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6 「ちゃんとここにいる」



「ひゃあ!」


 泡だらけの毛玉たちを見て、私は思わず声を上げてしまった。

 私は持っていたタオルをギュッと握りしめ、バスタブから一番遠い壁に背中が付くまで後ずさった。


 毛玉たちには顔はないが、小さい手のようなものが生えている。

 そして、よく見ると、大きい毛玉とそうでもない毛玉がいる。大きな毛玉は布のようなものを手に持ち、別の毛玉と協力して布を広げているようだ。小さい毛玉は、互いに体を擦り合わせて泡をたくさん出している。

 まるで、洗濯をしているみたいだ。


「どうしたの?」


「きゃああ!!」


 そこに、突然セオが顔を出し、私は思わず叫んでしまった。タオルで隠しているとはいえ、今の私は裸である。


「み、み、見ないでっ!!」


「あ……ごめん」


 セオは謝ってすぐに目を逸らしたが、相変わらずの無表情だ。私は色々と混乱しながらもしっかりとタオルを身体に巻き付ける。私が大慌てなのに、セオが普段通り落ち着いているのが、なんだかちょっとだけ虚しい。


「セ、セオ……あれ、あれは何……?」


「アワダマのこと?」


 セオは目を逸らしたまま、答える。


「アワダマ?」


「洗濯、してくれる。妖精の一種。お風呂、断りなく使って、ごめん」


「それは大丈夫だよ、好きな時に使ってって言ったし。……あと、もう、目……逸らさなくていいよ。話しにくいし」


 セオは頷くと、私の方に視線を戻した。もうタオルはしっかり巻いてあるし、上からバスローブを羽織ったので大丈夫だ。


「あの、急に扉を開けて、ごめん。パステルの悲鳴が聞こえたから、何かあったかと思って」


「……ううん、心配かけてごめんね。びっくりしたし、恥ずかしかったけど……」


「……そういえば、女の人は、裸を見られるのを恥ずかしがるって、聞いたことある。でも、僕、その……あんまり見てないから。ごめん」


「……うん」


 セオにはやましい気持ちも何にもないのは分かっている。

 分かっているけど……恥ずかしいものは恥ずかしい。


「ねえ、パステル。……恥ずかしいって、どういう感情?」


「へっ!?」


「びっくり、は多分わかる。急に思いも寄らないことが起きて、鼓動が速くなること……で合ってる?」


「……うん」


「でも、恥ずかしい……は、わからない」


 ……いや、その。

 ここで聞くんかい、空気読め、と思ったりもするが、それは無駄な話だ。


「……その……後で、話すね」


 私はセオから目を逸らして、そう誤魔化した。

 気まずい空気が流れる。

 いや、セオは気まずくないかもしれない。


「……あの、お風呂に入りたいんだけど、お洗濯、あとどれくらいかかる?」


「あとはすすいで水を抜けば、終わる。10分ぐらい」


「わかった。外で待ってるから、終わったら声をかけて……」


 私はセオが頷くのを横目で捉えながら、自分の部屋に戻ったのだった。





「はぁ……」


 頬がまだ火照っている。

 私はベッドに座って頭から布団を被り、ぶつぶつと呟いていた。


「どこまで見たかな……一応ちゃんと隠れてはいたと思うんだけど……」


 いくら感情が薄いとはいえ、セオは男の子だ。男の子に、恥ずかしい姿を見られてしまった。


「もう、お嫁に行けない……」


「パステルは、お嫁に行くの?」


「いや……そもそも貰ってくれる人もいないだろうしお嫁に行くつもりもなかったけどそれは言葉のあやであって……って、セオ!?」


 布団を頭から被ったまま振り返ると、そこには洗濯かごを抱えて無表情で立っている、悩みの元凶がいた。


「洗濯、終わったよ」


「わ、わ、分かった。お、教えてくれて、ありがと」


「パステル、顔赤い。まだ、熱ある?」


「な、な、ないよ! 多分! 何でもないからっ!」


「……?」


 私は、小首を傾げているセオを振り切って、お風呂に向かったのだった。





「ふぅ……」


 今度こそ入浴が終わり、さっぱりした頃には、もう夜が明けて明るくなっていた。

