいと強請って来るようだ。
モニカ様も私も「テオ兄様」と呼んでいたし、シエル様も「テオ」呼びだったので、惚れたヒロインだけの特別な呼び方を望んだということ?
何だかセオドア様らしくない気がして違和感があるけど。
そしてセオドア様ルートも、悪役令嬢ドロテアが断罪されて無事終了。
セオドア様ルートでは、婚約者でもないのに、ドロテアはセオドア様に破廉恥な格好をして媚びに行き、妹だと知らずに、セオドア様に優しくされるモニカ様に嫉妬して扇で打擲。
その傷を治すのがヒロインで、そこから愛が育まれて行く話。
ヒロインとセオドア様が結婚して、モニカ様からも祝福されるエンディング。
もうゲームのドロテアを自分と重ねて見ちゃいけないと思った。
モニカ様を打擲なんて、脅されて強制されても私はやらない。
次は「クールな宰相補佐官」?
見た目と名前は前世の幼馴染みなんだけど・・・。
キース・イライブ様。
私の知っているキース様は、シエル様と私の幼馴染みで、お父様は確かに宰相閣下だった。
でも、キース様は宰相補佐官ではなかった。
キース様はシエル様の最も近くに在る側近で、王太子のシエル様と各部署の繋ぎ役として王城中を駆け回っていたっけ。
子供の頃、背が小さくてふくよかだったキース様は、十五歳の時、一年で一気に三十センチくらい身長が伸びたので、人前では澄ましていたけど私達の前ではよく成長痛で痛がっていた。
それからも身長は伸び続け、ピノアが現れた頃にはすっかり「細身で長身の麗人」というゲームと同じ外見になっていたと思う。
私は前世でキース様が誰かから愛称で呼ばれているのを聞いたことは無かったけど、ゲーム中では好感度が上がるとヒロインに「キキ」と呼んで欲しいと言ってくる。
いや・・・キース様のキャラじゃないよ。「キキ」って誰? ゾワゾワ鳥肌が立ちそう。
でも、「キキ」も私は前世でピノアが回廊の柱の陰で悪態を吐いていたのを目撃した時に聞いている。
確か、「ツンデレキキ、いつになったらデレるわけ⁉」だったと思う。
そうか、キース様は「ツンデレ」枠なのか。全然違うと思うけど。
真面目だし対人関係も誠実だから、ツンデレみたいな失礼な態度を人に取ることは無かった。
キース様も悪役令嬢を断罪してエンディング。
キース様の時にもお兄様と協力して断罪するんだな。因みにシエル様は、全ルートの断罪現場に参加しているらしい。婚約者だもんね。
キース様には、子供の頃から自分を馬鹿にしていた悪役令嬢ドロテアが、背が伸びた途端に擦り寄って来ていた。
ある日、たまたま図書館へ案内しただけのヒロインをドロテアが、「キースに群がる身の程知らず」と階段から突き落としたのを、助け起こして姫抱きで運んだことからヒロインとの親しい交流が開始、という流れ。
結婚して父の後継者として宰相になることが決まってハッピーエンド。
ミルステラ王国の宰相は、世襲じゃなかった筈だけど・・・。
さて次は、と。
「え⁉ 嘘でしょ⁉」
思わず叫んでしまった。
「ヨーグって、暗殺者だったの⁉」
攻略対象の一人となっている悪役令嬢の従者ヨーグの「本当の職業」が暗殺者だった。
いや、でもキース様も前世の実際の職業はゲームと違ったし、ヨーグも・・・あれ、何か、ヨーグは「実は暗殺者でした」って言われても、納得出来るような・・・?
ヨーグは前世で私の従者だった。
子供の頃、兄と買い物に街に出掛けて逸れた時に、怪我をして行き倒れになっているのを見つけたから連れて帰ったのだ。
とても器用で物覚えが良くて、私が王太子妃となった後はシエル様に仕えるという話が進んでいたけど・・・アレ、今思うと多分、シエル様の裏向きの仕事に携わることになっていたんだろうなぁ。
いつもニコニコしていたけど、隙が無い佇まいだったし、気配が全然無くて驚かされたことも何度もあった。
「いやぁ、止めてドロテアー」
ヨーグの回想シーンでは、主のドロテアに「躾」と称した暴力を振るわれ、屈辱的な言葉を吐かれるシーンが繰り返される。
「拾ったから自分の物って、ヨーグは人間だよ」
ゲームの中のドロテアの感性とは、どうしても相容れない。
その顔と名前で、私の大事な従者を侮辱しないで! 痛めつけないで!
