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ロスト・ファンタジー

 ファンタジーは潰えた。

 古代から現代までの歴史において未開の土地なんてものは既になくなり、全ての謎は科学によって解決されていく。今となっては宇宙や深海でさえもその限りではない。

 俺たちは、そんな搾りカスのような「失われた世界」の中で生きている。



 俺は、人の世界観を覗く事が出来る。



「ねえ聞いたー? 新曲!」

「聞いた聞いたー、やっぱり彼女の世界観は最高だよねー」


 教室の後ろから聞こえてくる姦しさから避けるように、俺は机に覆い被さるような姿勢でイヤホンを耳へと入れた。

 必要なのは、集中。

 対象を補足し、意識を一気に極限まで傾ける。

 それだけで俺はその人間の世界観へと入り込む事が出来る。


 ……だからといって、別に何かをするわけではない。他人の世界観を盗み見て、馬鹿にして、時には感動して。


 ただ、それだけの日々を送っていた。



「我が国が日本という名前を捨て、第九地区となったのは六年前――」


 代わり映えのしない四時間目の授業が始まる。

 俺はぼうっと現代史の授業を聞き流しながら、今日は誰の世界を覗き見るかなんて事を考えていた。


 ――世界観。


 俺の能力を正しく理解するためには、世界観という言葉について詳しく知る必要が存在する。

 それは、世界観という言葉には二つの用法があるからだ。

 世界観とは本来、「この世界にとっての自分の存在意義」を見出すための哲学的な学問の総称であり、「あのアーティストの世界観」といった使い方は誤用である。

 しかし俺はあえてその誤用を用いている。

 ……と、格好つけてはみたものの良い表現が見当たらなかっただけなのだが。





「――ねえ」

「……え?」


 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 眠い眼を擦りながらふと腕時計に目を見やると、四時間目は既に終わり、昼休みへと入っていた。

相楽さがら」の奴が何で俺を起こしてくれなかったのか考えていると、目の前の見慣れない少女と俺が教室中の視線を集めている事にようやく気が付く。


「ねえってば」


 ……不思議な魅力を持った少女だった。

 両手を俺の机に突きながら俺を呼びかけるその姿は、宛らこれから冒険を始める勇者を導く妖精のようである。


「あなたが、ハヤサカミナト?」

「え、ああ。そうだけど……」


 しどろもどろになりながら俺は何とかぼうっとしたままの頭を働かせる。


「だったら話が速いわね、あなた詩を書ける?」

「詩、って……」

「書けるわよね。書けたらこの連絡先に送ってね、それじゃ」


 言いたい事を言い終えたのか、彼女は俺に背を向けると入ってきた扉に向かって迷わず歩を進めていく。


「ま、待てよ! 一体何が何だか……」

「待てない」


 ――くそッ。

 いきなりやって来て詞を書け? 

 そっちが理由を言わないなら勝手に俺が調べるまでだ。俺は咄嗟にそう自分に言い聞かせてその少女に意識を集中させて目を瞑る。

 次の瞬間、俺の意識は現実空間から途絶える事となった。






『目が覚める。

 どんな世界に繋がった? そんなちょっとした期待を胸にそっと目を開く。


「――へ?」


 間の抜けた言葉と供に一陣の風が舞い上がり、ダイレクトに俺の肌を撫でて行く。

 在り得ない。直観的にそう思った。

 俺は今、現実世界で目の前に居た少女の世界観を覗いているはずなのである。

 それゆえに何が起きるかは分からない。しかし普通は自分の部屋や学校の教室など自分にとって最も落ち着いている場所がほとんどだった。

 稀にこういったケースは存在した。

 クラスメイトの「夢野ゆめの」の世界観は妙な閉鎖空間であり、脱出に苦労したものだ。


 しかし、それはこんなにリアリティがあっただろうか?

 それはこんなに、広大だったか?