 セオはもう出かけたのかと思ったのだが、予想に反してセオはソファに座っていた。魔法の家もまだそのままだ。


 セオは置いてあったフルーツナイフを使って、器用に林檎を剥いている。私は、セオの邪魔にならないように、無言で向かいのソファに座った。


 しょり、しょり、と規則正しい音。

 しばらく待っていると、綺麗にカットされた林檎が皿の上に並んだ。一つ一つ、食べやすいひと口サイズに丁寧にカットされている。


「出来た。熱が出た時は果物を食べるといい」


「すごいね、セオ、器用なんだね」


「慣れてるだけ。はい、口開けて」


 そう言ってセオは、ピックに刺した林檎を私の口元に寄せる。私は、自分で食べるからいい、と反論しようとして口を開いたが、セオはそれより早く私の口に林檎を押し込んだ。


「むぐっ」


「パステル、本当に熱下がった?」


 セオは持っていたピックを別の林檎に刺すと、空いた手を私の額に伸ばした。突然の行動に、私は抵抗もできないし、口の中に林檎が入っているから何も言えない。


「……まだ、少しだけ熱いかな」


 セオはもう片方の手を自分の額に当てて、体温を比べている。私は、ひんやりとするセオの手の感触に、また顔が火照ってきてしまうのを感じた。


「また顔が赤くなってきた。今日も休んでた方がいい」


「……んぅ、それは、あの、違うの……!」


 私はようやく林檎を飲み込んで、弁明した。


「は、は、恥ずかしくて……」


「恥ずかしい……何が?」


「そ、その……おでこ……」


「……?」


 私がそう言うと、セオはようやく、私の額から手を離した。


「あの、その……触られたりとか、するの、慣れてなくて……」


「慣れてないと、恥ずかしいの?」


「……慣れても恥ずかしいことも沢山あると思うけど……、そうかもしれない……かな?」


「パステルも、よく分かってない?」


「うん……」


 なんで、人間は、恥ずかしいと思うんだろう。

 皿の上の林檎を見ていて、アダムとイヴの禁断の果実の話を思い出した。


「……目が開いたから……。そうだわ、恥ずかしいと思うのは、他人の目があるからなんだわ」


「他人の目?」


「そうよ。他の人に変に思われるんじゃないか、とか、馬鹿にされるんじゃないか、とか、嫌われるんじゃないか、とか……他の人と自分が違うから、自分に自信がないから、恥ずかしいんだわ」


「……他人の目……そんなに、大事?」


「……大事よ」


「でも、僕、パステルのこと変だとも嫌だとも思わないよ。それでも、恥ずかしい?」


「……恥ずかしい、よ」


「ふーん」


 気のせいだろうか……セオは、どこか痛みを堪えるような表情をしている気がする。一見すると、無表情だが……何だろう、なんとなく……悩んでる……?


「パステル、それは、矛盾してる。だって、僕、感情がないから……いないのと同じだよ」


「それは、違う」


 私は、きっぱり断言した。

 ……そっか、セオは、そうやって自分を押し込めているのかもしれない……。


「セオにも、感情がある。笑えば心温まるし、心配で胸が苦しくなったでしょう? きっと、感情に名前や形を与えられないだけで、あなたの心にはちゃんと感情の種があるわ」


「感情の、種……?」


「そう。そしてそれはきちんと芽吹いてる。セオは、ちゃんと、感じてるはずよ」


「……」


 セオは、下を向いて何か考え込んでいる様子だ。私は、恥ずかしさを押し留めて、向かいに座るセオの手を取って、その手を両手で包み込んだ。


「セオ。あなたは……ちゃんとここにいる」


「……!」


 セオの表情が、確かに動いた。私に視線を戻し、目を僅かに瞠っている。


「……ね?」


「パステルって……不思議」


「ん?」


「……僕、透明人間だ。誰も取り合ってくれないし、誰に何をされても何も感じなかった。全部すり抜けていくんだ。……でも、パステルといると、僕、少し心が動いてる……みたい」



 次の瞬間――セオは、笑った。

 かすかに、ほんの僅かに、口角が上がった。

 ――確かに、セオは、笑ったのだ。


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