私にとっては、ヨーグも幼馴染みの一人だ。
身分差があるから表立って口にすることは叶わなかったけど、子供の頃からずっと側に居て、王太子妃教育で躓いたり、悔し泣きしたり、自分が情けなくてやさぐれた愚痴を溢したり、そういう時に、いつも寄り添ったり背中を押してくれた、大事な友達。
ゲームの中でヨーグを虐げ、恨みを買っていたドロテアは、ヒロインの殺害計画の証拠をバラ撒かれ、まずは社会的に破滅(夜会で断罪とシエル様との婚約破棄)する。
ヨーグとヒロインの出会いは、ドロテアの折檻で常に傷を負っているヨーグを治療したこと。
優しいヒロインがいつも気にかけて心配してくれることで、愛に飢えていたヨーグはヒロインにのめり込み、執着して行く。
殺人計画の証拠をバラ撒かれ社会的に破滅したドロテアは、幽閉中の公爵家の地下牢に忍び込んで来たヨーグに殺される。
その後、何食わぬ顔でヒロインを迎えに行ったヨーグと結婚式を挙げるところで終わり。
そう言えば、屋敷の離れにあったなぁ。地下牢。
お父様の代では使ったことが無いって言ってたけど。
使ってないなら掃除も補修もしてないと思うけど、使用に耐えるのかな?
それとも、ゲームの中ではドロテアが頻繁に使ってたとか?
関係無いけど、シエル様とヨーグはヒロインに呼んでもらいたい愛称が無いんだなぁ。
あれ?
前世の最期の記憶、個別ルートを一通りクリアしてから思い出すと、かなりおかしい。
あの夜会、セオドア様は王族席の警護に付いていた筈だから、立ったまま魂の抜け殻みたいになっていた近衛騎士の一人がセオドア様だったのかもしれない。
でも、キース様とヨーグは?
キース様は身分的に、あの夜会には参加していなければならないのに、現場の記憶の何処にも見当たらない。
ヨーグは私の控室までは一緒に来ていた筈。会場の異変は、あれほどの悲鳴が響き渡っていたのだから、ヨーグなら絶対に察知していた。
ヨーグは私の危険を察知していて、私の居る場所に駆け付けないような従者じゃない。
でも、あの時、ヨーグは会場に来なかった。
一体、あの場で起きたことは何だったの?
ゾワリ。
背筋が寒くなり、思わず両腕を擦った。
ルートはもう一つ残っている。
四人の攻略対象全員を攻略すると開かれる、逆ハーレムルート。
現実では有り得ないと思うけど。
逆ハーレムルートは、流石に攻略サイトを探して参考にした。
個別ルートでは特に必要を感じなかったけれど、逆ハーレムルートはドロテアの行動を推理しながら正しい選択をして進めて行かないと、序盤でも「ゲームオーバー」になり、ドロテアの企みの内容までさえ辿り着けない。
逆ハーレムルートでは、最初からヒロインが四人の攻略対象達と協力し合う形で進むので、スタート時点で既に四人全員と関わりのある状態。
悪役令嬢ドロテアの企みを阻止するために調査などの行動を取り、ヒロインが選択肢で攻略対象達へ指示を出す。
「邪神の依代?」
やっと判明したドロテアの目的は・・・古代の邪神を生贄に降ろし、その身体を邪神ごと支配することで神と同等の力を手に入れること・・・。
「これ・・・」
画面をタップする指先から冷たくなっていく感覚。
