19 「モック渓谷」
そのまましばらくセオと話していると、玉座の間にトカゲのような何かが入ってきた。身体の大部分が緑色である。
そして、トカゲに似ているがトカゲではない——小さな翼がついていて、二足歩行していて、執事のような小洒落た服を着ているトカゲなんて、きっといないだろう。背丈は、私の三分の一程度だろうか。
そのトカゲもどきは、甲高い声で私たちに話しかけてきた。
「セオ様、お久しゅうございます。パステル様、お初にお目にかかります。わたくしはドラコと申します」
「は、はじめまして」
「御二方に、我が主様より伝言でございます。我が主様は、お出掛けになりました。『話の途中でごめん』とのことでございます。所用があると仰っていましたが、このドラコめは、多分飽きたんじゃないかなあと思っている次第です」
「そ、そう……」
風の精霊だけあって、風のような性格である。フレッドのコテージでも飽きたからと言って帰ってしまったし、セオもドラコも慣れっこのようだ。
「それで、ただ今鷲獅子が徘徊しているようなのです。わたくしがいれば奴も寄ってきませんので、もしお帰りになるようでしたら、途中までお送りいたしますが……どうされますか?」
「お願い、ドラコ」
「かしこまりました。このドラコめにお任せください」
セオがそうお願いすると、ドラコはうやうやしく礼をした。まるで熟達した執事のようである。
「では、早速参りましょう。モック渓谷までお送り致します」
ドラコは、何処からかドアの取手のような物を取り出すと、ベルトで自分の背中に固定した。
「それと、怖いかもしれませんが、風のバリアはご遠慮願えますか。あれ、くすぐったいのです」
「わかった」
セオが頷いたのを確認して、ドラコは私達に背を向け、強い光を放ちはじめる。まだ光に慣れ切っていない私は、思わず目を瞑った。
光が収まると、そこには絵本でしか見たことのない、大きなドラゴンがいた。頭には立派な二本のツノが生え、緑色の巨体はちょっとした納屋ほどもある。その翼は、テントのように大きい。
ドラゴンは怖いものだと思っていたが、目の前にいるドラゴンは全然怖くない。むしろ、洋服を着て、背中に取っ手がついているのが、やたらとコミカルで可愛い。
「さあ、お乗りください」
大きな姿に変身したドラコは、私達が背に乗りやすいよう、屈んでくれた。
身体が大きくなっても、ドラコの声は何故か甲高いまま、変化していない。発声が他の生き物とは違うのだろうか。
「パステル、前に乗って、取っ手を掴んで」
「うん、ありがとう」
セオは、私がドラコの背に乗りやすいように手伝ってくれた。私がしっかり背中の取っ手を握ると、セオも私の後ろに乗り込む。
セオは私を後ろから包み込むように手を伸ばし、ドラコの取っ手を掴む。私は、触れそうで触れないその距離に、なんだかそわそわしてしまう。セオの体温と息遣いが間近に感じられ、ほっとするような、居心地が悪いような、くすぐったいような、複雑な気持ちになったのだった。
「準備はよろしいですね? では行きますよ」
私とセオが背に乗ったのを確認すると、ドラコは翼を大きく広げた。
「しっかりつかまって下さいね」
ばさり、ばさりと音を立てて、ドラコは翼をはためかせる。ゆっくりと、その足が地面から離れていく。思いのほか、衝撃は少ない。大きく開いている天井から、私たちは空へと飛び立っていった。
私たちは、風の神殿が一望できる高さまで舞い上がった。空には暖かい太陽の光が満ちていて、雲は一つもない。
神殿は玉座の間を中心としたスマートな造りの部分と、歪な形の岩で覆われている部分が存在する。ある部分を境にその造りがガラリと変わっているのは、フレッドが修繕した部分なのだろう。
神殿の周囲は、これまた幻想的な光景であった。多数の妖精たちがふわふわと漂っている。
先程教えてもらったモック以外にも、首の周りに大きな花びらがついている妖精や、蝶のような薄い羽のついた妖精もいる。
小さな妖精たちが漂っている辺りを抜けると、今度は大型の妖精や、魔物と思われるものたちが散見されるようになってきた。
