56 「木のお化け」
キッチンで必要なものを一通り揃えた私は、セオの様子を見に戻った。
セオはやはり目を覚ます気配がない。
日が沈み、辺りは徐々に暗くなってきた。
風が警告するように窓を叩いている。
私はセオと違って風と対話できないから、何を警告しているのかわからない。
先程風の神殿に渡った時、ラスは激怒していた。
だが、ラスは今回私に力を貸すだけで、直接セオの元に現れることはなかった。
以前はラス本人がセオを助けてくれたが、もしかしたらあれはものすごく異例だったのかもしれない。
何故だろうか、打ち付ける風の音を聞いていると、すごく不安になってくる。
セオを休ませてあげたいという理性と、起こした方がいいという直感がせめぎ合う。
結局、私は遠慮がちにセオに手を添え、声をかけた。
「セオ……起きて」
それでもセオは、目を覚まさない。相当深く眠っているようだ。
もう少し声をかけてみよう——そう思った時だった。
……グゥオオォオオ……
遠くで、獣の咆哮のような音が聞こえる。風の音ではない。
「セオ、起きて……ねえ、セオ」
もう少し大きな声で呼び、セオの身体を揺する。
しかし、セオは目を覚まさない。
「セオ! セオ……! ——ひゃぁ!?」
何もしていないのに、突然、ランタンの火が消えて、辺りが暗くなる。
私は思わずセオにぎゅっと抱きついた。
……オォオオオォオ……
地を這うような低い咆哮が、徐々に近づいてくる。
セオに抱きついたまま、窓の外に恐る恐る目を向けると——
オオォオオォン!!
「いゃぁあああ!! 出たぁぁあ!!」
——目と口の形に黒い穴が開いている、大きな木の怪物が、コテージのすぐそばを歩いていたのだった。
「セオ! セオってば! 早く起きてよぉ! 木のお化けが出たよぉぉ!」
私はベソをかきながらセオを起こそうとするが、セオは全く目覚める気配がない。
心なしか、室内が薄ら寒くなってきた。
「うぅ……どうしよう……ぐすっ」
——その時。
救いの手は予想外の人物からもたらされたのだった。
『おーいパステル、俺の所に来てくれ』
妙に落ち着いた、のんびりしたその声に、私は心当たりがあった。
声は、私の頭の中に直接語りかけてきているようだ。
「……その声は……クロース様?」
『早くしろよー』
「は、はいっ! えっと、虹よ——」
促されるままに、私が虹の巫女の力を行使すると、私の周りに再び七つの光が渦巻く。
「光へ導いて!」
色のない虹がコテージの壁を突き抜け、北へと向かう。
最後にかかった黄色いアーチを通って、私はすぐに光の精霊の元へと辿り着いた。
「よう、パステル。困ってるみたいだからよ、手を貸してやろうと思って呼んじまった」
そう言ってニカっと笑ったのは、長い白髭を蓄えた親分肌の男性だ。
真ん中に白いトリミングのある服と、お揃いのナイトキャップを身に付けている。
つい先日会ったばかりの、光の精霊クロースである。
「あ、ありがとうございます。あの、森にいるお化けはいったい……?」
「ほっほ、あれはお化けじゃねぇよ。確かに良い子にはお化けは怖ぇよな、ベソかいて可哀想に。あれはな、魔の森に住んでる『化石樹』っていう魔物だ」
「『化石樹』……ですか?」
「おう。身体が石で出来てる、樹木の形をした魔物だ。
光が苦手で、昼間は動かないんだが、夜になると生き物の生気を吸おうと徘徊し始める。
ただ、石だから、『岩石の神子』にだけは手出ししねぇんだ。ひっくり返っても敵わねぇからな。
……で、セオの具合はどうなんだ」
「傷は治ったのですが、なかなか起きてくれないんです。もしかして、何か問題がありそうなんですか?」