心臓が、バクバクと痛いくらい鼓動する。
「全部、ゲームの知識のせいだったの?」
ピノアがシエル様に嵌めていた『神従の首輪』は、ゲーム中に出て来るアイテムだった。
ミルステラ王国内の古代遺跡の、未発見の隠し部屋から発掘出来る。
神をも従える強力な隷属の効果を持つ古代神具。
序盤でドロテアは、百年以上前に禁忌の魔道具として全て廃棄された魅了効果付きの装身具の最後の一つが、当時若くして亡くなった王女と共に埋葬されていることを知り、王家の廟から盗み出そうとする。
王女と共に埋葬されていたのはネックレス型の魅了の魔道具。
異性のみが対象の魅了効果だが、王女の持ち物だっただけあって効果は強い。
ドロテアの行動を予測して王家の廟へ行くのを邪魔しないと、ドロテアが魅了の力を持つようになり、周囲の男性を魅了して遺跡に向かわせ、『神従の首輪』を手に入れてしまう。
そうなると、邪神の依代への降臨までは確定となる。
更に、ネックレスを手に入れたドロテアと攻略対象の接触を許してしまうと、攻略対象が徐々に魅了されてしまう。
一度でも接触を許せば、最初の内はヒロインの選択肢によって接触を防ぐことが出来るけど、接触回数が増えるほどドロテアに傾倒し、やがてヒロインを振り切ってドロテアの元へ去ってしまう。
魅了を防ぐ為には、ネックレスを手に入れたドロテアが接触して来る前に、ヒロインへの好感度を七割以上まで高めておかなければならない。
攻略サイトによれば、魅了にかかりやすいのは補正値の無いセオドア様とキース様。
王族のシエル様は、王家の血のお陰で精神干渉魔法が効き難いという設定で補正がかかり、ヨーグはドロテアへの嫌悪感が強過ぎるので、ドロテアが身に付けた魅了魔道具の効果が薄まるという補正があるらしい。
攻略対象を半分、つまり二人ドロテアに奪われてしまうと、そこで強制的にバッドエンド。
二人の攻略対象に守られたドロテアの企みを阻止することは出来なくなり、生贄に降ろされた邪神は依代ごとドロテアの支配下に入り、世界はドロテアの玩具になる。
序盤のゲームオーバーでは、何のヒントも無しに「GAMEOVER」と画面に表示されるだけだったけれど、このバッドエンドは「ドロテアの玩具になった世界」のスチルが何枚も切り替わる。
「アンデット化してたのね・・・」
ドロテアに命じられるまま、邪神は人々をアンデット化して眷属に変える。
邪神がドロテアに隷属しているから、邪神の眷属もドロテアが自由に動かせる駒となる。
魂の抜け殻になったように描かれる、ヒロインとのハッピーエンドではドロテアを断罪する側に居た脇役の人達。
邪神の依代として描かれているのは、完全に「名もなきモブ」扱いなのだろう。
目鼻もしっかり描かれていない、簡素な服の、多分男性。
首元だけは、しっかりと描き込んであり、私の記憶にもある『神従の首輪』が嵌められていた。
あれ、外そうとして触ると触れた部分が吹っ飛ぶんだよね。
あの時は必死で痛みも感じなかったけど、指先が触れただけで、手首から先が消滅する衝撃波が放出されたような感じだった。
嵌められた当人は触っても衝撃波で消し飛ぶことは無いだろうけど、どういう仕組なんだろう?
