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7 「さよなら、パステル」



 私は、見逃さなかった。

 セオが――笑った。

 間違いなく、笑ったのだ。


「……セオ……」


「ん?」


 やっぱり、微妙に口角が上がっていて、目尻が下がっている気がする。


「いま……笑った……?」


「え?」


「笑ったよね? やっぱり、セオには、感情があるんだよ」


「僕……笑ったの?」


「うん」


 私は嬉しくなって、にこりと笑った。

 だが、セオの笑顔と言える程でも、微笑みと言える程でもない、柔らかい表情は、突然、消えてしまった。


「……パステル、ごめん。僕、行かなきゃ」


「……え?」


 セオはいつもの無表情に戻ると、私の手をそっと離して立ち上がった。そのまま魔法の家に歩み寄って手をかざすと、僅かな光と共に魔法の家はすぐさま手乗りサイズに戻った。


「セオ……どこかに出かけるの?」


 セオは小さくなった魔法の家を懐にしまいながら、振り返って頷いた。私を真っ直ぐに見るその瞳からは、何の思いも読み取れない。


「熱、下がるまで無理しないで。窓……寒かったら閉めてもいい」


「え……?」


 ――窓を閉めてもいいって……言った?

 そうしたら、セオ、どうやって帰ってくるの?


「ねえ、セオ、帰ってくるよね……?」


 セオはその質問には答えず、窓枠に手を掛けた。窓を大きく開くと、セオは白い光に包まれて、ふわりと宙に浮かんだ。セオが私の前に降り立った時と同じ――世界は、白で包まれていた。


「さよなら、パステル」


「セオ……!? 待って……っ!」


 ――嫌だ。行かないで……。

 私が引き留めるのも虚しく。セオは、別れを告げると、あっけなく、空へと舞い上がって消えてしまったのだった。


「……セオ……」


 残されたのは、普段と変わらないモノクロの世界。

 私の呟きは、灰色の空に溶けて、冷たい風に散らされてしまったのであった。







 その日は、結局、ほとんど一日中寝て過ごした。

 セオが行ってしまってから、イザベラが一度部屋を訪れ、私の体調を確認しに来た。私はイザベラに食事だけ頼み、念の為今日も休むと伝えた。熱はほぼ下がっていたのだが、何故か今日は何もする気が起きなかったのだ。



 食事を終え、部屋の前に空の食器を置くと、私はベッドに潜り込んだ。少し肌寒いが、部屋の窓は細く開けたまま、私は布団を肩まで掛けて丸まった。


 こうしていても、頭に浮かんでくるのはセオのことばかり。



 ――どうして、セオは私の所に来たんだろう。

 ――どうして、突然何処かへ行ってしまったんだろう。

 ――どうして、帰ってくるって約束してくれなかったんだろう。



「また、帰ってきてくれるかなぁ」



 今日は休みにして良かった。この状態では、仕事も読書も手につかないだろう。私は、どうしてこんなにセオのことが気になるのだろうと自問する。

 答えはすぐに出た。

 ――今まで私は友達がいたこともないけれど、セオはきっと、私にとって初めての友達だ。

 友達の心配をするのは、きっと普通のことだろう。友達の相談に乗ったりするのも、友達ともっと話したいと思うのも、きっと普通のこと。



「セオに、さよならって、言えなかった……」



 思い出すのは、真っ直ぐに私を見つめる目。

 頬に触れる、ひんやりとした指先。

 林檎を剥いて、口元に差し出してくれた事。

 額に触れる、思ったよりも大きな手の平。

 何かに悩んでいるような、何かを押し殺したような表情。

 ほんの少し上がった口角。



 ――ずっと友達のことを考えてしまうのも、友達のことを思い出して何だかそわそわしてしまうのも……きっと、普通のことだろう。


「……帰って、くるよね」


 私はそう独り言ちて、目を瞑った。

 窓から吹き込んでくる風は、無情なほど冷たかった。



 その夜、セオは帰ってこなかった。







 それから三日ほど経ったある日。

 私は、執務の合間に庭を散歩していた。熱はセオのいなくなった翌朝には完全に下がり、少しだけ溜まった執務もしっかりこなす事が出来るようになった。



 あれからセオは姿を見せていない。

 窓は閉めてもいいとセオは言っていたが、いつも結局細く開けたままにしている。



 ロイド子爵家は、相変わらず閉ざされている。門は固く閉ざされ、手紙を取りに行く時と、誰かが買い出しに行く時ぐらいしか開くことはない。

 閉ざされた世界。

 私を嘲る者も憐れむ者もいないし、与えられた仕事もあるし、何不自由ない生活が出来る。安心で、平和で、変化のない世界だ。

 ……でも今は、一週間前には感じなかった物足りなさと、寂しさがある。心に穴が開いて、そこから隙間風が入ってくるみたいだ。



 たった三日間、それもほんの少ししか会っていない友人の顔を思い浮かべながら、私はベンチに腰掛けた。

 思い返すと、このベンチに座っている時に、セオが空から降ってきたのだ。突然のことだったが、不思議と怖くなくて、あっさりと受け入れられる自分がいた。私はふぅ、とひとつ息をついて目を閉じる。


 鳥の声、風そよぐ音、少し冷たい空気、金木犀の香り。

 耳の奥でセオの声が蘇る。

 パステル、と呼ぶ澄んだ声を思い出して、私は――自分の名が美しい響きを持っていたのだと、初めて気がついた。



 パステルという名は、私の本当の両親が付けた名である。

 父と母は私が幼い頃に事故で亡くなってしまったのだが、私の虹色の髪を見てパステルという名を付けたのだと聞いた。実父は前ロイド子爵で、現ロイド子爵の兄だった人だ。残念ながら、私は両親の顔を覚えていないので、思い入れも薄い。



 父――分かりにくいから、ここからは義父と呼ぶが――は、残された私を不憫に思い、私を養子として迎えた。当時私は五歳だったが、義父と義母には二歳の男の子と、生まれたばかりの女の赤ちゃんがいた。

 義両親は私を暖かく迎えてくれたし、望むものを与えてくれた。だが私は本当の家族ではないという引け目というか、邪魔なのではないかという疎外感をずっと感じていたように思う。特に、義弟、義妹と一緒にいる時はそれが顕著だった。


 それでもまだ屋敷の中では平和だった。だが、私はとある時点から、外の世界に対して完全に心を閉ざしてしまった。それ以降は義弟や義妹とも関わりを持たなくなり、屋敷が静かになる社交シーズンが待ち遠しくなったのだった。


 私が心を閉ざしてしまってからも話をする事ができたのは、義両親と、今マナーハウスに残っているトマスとエレナ、イザベラの五人だけだった。

 トマスとエレナは、私の祖父が子爵だった頃から子爵家に仕えていて、義両親以上に私を可愛がってくれた。イザベラも、歳はひと回り離れているが、頼れる姉のように思っている。とはいえ、その五人とも、生活や仕事をする上で必要な最低限の会話しかしないのだが。


 そう考えると、セオとの会話は、久しぶりに楽しかった。セオに言えた立場ではない……私自身も、楽しいという感情を長らく忘れていた気がする。



「……セオ……」


 私は、初めて出来た友人の名をぼそりと呟く。

 セオは、何処にいるのだろうか。

 元気にしているだろうか。


「……会いたいな」



「ねえねえ、虹色のお姉さん。お友達に会いたい?」


「……へっ!?」


 突然聞こえた見知らぬ声に、私は目を開けた。

 目の前には、いつの間にか、私より幾つか年下の子供が立っていたのだった。



〜序章・終〜


次回から第一章に入ります。

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