12 「僕には、わからない」
私がゆっくり振り返ると、キッチンの入り口に、セオが佇んでいた。私はすぐに持っていたお皿と布巾を置き、セオの方へと向き直る。
「セオ、身体は大丈夫なの?」
「少しだけ怪我をしたけど、平気」
「良かった……心配したんだよ」
私は今度こそ安心して、ふにゃりと力が抜けるのを感じた。セオは相変わらずの無表情で、真っ直ぐに私を見ている。
「パステル、どうしてここにいるの?」
「ラスさんに、連れて来てもらったの。セオが困っているって聞いて、居ても立っても居られなくて……」
「ラスが、パステルを……?」
「うん。びっくりしたよ……セオが囚われているのを見た時は、心臓が止まるかと思った」
「……止まらなくて、良かった」
「……ふふっ。例えだから」
真剣にそんなことを言うセオに、私は思わず笑ってしまった。可愛い。
「でも、本当に無事で良かった……。ねえ、セオ。いつもあんな危ない目に遭っているの? どうして……?」
「いつもって訳じゃないけど……最近、一人で動くことが多いから」
「セオ……聞いても分からないかもしれないけど、誰に、どうして捕まったの?」
「……今は、言えない。今はまだ、パステルを巻き込みたくない」
「……そっか」
セオが危ない目に遭っているのに何も出来ないのは、もどかしい。けれど、いつか話してくれるのなら、今踏み込んで聞くべきではないだろう。
私は、もう一つ聞きたかったことを問いかけた。あれから、ずっと気になっていたことだ。
「それから……どうして急に出て行ってしまったの?」
「呼ばれたから」
「呼ばれた……?」
セオは頷いた。相変わらず、言葉足らずだ。
「急いでた。何も言わなくてごめん」
「うん……」
「……ねえ、パステル。あの時のこと」
「え?」
セオは、キッチンの中に入ってきて、私の近くに歩み寄ってきた。手を伸ばせば届く距離だ。フレッドかラスが先程手当てをしたのだろう、消毒薬の匂いがする。
「あの時、僕が笑ったって、パステルは言った」
「うん」
「僕、自分でも分からなかった。けど、パステルと話してると、何処かからあったかい何かが流れてくるんだ。――今も」
「――うん」
セオは、胸に手を当てている。キッチンを照らすランタンの灯りが、瞳に映って、揺らめいて見える。何故だろう……少しずつ胸が苦しくなってきた。
「石の牢に繋がれてた時、僕、パステルのこと、思い出した。パステルに、会いたくなった」
「……!」
――鼓動が、一気に加速した。セオの瞳に映るランタンの灯りが、大きく揺らぐ。
「パステルと一緒にいると、僕は透明人間じゃなくなるみたいだ。でも、僕にはこの気持ちが何なのか、まだわからない……」
――私も、セオが居なくなってからずっと、会いたいと思っていた。セオも私に会いたいと思ってくれていたのだ。
嬉しかった。でも、それだけじゃない。胸が高鳴っている。
この気持ちは……何だろう。私の知らない、私の気持ちが、溢れ出てくる。
私とセオは、しばらくの間、言葉なく見つめ合っていた。
「なんじゃ、セオ、起きとったのか」
突然、キッチンの入り口からのんびりとした声がかかり、私はびっくりして飛び上がってしまった。
「フ、フレッドさん!」
「ん? もしかして邪魔したか?」
「いや、その、あの」
「パステル、顔赤い。どうして?」
「ははーん……」
「な、何ですか」
フレッドは、悪戯な表情を浮かべている。私は思わず一歩後ずさった。
「――ずばり、パステル嬢ちゃん、セオのこと好きになったかの?」
一瞬の沈黙。
その言葉の意味を理解した途端、私はさらに顔に熱が集まるのを感じた。
「す!? す、すすす、すき!?」
「好き……?」
セオのことは好きだが、きっとフレッドが思っているような意味ではないと思う。私は誰かに恋をするどころか、友達すら居たことがないのだから。