あの時も、消し飛んだのは私の手だけで、シエル様の方には衝撃波の影響は無かった。
「シエル様・・・。お会いしたいです」
思い出すと勝手に出て来てしまう泣き言に、情けなくなって唇を噛んで俯くと、足下から眩い光が立ち昇り、光の柱は見る見る私の全身を包み込んだ。
「え?」
あまりの眩しさに耐えきれず目を閉じ、人の腕に捕らわれた感触に急いで目を開けると、そこには、
「シエル様?」
「お帰り、ロシー。いや、マイ・ディア。今の君の名前は?」
「え? あの? せと香、です」
「そう。可愛い名前だね。その姿もとても似合っているよ。私のディア」
夢、にしては、感触がおそろしくリアル。
ディアって、ヒロインの名前を設定しなかった時に、ゲームのシエル様が好感度マックスでヒロインを呼ぶ呼び方だ。
「あの・・・?」
「うん。説明するよ」
「お願いします」
✛✛✛✛✛✛✛✛
説明の前に、シエル様がピノアを伴い婚約者だった私を遠ざけていたのは、「聖女が他国へ行かないよう、ピノアの望みを叶え歓待せよ」という王命によるものだったことを伝えられ、それによって私を不安にさせたことへの謝罪をいただいた。
「いえ、国に現れた聖女を逃さないよう動くのは、王族として当然ですから」
それは当時の私も想像していたし、仕方のないことだと自分を納得させるよう努めていた。
聖女とは、この世界に迷い込んだ異世界人が女性だった場合に付けられる呼称だ。男性であれば「聖者」と呼ばれる。
この世界には大体百年に一人、異世界から異世界人が迷い込んで来る。
迷い込んで来る元の世界は様々であり、ピノアが来た「地球」は、文献に残っている限り過去に例の無い新規の異世界だった。
見知らぬ世界へ身一つで迷い込む異世界人へ、この世界の神が慈悲として授けるのが『強力な治癒の力』だ。
神の慈悲は、異世界からこの世界へ、境界を通過した時点で自動的に授けられる。
その力があれば、異世界人自身も死に難いだろうし、生きるために必要な財を稼ぐ助けにもなる、ということらしい。
異世界人が神の慈悲で授けられる治癒の力は、この世界の人々が持つ治癒魔法とは別格の効果が有り、治癒魔法では不可能な欠損や古傷の完治まで可能なのだ。
自国に現れたならば、手放す判断をする王は居ないだろう。
「それでも、私に必要なのは、聖女ではなく君だったんだよ」
二度と離さないと言うように、ぎゅっと私を抱きしめてシエル様は言う。
私が居るのはシエル様のお膝の上だ。再会の初期状態から変わらない。降ろしていただけないのだ。
その姿勢のまま始まった『説明』は、とても深刻な内容だった。
ピノアはミルステラ王国の聖女として保護されて直ぐ、「祈りを捧げたい」などと嘯き、王家の廟へ案内させ、「祈りに集中したい」と人払いをして、王女と共に埋葬されていた魅了のネックレスを手に入れていた。
城で暮らしている間、ネックレスの力で周囲の男達を魅了し、頻繁に問題行動を起こしていたが、周りは「聖女の力を他国に取られない為に王が許しているのだろう」と考えて黙認してしまっていたそうだ。
シエル様も、側近のキース様や護衛のセオドア様が魅了にかかった様子が無いので、城の男達がピノアに傾倒していることを苦々しく思っていても、まさか異世界人のピノアが王家の廟に埋葬された禁忌魔道具の存在を知っているとも思わず、事態をそこまで深刻に捉えていなかった。
しかし、シエル様達に魅了が効かないことに焦れたピノアは、魅了で言いなりの男達を動かして古代遺跡へ向かわせ、『神従の首輪』を手に入れた。
そして、魅了した男達に押さえ付けさせたシエル様に、無理矢理装着した。
魅了が深まるほど、元の人格は薄くなって行くらしい。
元は持っていた忠誠心や思慮深さ、真面目さや誠実さ、慎重さや自分への厳しさ、他人への優しさ、そういった性質が、魅了が深まるに連れ薄まり、魅了した者が望む人格に書き換えられて行くのだと言う。
魅了のネックレスの詳しい効果を知らなかった私は、ゲームの中の違和感に納得した。
ゲームの中のセオドア様とキース様の愛称や、「ツンデレ」の性格は、魅了で書き換えられた人格・・・ん?