 俺の目の前には、現実ではおよそ在り得ないファンタジー空間が広がっていた。



 登り続けている。

 果てしなく広がる大自然の象徴とも言える雄大な山岳を。

 人の世界観で登山を行う前代未聞なこの状況を何と表現すればいいのか、俺はおよそ頂上の見える事のない山道を延々と登り続けていた。


「……あんたさ、何してるの?」


 一瞬自分の見た光景が信じられず、思わず後ろを振り返る。

そこには、この世界観の主がプカプカと空を浮かんでいる姿があった。


「……見て分からないのか? 登山だよ」

「あのね。人の心の中で登山されても困るんだけど」

「……それは謝る。けど帰り方が分からないんだ、しょうがないだろ?」


 今までは俺がその人間の世界観の構造を掴む事で自然と帰り道が分かった。けれどこの世界は広すぎておよそ俺の頭に収まりきらないのだ。


「そんな事を私に言われてもねー。何? って事はあんたもしかして私の心が広すぎて迷子になっちゃったわけ?」

「お前は赤ん坊の描いた絵が何かを理解出来るのか?」

「……あっそ、助けてあげようかなって思ったけどもっと簡単に起こしてあげるよ」


 言葉の続きは聞こえなかった。

 少女の表情が一変し、ふわりと頭上を舞ったかと思うと俺の身体はいつの間にか一身に重力を感じ取っていた。

 瞬間、俺の頭部には多大な衝撃が走る。

 何が起きたのか一瞬分からず上を見上げる。そこには少女が俺の脳天に踵落としを決めている姿があった』






「痛え!」


 思わず椅子から立ち上がり、抑えきれない頭部への痛みを漏らしてしまう。

 言わずとも自分に視線が集まっているのが分かった。

 同時に既に昼休みは終わっていて、自分がとんでもない過ちを犯してしまった事に気付く。

 小学生の時なら誰もが笑ってくれたこの光景。

教師も何だかんだ言いながら許してくれて、しかしそんな時代は既に過去だ。


「早坂、お前は授業を舐めているのか?」


 タイミングも不味かった。

 聖王学園二年十二組の担任、権田宗一郎。つまり俺のクラスの担任である権田がゴミを見るような眼で俺の顔を覗き込んでいた。


「そうしたお前ら一人一人の怠慢が、この世界の破滅に繋がるんだぞ?」


 真剣にそう諭すその言葉に俺は何も反論する事が出来ない。

 何故ならそれが、正論だからだ。



 ――今から六年前、俺がまだ小学生だった頃に、地球は新たな時代を迎える事となった。

 事の発端は第一地区――、当時ではアメリカと呼ばれていたその国の航空宇宙局、『NASA』が突如地球に向かって飛来をし続けている彗星を発見した事にあった。

 彗星は当時から十二年後……、つまり六年後に地球に衝突し人類は滅ぶ。

 それは避けられようのない事実らしい。

 世界中が混乱を極め、幾重にも及ぶ会議の中ついに具体的な解決案が掲げられる事となった。


『――我々は、日本国の科学者「サトル・アマミヤ」の導き出した解決策の元、本件の解決に向けて行動をする事を決定した』


 偶然にも、そこに選ばれたのは日本人だった。

 世界が一丸となって彼の考案した「他惑星へのテラ・フォーミング」計画に向けて邁進する事で十二年後の彗星衝突に間に合う、そういった物であった。

 俺たちは残り約二年間の学習過程を終えた後、雨宮聡の開発したプログラムによってより効率的に人類の科学力を発展させるための義務となる役割が割り与えられる。


 娯楽は無くなったのだ。


 俺たちは、コンピューターが作り上げたプログラムの中で生きている。



「私は自分や妻、娘のためにこの残る命の全てをお前たちの育成のために捧げるつもりだ。地球の破滅まで残り六年――、お前たち一人の一人の行動が人類の未来に繋がっているということにまだ自覚がないのか?」

