13 「嫌じゃなくて、むしろ」
私はセオと手を繋いで、空を飛んでいた。これから、アワダマ捕りに向かう所である。ラスの魔法と違って、セオの魔法の光は、真白に近い、と思う。
セオと触れ合っている右手が温かくて、何だか泣きそうな気持ちになる。その理由は、私にはまだ、わかりそうになかった。
程なくして、私達は目的地に到着した。
光が収まると、私達は開けた草原にいた。何処かの山の中腹のようだ。見晴らしが良く、遠くまで見渡せるが、ここからは人の住んでいそうな街などは見えない。フレッドのコテージがあった森やロイド子爵領よりも、はるかに空気が澄んでいる。
「パステル、こっち」
セオは、私に声をかけて、歩き出した。手は繋いだままだ。何となく気恥ずかしいが、ここは足場が悪い。セオは、まるでエスコートをするように、私に気を遣いながら歩いてくれている。自然とこういう事が出来るセオは、やはり高度な貴族式教育を受けているのでは、と思ってしまう。
「あれが、ムクロジの木」
「わぁ……大きいね」
「この辺りで一番大きい木。アワダマの付いている実は、上の方にあるから、空を飛ばないと取れない」
二十メートル以上はあるだろうか。これは確かに、普通には取れないだろう。ムクロジの木の真下まで来ると、セオは手を離し、バケツの蓋を開けた。
セオは、中に入っている小さな柄杓で水を撒いた。太陽の光に反射して、水の粒がキラキラと輝く。
すると、ムクロジの木の上の方で、何かがもぞもぞと動き出した。アワダマの事を知らなければ、風で葉が揺れたか、鳥の巣でもあるのかと思っただろう。
「アワダマが、水遊びしたがってる。パステル、重いけど、これ持てる? 木の上で、さっきみたいに水を撒いてほしい」
「うん、分かった。任せて」
私がバケツを受け取ると、セオは私の腰に手を回した。突然の事に、私は一瞬驚いてしまう。
「……あ、あの、セオ……?」
「両手が空いてないと、水を撒けない。ごめん、我慢して」
「そ、そうだよね。大丈夫」
そうは言ったが、あまりにも近すぎる距離に、再び鼓動が早くなっていく。思わず横を見ると、人形のように美しい顔が、真っ直ぐに私を見つめていて、私はまた顔が熱くなっていくのを感じた。
セオは、空いている手で自らの胸を押さえて首を傾げたが、すぐに気を取り直して上を向いた。
「日が傾いて来てる。急いだ方がいい。いくよ」
「うん」
セオは一瞬、強い光を放つ。ふわりと足が地面から離れると、その光は徐々に収束していき、周りが見えるようになった。ゆっくりと、私達は浮上していく。
「わぁ……! すごい……!」
地面が、どんどん遠ざかる。光に包まれて飛んでいる時と違って、自然の風が髪を揺らす。元々見晴らしの良い場所だったが、更に遠くまで見えるようになった。奥でキラキラと輝いているのは、水面だろうか。湖か、海か、それとも――
「パステル、気をつけて。風のバリアを張ってないから、バランスを崩さないように」
「あ、うん。気をつけるね」
ついつい景色に見とれてしまったが、私達はもう地面から遠く離れている。間もなく木の上半分に差し掛かる所だ。ムクロジの尖った葉の合間に、実が幾つもなっていて、ふわふわした毛玉たちが散見されるようになってきた。
「そろそろアワダマが増えてきた。パステル、水をお願い。体勢崩さないように、気をつけて」
「うん、わかった」
私はバケツから水を掬い、セオにかからないように気をつけながら、水を撒く。興味を持ったアワダマたちが、ムクロジの実の上から下から、ふわふわと顔を出す。……まあ、顔と言っても、全身が毛に覆われていてどこに目があるのかは判別出来ないのだが。
「さあ、こっち……おいで」
セオが、空いている右手をムクロジの実の下に出すと、アワダマが、そのふわふわの身体から手をにょき、と伸ばし、枝から実を切り離した。ムクロジの実が、アワダマと一緒にセオの手に落ちてくる。
「パステル、バケツを」
「はい」
私がバケツをセオの近くに寄せると、セオは手に持っていたムクロジの実とアワダマを、そっとバケツに浮かべた。バケツに入ったアワダマは、小さい手で一生懸命ムクロジの実を擦って、泡を立てている。
「か、可愛い……!」