ゲームの中でセオドア様達が愛していたのはヒロインで、魅了のネックレスを所持していたのは悪役令嬢の筈。
これは、後でシエル様に相談しよう。
あのゲームのことは、シエル様の説明を聞いた後でお話するつもりだった。
シエル様は『神従の首輪』を嵌められた最初の内は、ピノアに逆らうことが出来なかったらしい。
その最初の内に私に危害を加える命令をされなくて良かったと、またぎゅっと私を抱きしめた。
それでも少しずつ、完全にピノアの言う通りには行動しないようになって行くシエル様に、ピノアは怒って邪神を降ろしたそうだ。
『アンタなんか見た目と身分があれば良いんだよ! あたしの思い通りにならない中身なんか邪神に取り替えてやる!』
そう、ピノアが叫んだ後、シエル様は再びピノアの命令に逆らえなくなった。
シエル様の中に降ろされた邪神が、ピノアに従うことを選んだからだ。
そして、夜会の前、シエル様はピノアの命令で、陛下や妃殿下、近衛騎士達、シエル様の側近達をアンデット化した。
本人の非常に強い意思でアンデット化に抵抗した者は、アンデットと化すこと無く、本当の死を迎えた。
邪神のアンデット化の力に抵抗し、本当の死を迎えた者の中には、キース様とセオドア様も居たそうだ。
あの並び立つ魂の抜け殻のような近衛騎士達の中に、セオドア様は居なかったのだ。
そして、キース様が会場に現れなかったのは、あの時既に亡くなっていたから。
その後、ピノアは私の控室で待機していたヨーグを見つけ、「やーっと見つけたけど、あたしの為に何でもやるイケメンの兵隊は、もう一杯手に入れたし。アンタもういらないわ」と言って、シエル様にヨーグを殺させたそうだ・・・。
ピノアは何故か、会ったことも無い筈のヨーグの名前と存在を知っていて、自分の物にしようとしていた。
だから、私と共にしばらくの間、城に近づかないよう、シエル様はヨーグに命じていた。
けれど、あの日の夜会は私も公爵家の令嬢として参加が義務となるものであり、不穏な噂からヨーグも「絶対に付いていきます」と言って控室まで同行していた。
そして、悲劇は起こった。
気遣うように私の手を握るシエル様が、少し震えているようで、安心してほしくて私も手を握り返し、シエル様に身を寄せた。
ほぅっと、安堵の吐息が聞こえて、私も満たされた。
夜会の会場には、本当の死を迎えずアンデット化した近衛騎士が配置されていた。
ピノアの計画では、もしも婚約破棄や断罪をされた私を庇う者が現れたら、そういう人々をアンデット化した近衛騎士で制圧し、殺すつもりだったらしい。
会場入りする前に、既にシエル様を通してアンデット化した近衛騎士達には、そう命令が下されていた。
あの時、シエル様に駆け寄った私に、共に会場に居た筈の父と兄が寄り添えなかったのは、アンデット化した近衛騎士に阻まれていたからかもしれない。
あの異様な雰囲気の中で、私もシエル様しか見ておらず、後ろに居た父と兄を振り返ることをしなかった。
夜会の最中、シエル様は自身の中の邪神を抑え込むことに死力を尽くされていた。
そして、完全に抑え込むことに成功し、邪神の力をシエル様のものとして取り込んだ時、取り込んだばかりの邪神の力によって、『可能性のある未来』が視えた。
シエル様は、その『未来』に懸けることを決め、私に「殺してくれ」と願ったのだ。
「邪神の力を完全に私のものとして使い熟すには、人としての私は一度死ななければならなかった。辛い役目を負わせて済まない。死ぬのなら、君の手にかかりたかった私の我儘だ」
「シエル様・・・」
シエル様は、完全に自身のものとした邪神の力を使い、私の魂を安全な場所へ隔離してから、この世界の時間を戻した。
隔離された私の魂とその器は、存在する場所との縁が切れたら記憶を取り戻し、記憶を取り戻した『私』がシエル様と会いたい想いを言葉にした時、シエル様の許に召喚されるように設定されていた。
両親が亡くなったことで向こうの世界との縁が切れた私は記憶を取り戻し、ゲームを知ってシエル様と会いたいと泣き言を口にしたことで、シエル様の腕の中に召喚されたのだ。
