希望
ハーバス王国とアルガモの出現場所から中間地点、ハーバス平野にて王国軍は飢えたアルガモと遭遇しようとしていた。
開けた平原を歩む、様々の足音。
兵の士気は高いがそれも束の間の話、大男の登場によって平原に緊張が走る。
「きた.....」
誰かがそうポツリと漏らした。
その言葉は隣の者へ、更に隣へ伝染していく。兵達の目線を一箇所へ釘付けにしていく。
兵士八十九名、その臨時部隊をまとめているジョインは前方よりのろりのろりと疲れ果てたかのような歩みを見せるアルガモに、アイネとあの少年の戦いの末を想像させる。
「……弱っているが、やはり、負けた。耐えれなかったか……」
期待はしていた。
少年リューズと団長アイネ、二人が力を合わせれば時間までの生存率は遥かにあがる。
たが、目の前に現れた怪物の姿。
「──盾部隊! 封印術が完成するまでの陽動と時間稼ぎまかせたぞ! 封印部隊は十二角封印の準備をっ!」
ジョインの命令はすぐさま兵士に行き届き、一斉に部隊が各々の配置へと散開する。
二人の事は一度忘れよう。
今はこの厄災を、ここで食い止めなければ王国の未来が危ぶまれる。必ず……必ず止める。
──大規模戦術級魔術、十二角封印式ノーブレイクホール。
総勢三十六人で行われる、魔色を多彩に使った封印術。
火、水、土、風の魔術師を時計盤の数字の様に配置し、中央に巨大なエルフィズマナの檻を形成する。檻は式の中心部に形成される為、陽動こそ難しいが封印が施されれば自力で解く事は不可能とされる永久牢獄である。
盾部隊が魔闘気と具現化魔術による盾を形成し、アルガモに接触をはかる。それは陽動と封印の為の時間稼ぎ。
だが、
「──ッ!」
誰かの声にならない声が戦場にこだまする。
それは誰かの心臓の底から滲み出た恐怖だった。
自分達の命に、得体の知れない不運な怪物がかぶりつき、食い散らかしていく恐怖。
戦場の兵士達の精神を揺さぶった。
「ひぃっ!」
アルガモから放たれる恐怖は伝染する。
「死にたくないしにたくないしにたくない」
「相手にしちゃダメな怪物ッ」
「やりあったら!死ぬっ」
「ムリ無理無理無理むり!」
前線を張らなければいけない盾部隊は恐怖の伝染にパニックを起こしていた。
「──どうなっているんだ? 盾部隊の動きがチグハグだぞ?」
戦場の指揮をとらなければいけないジョインは頭を抱える。このままでは封印隊の方にも被害が出る、人が欠ければ自ずと封印術も弱まる。
完全なる封印式、それには前線の守りが必須条件だった。
「いったいなにが、なにがおこってる?」
「報告! ジョイン総隊長っ! 眼ですっ!アルガモの眼です!」
一人の伝令が傍らへと伏せる。
「あの右眼です! 眼に当てられると精神異常を起こすようですっ!」
「まさか......ここにきて、魔眼かッ!」
盾部隊隊長ライド=ウェスタ
八年振りの厄災の登場により部隊の主軸を務めることになったハーバス王国貴族ライド家の長男である。
彼の父ノストンは過去厄災出現時の盾部隊隊長であり、今回の徴集された息子に対して助言をしていた。
「アイツの体にゃ黒い靄、モヤがある。それに触れちゃーならん、精神汚染系……精神に異常をきたすさけ、出来るだけ高密度のマナで形成した盾で攻撃せぇ。もし万が一、身体に触れそうになりゃー全力の魔闘気で応戦せぇ。」
父の言葉を思い出す。
「体の周りに黒い靄なんてないぞ、盾部隊もパニック状態......なぜ?」
まだ戦いを始めてもないのに士気は下がる一方、それどころか重度の精神異常をきたしている者もいる。
モヤ、靄、モヤ。
部隊が崩壊していく────気を詰めろ!
ウェスタがアルガモの動向を観察する、違和感。
気づく、類稀ない洞察で。本部からの情報はない、だがウェスタは確信できた。
右眼だ。右眼から少しだが黒い靄が漏れている。
「盾に告ぐっ! 一度前線より後退っ! 医療部隊より浄化の光キュアを受けろ! これは精神汚染の魔眼だっ! 出来るだけ目線を合わせず、下がれっ!!」
ウェスタの言葉によって辛うじて耐えていた前線部隊が個々に伝達を開始する。
精神異常をきたした者を運び引いていく部隊。
動ける者が足りない……それも圧倒的に──
たが封印術の配置及び詠唱は始まっている。
降り出しに戻る時間もない。
ここでウェスタは盾部隊隊長としての決断を切る。
「今、動ける者のみで陽動と周りの守りを行う! 俺が本体の陽動を引き受けるっ! 残りの者は仲間に飛び散る火の粉を振り払えッ!」
高密度な魔闘気を練り上げ駆け抜ける。
アルガモの動きを止めるため、ヘイトを稼ぐため、左手で支えた大魔盾でアルガモにシールドバッシュを放つ。
「う……」
アルガモの身体に接触した魔盾は黒い靄に侵食され粉々と散っていく。
「なんて靄だ! 馬鹿げてるぜ!」
その度、新たな魔盾を具現化し、何度も繰り返したシールドバッシュにアルガモも遂に歩みを止めた。
「ヴァアァァァァァアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
「耳が......」
それは本日三回目の咆哮であった。
その咆哮は音の圧となりウェスタを吹き飛ばす。澱む空に向かって吼える化け物は餌を欲する餓鬼のような、不協和音を口から吐き出し続けた。
ハーバス王国まで波及する程の音の厚みを持ち、民、兵士達は恐怖の大波に飲まれ野ねずみのように怯えるのであった。
「おぇっ......」
その咆哮を最も近くで受けたウェスタは意識が混濁する。視点が全く定まらず頭がグラつく。
目を瞑り、奥歯を噛み、胃の奥から戻ってくるものを抑えようとするが鼻に付く匂いと共に嘔吐する。
「オエッ......えッ......」
今までにない五感の揺さぶりに吐き気の波が止まらない。そんな状況などお構いなしとアルガモの追撃。咆哮をあげた突進は無防備のウェスタをさらに吹き飛ばした。
「隊長っ!!!」
「イッ......ガッァ」
部隊の悲痛な叫び。
ウェスタは受け身すら取れず地面を抉り滑った。
肺の中に辛うじてあった酸素も逃げるように体外に排出され、息苦しさが襲う。
「ふぅ......ふぅ......ぐぅ......たて! 立てよ! 俺!」
触れた場所が火炙りの如く痛みを発する。
ボロ雑巾に成り果てた己の体。ウェスタは心に鞭を打ち身体を起こそうとする。
ここで自分がヘタレると必ず前線は崩壊し、兵達が死ぬ。
「んがががががッ!!俺の! 足! 起き上がれよおおお!」
ウェスタの悲痛な心からの叫び。
それでも目に映りこんだのは慈悲なき二度の突進だった。
ウェスタの精神は何か後悔のような、安堵のような、死ぬ寸前の綻びのような。
¨おわった¨
ウェスタが糸切れる瞬間に見たのは、威嚇するように雷が閃く黒髪の少年だった。