「パステルも、やってみる? バケツ、預かる」
「ありがとう……!」
私は、セオにバケツを渡して、アワダマがくっついているムクロジの実の下に手を差し出す。アワダマは、先程と同じように実を切り離し、私の手に落ちてきた。私もセオに倣って、アワダマとムクロジの実をバケツに浮かべると、アワダマは満足そうに泡で遊び始めた。
「わぁ……!」
アワダマを見ていると、自然と笑顔になる。セオの視線を感じて横を見ると、セオはすぐ近くで、見た事のないほど柔らかい表情をしていた。その表情に、私はまたどきりとしてしまう。
「パステル、嬉しそう。いや、わくわくしてる?」
「うん、とっても嬉しいし、楽しいし、わくわくしてる。ありがとう、セオ」
私が微笑むと、セオもまた、微笑みにも満たない小さな小さな笑顔を返してくれたのだった。
しばらくの間、二人でムクロジの実を取り、バケツにたくさんのアワダマが集まったところで、私達はゆっくりと地上に戻り、バケツに蓋をする。すっかり夕方になっていて、西日が眩しい。もうしばらくしたら、日が沈み、黄昏の時間になるだろう。
黄昏時は、私にとって一番怖い時間帯である。色彩の判別が出来ない私にとっては、光と闇が交わるこの時間帯が、一番見えづらいのだ。
――でも、今日は、セオがいる。一人で不安になる事もない。だからだろうか、まだもう少し、ここに居たいとも思ってしまう。
「ねえ、パステル」「あの、セオ」
私がセオに話しかけたのと、セオが私に話しかけたのは、同時だった。セオは、無表情のまま小首を傾げている。私は、思わず笑ってしまった。
「ふふ、被ったね。セオ、お先にどうぞ」
「……じゃあ、先に言う。パステル、さっきは、ごめん」
「え?」
「許可を取る前に、背中に触れた。パステルが嫌がるかもしれないって、考えなかった。ごめん」
「……嫌じゃ、なかったよ。だから、大丈夫」
「恥ずかしかった……で合ってる?」
「うん、そう……だね」
「恥ずかしいのは、嫌じゃない?」
「うーん、嫌な時の方が多いけど……何だろう。さっきのは、嫌じゃなくて、むしろ……」
そこまで言って、私は口を噤んだ。
――なんで、いま、私は嬉しかったなんて、言おうとしたんだろう。
言葉に詰まってしまった私を、セオはただじっと見ている。
「……上手く言えないけど、とにかく、嫌じゃなかったよ」
「ふーん。……やっぱり、僕には難しい」
「……私も、よくわからないよ。自分の心と向き合うのって、とっても難しいね」
西の空には、色付いた光を放つ太陽が、山の合間へ帰ろうとしている。空はグラデーションになっていて、下が濃い色だということは分かる。どんな色なのかは分からないが、私は心の中で、想像した色を塗っていく。
――太陽は『赤』?『オレンジ』?『黄色』だろうか?
空の色は『紺』?『オレンジ』? それともまだ『水色』なのかな?
私は隣に立つセオを見る。セオも、夕焼けの景色を眺めていた。
――セオの髪は、何色? 瞳は、どんな色だろう。きっと、美しい色なんだろうな…。
そんな事をぼんやりと考えていると、セオが私の方へ向き直った。私を見るその美しい瞳には、一度たりとも憐憫も、好奇も、嫌悪も侮蔑も不信すらも、映ったことはない。ありのままの私を、ただ真っ直ぐに、見てくれている。
「パステル、さっき、何言おうとしたの?」
「あ……えっと、今日は、セオはフレッドさんの所に泊まるのかなって思って」
「……泊まれない。あの森は、夜はお祖父様以外の人には危険だから」
「……お祖父様? フレッドさんって、セオのお祖父様!?」
セオは、はっきりと頷いた。
私は驚いて、目をぱちぱちと瞬かせる。目の前の天使と、あの森の熊さんに血の繋がりがあるだなんて、誰が思いつくだろう。
「似てないって、ラスに言われた」
「……うん。全然似てない。びっくりしちゃった」
「アワダマを届けたら、また、パステルのところへ行ってもいい?」
「うん、勿論だよ。ゆっくりお話出来るし、嬉しいな」
「じゃあ、そろそろアワダマ届けに行こう。日が暮れる前に」
そうして、私はセオと一緒に一度コテージに戻り、アワダマの入ったバケツを置いて、ロイド子爵家の近くまで戻ってきたのだった。