「そうだ。ゲーム・・・」
「ゲーム?」
伝えなければと思っていた、おそらくピノアが知識を悪用する元となったゲームの存在を、私はシエル様にお話しした。
召喚される直前までプレイしていたのだから、まだ記憶に新しい。
ゲームの話を聞いたシエル様は、「ふむ」と面白そうに頷くと、「なるほど」と悪いお顔で笑われた。
「おそらく、その『ゲーム』は、邪神の思念が異世界に漏れ出たモノを波長の合う人間が受け取り、創作物として商品化して世に出したものだろう」
シエル様によれば、今はシエル様の力の一部になっている邪神は、元は太古の上位神の一柱で、運命を司っていたらしい。
だが、世界の運命を気まぐれに玩び過ぎた神は、主神や他の上位神達から権能を大きく削がれ、邪神に堕とされた。
それでも昔の名残で、数十年程度ならば世界の時を戻したり、可能性のある未来を視ることが出来るそうだ。
ゲームのストーリーは、邪神が「この世界に起こり得る未来」として分岐して幾つも視ていた内容が、異世界に通じる穴から漏れ出ていたものではないかと思われる。
ゲーム中のセオドア様やキース様が魅了にかかったような態度をヒロインに取っているのは、シエル様曰く、
「あの二人は恋をしても節度を失うことは無いだろう。娯楽商品である『ゲーム』としては、面白味の無いそのままの奴らでは使えなかったのではないか?」
だそうで、私も妙に納得してしまった。
彼らの「魅了されたような態度」は、邪神の視た「起こり得る未来」の中に、二人が魅了されるものもあり、それが面白味があったので採用されたのだろう、と。
「ねぇ、ディア。気付いているかい? その『ゲーム』と、私があの時視て、懸けた未来が重なっていると」
「シエル様の視た未来、ですか?」
「うん。だから、必ず、また会えると言ったんだ。君は今、何歳?」
「え・・・、十七歳です」
「うん。私は今、いくつだろうね?」
「あ・・・れ・・・?」
言われてみれば、シエル様が少しばかりお若いような・・・?
「私が巻き戻した時間は、ドロテア・マリーローズの誕生の瞬間まで。今の私は十七歳だよ」
あの夜会の時、同い年の私達は十九歳だった。
二十歳になったら正式に婚姻が結ばれる予定で、あの頃は聖女の出現で一時的に停止されていたけれど、婚姻の式典の準備も進められていた。
「聖女ピノアが出現したのは、私達が何歳の時?」
「十九歳の時です」
「ゲームで『ヒロイン』が召喚されたのは?」
「シエル様とドロテアとキース様が十七歳の時、治癒の力を持つ同い年のヒロインが・・・あっ!」
「気付いたね? そう、『ヒロイン』は召喚されて現れる。聖女のように迷い込む異世界人じゃないんだ。あの女は現れた時、十七歳と自称していたが、あの阿婆擦れ具合からして怪しいものだ。アレは、最初から『ヒロイン』ではなかったんだよ」
確かに、自分が日本人として生まれ育ってみると、この世界に現れた時の聖女ピノアは、どう見ても十代ではなかったことが分かる。
いわゆる「西洋的な外見」のミルステラ王国の人々から見れば、「若く見える日本人」だから十七歳という詐称も大多数には怪しまれなかっただけで、日本人の感覚で見れば・・・オマケして見ても二十代後半、アラサーだ。
「あの、もしかして、ドロテアは・・・」
「想像通りだよ。今のドロテアの中身は、あの女だ。あの時、私は君の魂を安全な遠くへ隔離してから、あの場の人間達の肉体を全て消滅させて命を奪い、『ドロテア・マリーローズの誕生の瞬間』まで世界の時を戻した。君の魂は既に別の場所にあり、そのままでは死産となっていたドロテア・マリーローズの器に、肉体を消され魂だけで彷徨っていたあの女の魂を入れたんだ」
「じゃあ、ヨーグが・・・っ」
サァッと血の気が引き青褪めた私を宥めるように抱え込み、シエル様は耳許で謝罪と懇願を繰り返す。
「ごめん、ディア。これから助けるから、私を嫌わないで、お願い。君に再会出来るまでは、私は誰のこともどうでも良かった。君に軽蔑されるのが恐ろしいと思いながらも、君が嘗て大切にしていた者達を、延命措置をするくらいで悪女から救う気持ちまでにはならなかった。でも、もう怠けないから、君の大切な者達も君と共に守るから。お願いディア、私を見限らないで」