「あります! 申し訳ありませんでした!」


 俺は必至で権田に頭を下げる。

 何故ならもしこの事が報告された場合、万が一にも俺は地球から棄てられる可能性があるからだ。





「いやー、それにしても災難だったな」

「まさか誰も早坂君が寝ている最中に雨宮さんから踵落としされるとは思わなかったもんね」


 本日の学習過程を全て終え、夜空に星が差した頃にようやく放課後が訪れることとなった。

 そんな中、俺と同じように教室に残る「岸和田相楽キシワダ」と「夢野芥子子ケシコ」に俺はあの少女の情報を尋ねる事にした。


「……それにしても、その雨宮って奴は何者なんだ?」



『聖王学園高等部二年一組、「雨宮麻心アマミヤマコ」』



 あの少女の事について分かったのはただそれだけだった。

 彼女の顔写真と俺の記憶は一致したものの、彼女の情報には全て厳重なロックがかかっている。


「私、ちょっとだけなら分かるよ。去年同じクラスだったし」

「俺も多少なら調べてやらなくもないな」

「前置きはいいからさっさと教えてくれ」


 俺の言葉に二人は顔を見合わせる。


「だったら来週の実技のコツを教えてくれよ!」

「……実技?」

「いやーホント助かったよ早坂君。最近ずっと実験室に籠ってたから全然授業受けれてなくって」

「そーそー、情報科のエリートの情報をタダで貰えるんだぜ? 安いもんだろ」

「……もういい、早くやってくれ」

「はーい」


 俺の言葉にまず夢野がデバイスを起動させる。


「大切なのはイメージだ。自分の伝えたい思考を切り取る感覚で言葉を紡げ」



『思考具象化プログラム』

 それは二年前、思想的・宗教的概念における意思疎通を簡略化するために開発された視覚・聴覚的に思考を展開する事の出来るシステムの名称である。

 全世界が科学力を結集させるためには様々な障害が発生する。今や当たり前に使われている、言語を即時翻訳するシステム『言語翻訳インターフェイス』もその一つである。



「行きます!」


 間の抜けた夢野の言葉と共に夢野のデバイスが藍色に輝き始める。

 次の瞬間、簡素な教室に消しゴムが降り注ぎ始めた。


「うはー、モネにまとまれくん。何でも落ちてくるな」


 相楽が落ちてくる消しゴムを拾おうとするが、当然その手のひらをすり抜ける。

 当たり前だ。何故ならこの光景は映像に過ぎないのだから。


「……夢野、お前何をイメージしたんだ?」

「いやー、ちょうど後で文房具屋に行こうと思っててね……」


 夢野は照れながら頭をポリポリと掻く。


「……まあ、これだけ出来るなら十分だろ。実技テストの場合は思考をどれだけ脳で単純化出来ているかが重要だしな」

「はいはい! 次は俺!」