中でも沢山いるのが、長い体をもつドラゴンである。ドラコはトカゲに似ているが、ここにいるドラゴンたちは、どちらかというと蛇に似ている。頭には大きなツノが二本、ひげも二本生えていて、長い体の上の方に、小さな手と小さな翼がついている。
「パステル、大丈夫? ちゃんと掴まらないと危ないよ」
「え?あ……」
耳元で涼やかな声がして、はっとした。いつの間にか、取っ手を持つ力が緩んでいたようだ。
「ありがとう。よそ見してて、気付かなかった」
「嵐龍は、ああ見えて穏やかな性格だから、襲ってこない。大丈夫」
「あの体の長いドラゴンのこと? 嵐龍っていうんだね」
「そう。海の向こうの国には嵐龍の亜種がいて、リュウって呼ばれてるらしい」
「へぇ……」
あっという間に大型妖精のエリアを抜けると、ドラコはスピードを緩めた。すぐ真下には、雲海が広がっている。
「セオ様、パステル様、間もなく雲の中に入ります。雲を抜けると人間の世界ですから、人の形を取れないドラコは行けません。鷲獅子も雲の中までは入って来ませんから、もう大丈夫です」
「ありがとう、ドラコ」
「いえいえ、とんでもありません。さ、すぐにモック渓谷に着きますよ」
雲の中は、心地良い冷気が満ちていた。不思議と寒くはない。真っ白で視界が悪いが、ドラコは迷いなく飛んでいく。
二、三分だろうか、しばらく雲の中を進むと、突然視界が開けた。
美しい渓谷である。崖の途中に何箇所も小さい穴が開いていて、それぞれの穴から水が流れている。その幾筋もの水が集まって小さな滝を形成し、その滝の水が集まって今度は少し大きな滝に、そして最終的には川となって下界に流れていく。
この渓谷には陽が差していて、苔や水草も生えている。周りをドーナツ状の雲に囲まれ、この渓谷だけ浮かび上がっているかのようだ。
「到着しました、モック渓谷です。どうぞお気をつけて」
ドラコは少し開けた場所に降り立ち、身を屈めた。私とセオがドラコの背から降りて礼を言うと、ドラコはぺこりと頭を下げて、再び雲の中へと飛び去ったのだった。
「とっても綺麗な場所ね」
「モックたちは、雲から生まれて、雲へと還る。ここはモックが生まれて、還る場所。あの水は、モックたちの最期の涙」
「え……?」
「涙が滝になって、山を削って、崖になった。モックの涙は下界に降りて川になり、海に流れて、天に昇って雲になる。そうしてモックがまた生まれる」
「……そっか。モックの生命は、巡るのね」
水も、風も、妖精たちの生命も、世界を巡る。たくさんの旅をして、再びここに還ってくるのだ。モック渓谷はそんな神秘に満ちた場所であり、精霊の世界と人間の世界を繋ぐ、特別な地なのかもしれない。私は、ラスの話をふと思い出した。
「神子は精霊界の窓口で、巫女は人間界の窓口、か……」
私の記憶を封じたという巫女様は、どういう人なんだろう。私やセオと何か繋がりがあったのだろうか。封印された危険な記憶というのは、一体何なのだろう。
景色を見ながら考え込んでいると、セオが私の顔を覗き込んできた。均整のとれた美しい顔だが、相変わらずの無表情である。
私がセオと目を合わせると、セオは静かに問いかけてきた。
「……パステル。他の精霊も、探す?」
「私は……そう、したいな」
「わかった。一緒に探そう」
「セオは、平気? 怖くないの?」
私は、他の色も、過去の記憶も思い出したい。だが、私がそれを追うことで、必然的にセオも巻き込んでしまうことになる。
「僕も、もっと色々なことを知りたい。だから、パステルが望むなら、僕も一緒に行く」
「……ありがとう、セオ」
「ひとまず、お祖父様の所へ行こう。他の精霊について、知っているかも」
「うん」
セオは手を差し出し、私はしっかりとその手を取る。不安もあるが、楽しみでもある。それに、私たちはそれを成し遂げなくてはいけないような気もする。何があっても、セオが一緒なら怖くはない。
私たちは、セオの放つ白い光に包まれて、下界へと戻って行ったのだった。
〜第一章・終〜
次回から第二章に入ります。
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