「そんなこと、しません。私が、どれほどシエル様に会いたくて、貴方が大切で、誰より愛しているのか、ご存知ではなかったのですか?」
「知ってる。・・・だから甘えてた。ごめん」
「今から、どうするかが大事です」
「うん。そうだね。愛してるよ、私のディア。これからのことを話そう」
それからシエル様がお話しくださったことは、驚きもあり、納得もあり、といったところだ。
今のドロテアの中身がピノアの魂であることを知っているシエル様は、ピノアが過去の記憶と「ドロテア・マリーローズ」の身分を使って動き始める前に、彼女が悪事に利用しそうな物を、先回りして回収した。
具体的には、王家の廟から魅了効果のネックレス、古代遺跡の隠し部屋から『神従の首輪』だ。
今のこの世界で時間が戻る前の記憶を持っているのは、時間を戻したシエル様と別世界に避難していた私、それと、元々この世界の人間ではなかったピノアだけだそうだ。
邪神の力を完全に我が物としたシエル様は、この世界に限るが、シエル様の知識の中に在る場所には転移が可能だそうだ。
その「知識」には取り込んだ邪神の物も含まれていそうな気がするが、敢えて訊かないことにする。
ドロテアが、ようやく自分で立って歩けるようになった幼児期には、既に最も厄介で強力なアイテムはシエル様によって回収済みだった。
私の時と同じく、やはりお母様は「ドロテア」を産んだことで亡くなっている。
そして、やはり同じ様に、誕生と同時に王太子シエル様との婚約が王命として出された。
しかし、私の時とは違い、父や兄とドロテアの関係は相当に悪いそうだ。
私の時は、「母を亡くした分、母親の分も愛情を」と、父からも兄からも相当に甘やかされ愛されて育った自覚がある。
今のドロテアは、「母が亡くなった原因」として二人から疎まれ、憎まれているらしい。
シエル様のお話しでは、「ドロテア」の態度や言動が、私の時と今では、あまりにも違い過ぎるせいだろうとのことだった。
今のドロテアの態度は、同情や憐憫も裸足で逃げ出す酷さなのだそうだ。悪辣、傲慢、愚か、強欲、残虐、無恥、その他あまりに良くない方向の評価が並び、一口では表し難い為に、「酷い」としか言えないほどらしい。
屋敷に仕える使用人達の間でも、「奥様は『悪魔の取り替え子』を産んだことで亡くなられたのでは」と囁かれているそうだ。
悪魔の取り替え子とは、怪談めいたお伽噺の一つだが、「悪魔が気に入った人間の魂を産まれる前に盗み、神様にバレないように、代わりに小鬼の魂を入れて去る」というものだ。
当たらずとも遠からず、とシエル様御自身も思うのか、何処となく気まずげに視線を逸らされている。
ピノアの魂を宿したドロテアは、私とは何もかも違う道筋を辿っているようだ。
刺繍など興味も無いので、モニカ様とは知り合ってすらいない。
セオドア様からは妹扱いではなく、「破廉恥な媚び方をする気持ちの悪い女」と思われている。
背が低くふくよかだった子供時代のキース様と親交を持たず、背が伸びた途端に擦り寄り嫌われている。
妃教育の進捗状況も苦情が来る有り様で、それ以前に真っ当な貴族令嬢としての常識すら備わっていない、当に「マリーローズ家の恥」の状態だとか。
シエル様との仲も、シエル様の側が嫌い「義務のみの関係」であることが、貴族のみならず国民にまで「周知の事実」となっており、それを陛下までが容認しているそうだ。
それほどまでに、今のドロテアの能力や振る舞いは、シエル様の妃として相応しくないと判断されているということ。
シエル様とドロテアの婚約が未だ維持されているのは、「王命の撤回」という、「陛下の判断ミスを公にする決断」を王室が下せないためではないか、という憶測が社交界で密かに囁かれているらしい。
そのような憶測が囁かれるとは、「ドロテア」の振る舞いは陛下の求心力にまで影を落としているのか。