 相楽は既にデバイスを起動していたようで、腕を天に振りかざして『思考具象化プログラム』を起動させた。


 それから先の事はあまり話したくはない。

 相楽の叫び声と共に現れた露出度の高い女性の映像により警備システムが作動し、俺たちは二時間の拘束の後、ようやく解放される事となった。





 俺はようやく帰って来た自分の部屋に鞄を落ち着かせると、二人から渡された雨宮麻心の情報に目を通した。


『世界的権威の技術者、雨宮聡の娘とされているが真偽は不明。

 しかし彼女の情報が厳重に規制をされている事から噂は確実と推定される』


「まさかあの雨宮聡の娘とはな……」


 そうするとあの世界観を持つ雨宮はいよいよ馬鹿か天才のどちらかなのだろう。

 俺は目覚めた時に机の上に乱雑な字で書かれていた「余計な事はせずにさっさと詩を書け!」というメモ書きと、手渡された彼女のアドレスを見て深くため息を吐いた。


「……それにしても、どうしたもんかな」


 詩、か。

 俺にポエムなんかを依頼するその理由はどこにあるのだろうか。


「……適当に書いて送ってみるか」


 時間をかけるのも勿体ない。

 俺はたまたま有線で流れていた曲の歌詞を適当に捩り、渡された彼女のアドレスに送信した。





 それから雨宮からは何の音沙汰も無く、一週間の過ぎた頃だった。

 思えば部屋で寛いでいた所を突然電話で叩き起こされたその瞬間が転機だったのだろう。


「誰だよ、こんな時間に……」

『おい湊! 急いでコレを見てくれ!』


 相楽だ。謹慎中だから暇なのだろう。

 次の瞬間、相楽の発した一言が一瞬で俺を惹き付けた。


『雨宮麻心だ! とにかく見てみろ!』


 相楽の言葉と同時にサイトのURLが送られてくる。

 この一週間、何故雨宮が俺に詩を依頼したのかを考え続けていた事も関係しているのだろう。

 俺は咄嗟にそれをクリックし、リンク先のサイトにジャンプする。

 それは噂には聞いていた裏番組だった。

 娯楽が不謹慎とされる昨今、唯一現存するとされる音声だけの音楽番組である。

 出演者を見ると、そこには「MACCO」と書かれる名前があった。

 まさかと思いながら震える手で再生ボタンを押す。


『え~、それでは今日はなんとこのエミュステにあのニヤ二ヤ生放送で話題のシンガーMACCOさんにお越しいただいています!』

『どーも』


 雨宮だ。


『今日は何と新曲を披露して頂けるようで!』

『あー、まあ新曲とは言ってもあんま期待しないでくださいね。遊びで作ったやつですし、あんまり良いものでもないですから』

『またまたそんな事言っちゃってー、それでは早速披露して頂きましょう。MACCOさんで「バレンタイン・キル」です。どうぞ!』


 ずっこけた。

 アイツ、本気でアレに曲を付けたのか?