私は、慌てて取り繕った。
「も、勿論、す、すす、好きですよ! 初めての友達ですから!」
「ほほーぅ?」
「『好き』……」
「と、友達ですもの! 当然じゃないですか! ね、セオ!?」
私は焦ってセオに話を振った。セオは胸をギュッと押さえて、言われたことの意味を真剣に考えていた。
ややあって、セオは無表情ながらもどこか苦しそうに、答える。
「……友達、だから……『好き』? 僕には、わからない。感情がない、透明人間だから。……僕に聞かれても……答えられない」
「……そ、そっか。……ごめん、取り乱して」
「ううん。僕の方こそ、ごめん」
「……茨の道、じゃの。まあワシは止めはせんぞい」
フレッドは、ボソリとそう呟いて、リビングの方へと出て行った。私は、一人でドキドキして慌てふためいていたのが、急に虚しくなった。膨らんでいた心がしゅん、としぼんでいく。
「……お皿……片付けちゃうね。拭き終わったやつ、何処にしまえばいいかな?」
「カップとグラスはこっちで、あとはここ。僕、やるよ」
セオはそう言って、拭き終わった食器をさっと手に取った。セオが動くと、再びふわりと消毒薬の匂いがして、彼が怪我をしていた事を思い出した。
「あ、ありがとう。傷は大丈夫? 痛まない?」
「このぐらい、平気。慣れてる」
「……怪我することに慣れちゃ、ダメだよ」
私はそう呟いたが、食器を片付ける音に掻き消されたのか、セオは返事をしなかった。
「……き……」
その代わりに、セオも何かを呟いたようだったが、食器の拭き上げを再開した私には、その声は届かなかったのであった。
「フレッドさん、洗い物、終わりましたよ」
「おー、すまんのう。助かったわい」
「アワダマ、切らしてるの?」
「そうなんじゃよ。お嬢ちゃん、まだ時間は大丈夫かい?もし時間があるなら、セオと一緒にアワダマ捕りに行ってみないかい?」
「わぁ……! 行きたいです……!」
「助かるわい。風の魔法がないとアワダマを捕まえるのは難しいし、魔法があっても一人では大変なんじゃ。セオを手伝ってやってくれ」
「はい、喜んで……!」
妖精を見に行くのは、楽しそうだ。初めて見た時は驚いたが、私もアワダマの不思議な生態に興味がある。
「アワダマって、妖精……なんですよね? 何処にいるんですか?」
「アワダマは、ムクロジの木に住んでいる妖精じゃ。ムクロジの実にくっついていて、遊び終わるまで離さないから、実を取ると一緒についてくるんじゃよ。じゃが、実から泡が出なくなると、飽きて別のムクロジの実を探しに行ってしまう。だから時々別の洗剤を足してやるんじゃが、それでも飽きてしまったら新しい実を取りに行くしかない、という訳じゃ」
「風の魔法で、実を取るんですか?」
「そう。だけど、少しコツがある。アワダマは、水遊びが好き。だから、ムクロジの木の近くで水を撒くと集まってくる。あとは、アワダマが集まっている所に飛んで行って、実を収穫する」
「へぇ、面白そう……!」
「じゃあ、早速行こう。日が暮れると、捕まえるの難しくなる」
「うん!」
セオはそう言うと、奥から蓋のついたバケツを持ってきて、出入り口の扉を開けた。私はセオについていく。セオは、井戸で水を汲み、バケツの半分ぐらいまで水を入れて蓋をする。
「気をつけてなー」
フレッドが、コテージの中からそう声を掛ける。セオは頷き、私も「はい」と返事をすると、フレッドはコテージの扉を閉めた。セオは、私に手を差し出す。
「パステル、空を飛んで行くから、手を取って」
「う、うん」
セオの視線を感じながらも、私はセオの顔を直視出来なかった。ぽわぽわと、くすぐったいような感覚が込み上げてくる。
差し出された手に、私は自分の手をそっと重ねる。その手は、私の手よりも大きくて温かく、不思議と安心感があった。
そうして、セオが私の手を優しく握ると、世界は淡い光に包まれたのだった。