ただし、ゲーム知識からだろう。ドロテアは、幼少期に度々街に出ては同年代の男の子供を探す素振りをし、ある日ヨーグを連れ帰って従者にすると宣言した。
ドロテアを見張らせていたシエル様が、「死なせないように」と配下の者に密かに手当をしたり水や食料を与えさせているらしいが、ヨーグの扱いは酷く、奴隷のようなものだそうだ。
どうやらドロテアは、最初からゲームのヨーグのような「隠密行動も護衛も出来る完璧な従者」であることを求めているらしく、ドロテアの要求レベルに達しないヨーグを罵倒し、痛めつけていると言う。
王家の廟に忍び込ませ、王女と共に埋葬されたネックレスを盗み出すよう命令したり、古代遺跡へ『神従の首輪』を発掘しに行けと命じたりもしたらしい。
それらの命令は、密かに見守っているシエル様配下の者がヨーグから相談を受け、命令を実行したことにしてレプリカを渡すことになったそうだ。
だから今、ドロテアの手元には、魅了のネックレスと『神従の首輪』のレプリカがある。
本物を見ているシエル様監修のレプリカなので、ピノアの記憶を持つドロテアにも偽物だとバレていないらしい。
ドロテアは既に魅了のネックレスを身に着けているが、レプリカなので当然、何の効果も無い。
だが、ゲーム知識があることで「元々嫌っていると補正値がある」と思い込んでいるであろうドロテアは、持って来たヨーグに八つ当たりはするものの、偽物だとは全く思っていないようだ。
現状の説明の後、シエル様は、とってもお腹の黒そうな笑顔を浮かべられた。
「これから君を『神がこの世界へ召喚した愛し子』として披露する。『ゲーム』の知識を持つあの女が、どんな顔をするか見ものだね?」
「ゲームの『悪役令嬢』のような行動をするのでしょうか」
「するだろうね。そもそも、その『ゲーム』の配役は、邪神が視た『可能性のある未来』の中の今現在の状況のものだ。『ヒロイン』は君だし、『悪役令嬢』は君だったドロテア・マリーローズじゃない」
嗚呼・・・。
私はシエル様のお膝の上で、両手で顔を覆って俯いた。
「どうしたんだい? ディア」
「やっと、安堵いたしました」
あの『ゲーム』を知ってから、そして、それが「可能性のある未来」の一つであったと知り、
もしや私が、何か心構えの一つも違えば、何か一つでも異なる事情があれば、
──何処かで『ゲーム』のように選択肢を違え別の分岐を選んでいたら・・・。
私は、『悪役令嬢』ドロテア・マリーローズのような考え方や振る舞いをする人物になっていたかもしれない。
私の中には、あのような、怪物のように恐ろしい欲望を抱く人格が眠っているのではないかと。
──私は、『私自身』が恐ろしかった。
「もしも、あれが私自身の異なる未来の姿であるならば、私はシエル様のお側には居られない。居ることを私自身が許せないと、思っておりました」
嗚咽混じりに抱えていた不安を吐露する私を、囚えるように抱き囲うシエル様は、私の頭の上で「愛しくてたまらない」と囁くと、頭頂に口付けを落とす。
「大丈夫だよ、私のディア。君がああなる未来は何処にも無い。私の側に居るべきではない『ドロテア・マリーローズ』は君じゃない。だから、君は私の側に居てくれるね?」
問いかけの口調で、「はい」以外の返答を許さない声。
勿論、許されるのならば、私は何処までもシエル様のお側に居たい。
「はい」
「いい子だね。マイ・ディア」
満足そうな口調は、甘く蕩けるような声で。
「君は私の側に居るんだ、ディア。ずっと。───もう、放さないから」
はい、と答えることも出来ないほどに、深く抱き込まれて、「ずっと」の言葉から、外の音が聞こえなくなる。
これから、あの『ゲーム』のような展開が待っていて、『悪役令嬢』による攻撃が始まったとしても、シエル様と再び逢えた歓びが、私の中の欠けて空虚な心の闇を、全て埋めて甦らせた。
もう、何があっても耐えられる。乗り越えられる。
シエル様と共に在れるならば。
いつもの如く、一途と言えば聞こえの良い執着強めのヤンデレ風ヒーローです。
多分、近い内にシエル目線も短編で書きます。