 ――数秒後、ギターの音が流れ始める。

 続いて紡ぎ出される複雑でありながら曲全体を優しく包むピアノのメロディーラインはその歌声の透明感を際立たせている。


 射貫かれた。


 雨宮麻心の奏でる音色の全てが、無気力だったはずの自分を包み込んでいく。


「これ、本当にあの歌詞かよ……」

「そーだよ、アレが来たときは鳩尾に一発入れてやろうかと思った」

「……へ?」


 おかしい。

 今そこで聞いていたはずの雨宮の声がやけに大きく、やけに鮮明に聞こえている。


「お、お前。どうして……?」

「鍵開いてたし、場所はサガラって奴に聞いたよ」


 情報科のエリート様は情報のバーゲンセールでも始めたのだろうか。


「……それより、何の用だよ?」

「まあ待ちなって」


 雨宮麻心が俺のベッドにチョコンと座り込む。


『いや~、季節外れにも関わらず良いナンバーでした! そういえばMACCOさん、今日はどうやら重大発表があるそうで!』

『そうなんですよ。やります、ライブ』

「……は?」


 俺は雨宮麻心に向かい直り、パソコンに向かって指をさした。

 このご時世にライブ? 下手すれば反逆罪としてお縄になってしまうであろう雨宮のその発言に俺は全身が硬直してしまっていた。


「まさか、お前がここに来た理由って……」

「そ。私の実力は証明された訳だし、もう一度書いてもらおうと思ってね」

「けど、何で急にライブなんて……」

「別に急じゃないよ。……それに、これはちょっとした気まぐれだから」


 気まぐれで済まされるような話ではない。


「あ、それとだけど」

「……まだ何かあるのか?」


 完成するまで私もここに住んで見張っておくから。

 雨宮は再び悪戯そうな笑みを浮かべると、俺の部屋の冷蔵庫を勝手に開け始めた。





 ――そして、三週間が過ぎた。

 静寂にも似た妙な空気を感じながら、俺は雨宮がライブを行う会場へと来ている。

何故俺がここに来ているのか。それは昨晩の事が大きく関係していた。



 昨晩、俺は雨宮と久ぶりに会話をした。

 雨宮は法律で禁止されているライブを行うだけあって、膨大な量の荷物を俺の部屋に置いたまま忙しく動き回っていたため、あの日から会うのは三度目だったのだ。


「――なあ雨宮、教えてくれないか?」

「……何を?」

「どうして俺に歌詞を頼んだんだ?」


 ずっと気になっていた。

 あの段階では雨宮は俺の能力について何も知らなかったはずである。


「さあね。……早坂こそ何でそんなに性格捻じ曲がってるの? 凄い能力持っているのにさ」

「……それは多分、俺にとってのファンタジーを失ったからだ」

「ファンタジー?」

「俺は六年前、とある小説で新人賞を受賞したんだ。それは審査員特別賞だったけれど、俺にとっては全てだったんだ」


 しかし、あの事件は起こった。

 雨宮の父親による発表により社会奉仕以外の全ての娯楽は活動を中止せざるを得なくなったのだ。


 地球は滅亡する。

 娯楽は怠慢を呼ぶ。

 滅亡へと繋がる娯楽は不謹慎である。

 書籍化するはずだった話は頓挫し、その時俺の作品を高く評価されていた審査員は不慮の事故にあったと言われている。


「……そっか」


 恐らくそれは、雨宮聡を父親に持つ雨宮自身を傷付ける言葉だったのだろう。

 だけど雨宮はそれに怒るでもなく、じっと自分のギターを覗き込んでいた。


「まあ、でも確かに歌詞は受け取ったよ」


 雨宮は満足気に楽譜を眺めている。


「なあ雨宮、お前は……」

「私は言葉で話すのは苦手だからね。明日のライブを見に来てよ」


 雨宮はそう言って、俺に一枚のライブチケットを放り投げる。


「それに、早坂の言ってる事は一つだけ間違ってるよ」


 雨宮はヘッドホンを耳元へ滑らせると、俺のベッドへと潜り込んだ。



 照明が灯り音響の操作が開始される。

 この件には相楽も一枚噛んでいるらしく、情報規制を担っているらしい。

 どこから沸いてきたのか既に会場には長蛇の列が待機している。


「……やっぱり、凄いな。雨宮は」


 彼女一人のためにこれだけの人間が動かされている。

 それも、自分の意志で。

 自分だけが取り残されている。胸にポッカリ穴の開いたような孤独感を感じながら俺は関係者席へと移動する。

 やがて、雨宮の命懸けのライブが開始された――。



「――さて、このライブもここまで来れた事に全ての関係者と、同じように命を懸けて観に来てくれた皆さんに感謝させて頂きます」


 まるで人が変わったような雨宮の言葉に会場がしんみりとした空気になっていく。

 必至で溢れ出る涙を抑える人まで出ていた。


「次の曲でこのライブは終わりを迎えます。願わくは、ここに居る皆さんが明日を笑顔で迎えられますように――」


 雨宮の言葉と共に、神秘的なピアノのメロディーが流れ始めた。

 雨宮はエレキギターを持ち直し、曲名を伝える。

 この曲は――、


「ロスト・ファンタジー」


 俺の書いた詩だった。



「――ありがとうございました」


 また、射貫かれてしまっていた。

 観客は茫然と立ち尽くし、歌い終えた雨宮さえもその場でピタリと止まって動かない。

 まるでこの空間だけ世界が変わったような、そんな――、


 俺は今、何て言ったんだ?