「ああ、薬の副作用だな。深く眠っててしばらく起きねぇぞ。だからよ、ちぃと大変だが、パステルがセオを森の外まで運ぶしかねぇな。
だが、パステルには歩いて森を出るのは難しいし、俺が朝まで力を貸してやることも出来ない。
大変だろうがよ、俺が光の道を近くの川まで繋ぐから、あとは水の精霊を頼れ。どこに進めばいいか示してくれるはずだ」
「わかりました。お願いします」
私がそう答えると、クロースは深く頷き、辺りには『幸せの結晶』に似た黄色い光がキラキラと舞い始める。
「じゃあいくぞ。——汝、虹の巫女よ、総ての光たる我に、何を望む?」
「——迷える我らに、光の道を、どうかお示し下さいませ」
「良かろう。我、光の聖霊クロースの名の下に、魔から守護する光の導を与えよう」
辺りがさらに黄色い光で満たされ、視界が黄色でいっぱいになる。
私の意識は、再び虹の橋を渡り、魔の森のコテージに戻ってきた。
私とセオのいる場所から、キラキラと輝く光の道が、コテージの外まで伸びている。化石樹は、すでに私たちに気が付いているが、光の中にいれば手出しが出来ないようだ。
「よし、行くわよ。セオのこと、運べるかな……よ、いしょっ!」
——重い。
身体をベッドから起こすだけでも、一苦労だ。
セオは細身だが、やはり男の子だし、自分より背も高い。
「はぁ、はぁ……せ、背負えるかしら……。でも、私が、やらなきゃ……、お化けの木に食べられちゃう……! せー、のっ!」
気合いを入れて、何とかセオを背中に乗せる。すぐにでも潰れてしまいそうだ。
それでも、火事場の馬鹿力だろうか、よろめきながらも何とか一歩ずつ足を踏み出し、コテージの外へ出た。
「はぁ、はぁ……お、重い……無理……」
だが、光の道の一歩外には、恐ろしい化石樹が、二体、三体……次々に集まって来ている。
泣き言を言っても、助けてくれる人はいない。
光の加護が切れてしまう前に川まで辿りつかないと、化石樹の餌食になってしまう。
幸い、川の流れる音はすぐ近くから聞こえる。
私は気力と体力を振り絞って、一歩一歩着実に進んでいき、何とか川辺まで辿り着いてセオを下ろしたのだった。
「はぁ! はぁっ! え、う、嘘でしょ……!?」
光の道が、断続的に明滅し始めたのだ。加護が消えかかっている。
「はぁっ、は、早く水の精霊の所に行かないと!」
私は休む暇もなく、セオを再び背中に担ぐ。
……先程から、足のあたりを少し引きずってしまっているが、致し方ないだろう。
この辺りは、川の流れも緩そうだ。魔法の行使も充分出来るだろう。
私はセオを担いだまま、川に両足を浸ける。
「つ、冷たっ……! 我慢よ、我慢……虹よ、水へと導いて……!」
そうして本日三度目となる虹のアーチを、青色が彩ってゆく。
虹の橋を渡った先には、長い黒髪に珊瑚のかんざし、東洋風の着物を身につけた女性——水の精霊、乙姫が待っていた。
「パステル、大変なことになっていますね。ですが、川は妾の領分です。安心なさい」
「あ、ありがとうございます」
「川を遡り、上流へ向かいなさい。さすれば其方たちに馴染み深い場所へと出るでしょう。それとパステル、一つ注意してほしいことがあります」
「はい、何でしょうか」
乙姫は、一転して心配そうに憂う表情に変わる。口元を扇で隠し、目を伏せながら、衝撃的なことを話し始めた。
「先程セオに使った魔法薬……傷は治せても、傷から入った細菌の感染を食い止めることは出来ません。明日になって、もし熱が出てしまったら、残念ながら彼はもう目覚めることはないでしょう」
「……え……?」
私は、乙姫に言われたことの意味を、一瞬理解出来なかったのだった。
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