 世界が変わった。

 俺は雨宮の昨日の言葉を思い返す。



『それに、早坂の言ってる事は一つだけ間違ってるよ』



 自分の血流が鼓動を取り戻し始めるのが分かる。

 俺は、世界に溺れていたのだ。

 雨宮は戦っていた。たった一人で、この世界と。

 雨宮麻心は世界を相手に戦っていた。

 唐突にデバイスの緊急連絡が鳴り響く。

 観客席の人間のデバイスも同時に鳴り響いているようで、混乱が起きている。


「まさか、見つかったのか?」

「いや、違う! これは……」



『――午後十九時二十九分、科学者「雨宮聡」が化学兵器所持の疑いで逮捕されました。連合政府はこの事実を重く見ており』


「雨宮!」


 雨宮は舞台で茫然と立ち尽くしていた。

 それは先ほどまでの恍惚としたものではなく、メールの内容を知ってしまった事を意味している。

 俺は舞台に向かって駆け出した――。



「――雨宮!」


 舞台裏に彼女は居た。


「……何、血相変えて」

「今のは……」

「分かってる! 私は、お父さんの……」


 このままでは駄目だ。直観的にそう感じた。

 そして、今の俺の言葉は何一つ雨宮には届かない事も俺は感じ取ってしまっていた。

 やっぱり俺には何も出来ないのか?

 ただ、世界に呑み込まれるだけの存在なのか?



 嫌だ。



 思い出すんだ。

 雨宮の行動には意味がある。

 雨宮が歌詞を俺に依頼した事にもきっと――。

 そもそも学校に滅多に顔を出さないはずの雨宮は、どうして俺の存在を知ったのか。


 ――その瞬間、俺の脳裏にある仮説が浮かび上がった。


「……相楽か? 少し調べて欲しい事があるんだ」


 俺はデバイスで相楽に連絡を取り、とある人物の名前を告げる。


『もう調べた。お前の必要な情報は送ってあるぜ』


 何だ、俺には何もないわけじゃないらしい。

 少なくとも、こんなに優秀な仲間が居る。

 どうやら既に、必要な伏線は全て回収出来ていたらしい。


「悪いな、雨宮」


 俺はもう一度雨宮の前に立ち、先に雨宮に謝罪を述べる。


「……」


 雨宮は何も反応しない。

 だったら、俺は自分の全てをぶつけるだけだ。


「俺のファンタジーはまだまだ始まったばかりみたいだ」

 


――次の瞬間、俺の意識は現実世界から居なくなっていた。






『目が覚める。

 雨宮の世界は揺れていた。


「どうなってんだ、これ……」


 以前までの雄大な大自然は、まるで嵐が来たかのように吹き荒れていた。


「行くか……」


 登り続けるしか俺には道はない。

 俺は見える事のない頂きを求めて登り始めた。





 どれほどの時間が過ぎたのだろう。

 頂に彼女は居た。


「……この場所って、実際にある風景だったんだな」

「……」


 雨宮の肩がピクリと揺れる。


「良い人だったよ、雨宮テアさん」

「……当たり前じゃん」


 俺は相楽から送られた情報を頭に照らし出す。


『「雨宮テア(アマミヤテア)」。

 ノルウェー人と日本人のハーフであり、シンガーソングライター「テア」として活躍。

 世界的権威の技術者、雨宮聡と結婚しており、一人の娘を持つ』


 これが相楽から送られた情報だった。

 雨宮は、知っていたのだ。

 俺が書いた、この世に出される事のなかった俺の作品を。


 ――六年前、最終選考で落ちる筈だった俺の作品を評価したのが当時シンガーソングライターとして特別審査員を務めた人が雨宮テア、その人だった。

 しかしその翌年、彼女は命を落としている。

 夫の雨宮聡の研究で職を失い、ショックで自殺したというニュースは世界中に大きく取り上げられる事となった。

 しかし、それが全くのデマであったことは雨宮を見れば分かる。

「短い動画だったけどさっき見たんだ。ここ、ノルウェーのフィヨルドなんだろ?」

 氷河に渓谷が沈む事で自然が作り上げた芸術的な空間、フィヨルド。

 動画越しだったものの、幽邃に聳え立つその光景は今俺の見ている景色と何ら遜色はない。

 そして――、


「俺は最初、お前が現実逃避でこの広大な世界観を創りだしていたと思っていた。けれどそれは違ったんだ」


 俺は頂に埋まっていた一本の螺子を引き抜く。




 ――瞬間、世界は変わった。




 自然の絵は捲れ、大自然は一気に人工の産物へと形状を変える。


「最初から違和感があったんだ。お前が俺に歌詞を依頼した事と同様に、お前がライブを行う事にもきっと意味がある」

「……それで、どうするつもり?」

「俺が、お前を救うんだ」


 俺だけが知っている。

 俺だけが理解出来る。

 俺だけが、雨宮を救う能力を持っている。


「行くぜ雨宮、俺の能力でお前の世界を辿るんだ」

「ちょっと、何を――」


 俺は有無を言わせず雨宮の手を取ると、雨宮の世界を渡り始めた――。



『――俺の研究を発表すれば、世界は救われるかもしれない。けれどお前の歌手としての人生は?』

『あら? 貴方は私と麻心の将来を天秤にかけるつもり?』


 もっと近くへ。


『――何よこの記事! 報道を呼びなさい、記者会見をやるわ!』

『落ち着いてお母さん!』


 もっと、近くへ。


『――貴方、麻心。愛しているわ』

『……』


 この旅の、終わりへ。


『麻心、これを持っていなさい。これから俺は政府に背いた行動を取らなければならない。我々はこの世界を何も分かっていなかったんだ』

『お父さん――?』


 ここだ。

 雨宮は少しでも父親の監視を欺くためにライブで注意を行おうとしていた。

 しかし娘を愛する父親が、雨宮聡がそれに気付かない道理もない。

 だから何の対策も取らないなんて事は在り得ない。

 麻心の受け取った物、それは――』



「――」


 声が聞こえる。


「――雨宮、何してるんだ?」


 雨宮はどこから取り出したのかドライバーで自分のデバイスを分解し始めていた。


「どうやら湊の睨んだ通りだったよ。私のデバイス、物凄い技術で改造されてた」


 いつの間にか名前呼びされている事に違和感を覚えながら、デバイスに流れていた情報に目を通す。


『六年後に襲来する筈だった彗星が突如地球上空へ急接近を始めました。関係者各位は黙秘を続けており――』


 俺は無言でデバイスの電源を消す。

 どうやら、雨宮聡は口封じのために逮捕されたのだろう。


「――出来た、ほら掴まって」

 雨宮は俺の手を強く掴み、そしてデバイスを起動させた――。



 彗星は迫っていた。

 見なくても分かる。天の大気の圧が俺たちを圧倒している。

 俺たちは、空を飛んでいた。


『思考具現化プログラム』


 それが雨宮聡が政府に拘束される原因でありながら、研究を続けていた要因だった。


『思考具象化プログラム』とは違う、自分の思考を現実に創り出し使用出来る禁忌のプログラム。


 それは、この彗星を破壊するためだったのだろう。

 彼は世界にもっと早く危機が訪れる事を察知していた。

 だから、娘に託したのだ。


「まあ、湊は頑張った方だと思うよ」


 まるで夢を見ているようだった。

 彼女は銀色の鎧を身に纏い、背中には翼が生えている。

 その姿は宛ら北欧神話に出てくるヴァルキリ―。

 いつの間にか彼女の右手には聖剣と思しき大剣が握られている。



「喪った夢は、世界を相手にしてでも取り戻さなきゃ」



 彼女の一振りは、彗星を真二つに引き裂いた――。



 ファンタジーは潰えたのだ。

 そして、俺たちは全てを掴む事は出来ない。 

 だからこそ俺たちは、自ら創り出した夢を掴むために世界をも相手に戦い続けている。

 俺たちは、誰も見た事のない「失われた世界」を掴むために生きている。

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