5 お小言……は、華麗にスルーする?
大きな蛾は動きを止めた。
けど、私が手を伸ばしているのに気がついて、再度数歩離れながら言った。
『はあ~? 何を言っているんだい、この子は。あたしは人が怖がる魔物だよ』
「でも、あなたは私に何もしなかったわ。それどころか心配をしてくれたじゃない。魔物は魔物でも、いい魔物なんだわ」
蛾はまたも動きを止めたけど、ハッとしたようにすぐに動いて離れていく。
そして羽をバサバサと動かして飛び立とうとした。
『来たきゃ来ていいけど、あたしが相手をするなんて思うんじゃないよ』
そう言うと蛾は空へと飛び立った。
羽から巻き起こった強い風に目を閉じた私。
風が収まって目を開けた時には蛾の姿は見えなくなっていたのだった。
◇◇◇
私はその後、探しに来たうちの者に見つかって、邸へと戻った。
案の定、お母様とお父様だけでなく侍女長や執事長にまでお小言を言われた。
私は頬を膨らませてそっぽを向いて聞いていた。
うん。
自分でも態度が悪いと思うけど、邸を出たのには理由があるんだもの。
「マリーアンヌ、ちゃんと話を聞きなさい!」
それまで滾々とお小言を言っていたお父様が、私の態度に腹を据えかねたのか声を荒らげた。
お父様の怒っている声に私はビクリと肩を揺らし、込み上げてきた涙で潤んだ瞳でお父様を見返した。
怒られるのは初めてだった……。
「ウッ」
お父様が怯んだように体を少し後ろへと引いた。その様子に呆れたような目をお母様は向けてから私へと話してきた
「マリーアンヌ、わたし達は怒っているのではないのよ。誰にも何も言わずに邸からいなくなったから心配をしたの。それはわかるわね」
私はお母様の顔を見て、コクリと頷いた。頷いた拍子に目に溜まった涙が溢れて、頬を伝って落ちた。
それを見たお母様が動揺したように、口元に手を当てた。
「コホン。お嬢様、この辺りは怖ろしい獣は出てまいりませんが、悪い人間が入り込んでいないとは限らないのです。お一人で出られてはいけませんよ」
何も言えなくなったお母様の代わりに、諭すように侍女長が言った。
「わかって……います。でも、私も何かしたいと思ったから……」
私は小さな声で反論にもならないことを言った。大人たちは顔を見合わせて困惑している。
「えーと、お嬢様。邸を出られたのには理由がおありだったということですか」
執事長が確認するように言ったので、私は頷いてから、大人たちを見上げた。
「「「「ウッ」」」」
大人たちはまたも狼狽えて、視線をあっちこっちへと向けた。
お互いに視線が合うと気まずそうに逸らしたりなんかして……。
私は心の中でニンマリと笑った。
えへっ。
もちろんわざとですよー。
私に怒り慣れていない大人たちですからね。
潤んだ……もとい、涙にぬれた瞳で見上げられたら、罪悪感が半端ないですよねー。
「私も、お茶会で皆様が言っていたように、家のために……いいえ、この国のためになにかしたかったの。私、三か月前のお茶会で初めて知りました。我が国が貧乏なことを」
「うぐっ」
私の言葉にお父様は痛いところを突かれたというような顔で呻いた。
「ポプリというものを作っている方がいて、それには乾燥した花びらを使うと言っていたのよ。それなら領地のどこかに使えるお花が咲いているかもしれないでしょう。だから領地を歩いて見たかったの」
「あ……えっ……その……」
お母様が何か言おうとして言葉にならずに口を開けたり閉じたりした。
「この邸のみんなは忙しいみたいで、私が外に行きたいと話しかけようとしても、話を聞いてもらえなかったわ」
「……」
侍女長に目を向ければ、視線を逸らされた。
「それなら少しだけ外に行こうと思ったの。だけど……邸から出て驚いたわ。まさか行けども行けども、野ばらの群生しかないなんて。それならどこかに野ばらが咲いているのではないかと思ったのだけど、お花を見つけることは出来なかったわ」
「あ……」
執事長に目を向ければ、何かを言おうとしたけど、思い直したように口を閉じてしまった。
私はみんなから視線を外すと、悲しそうな顔をして俯いた。
「やはり、私は役立たずなのね。野ばらのお花どころか、ポプリに使えそうなお花を見つけ出すこともできなかったもの。こんな私だからこの国の状況も、外の国で働いているお兄様のことも教えてもらえなかったのね」
「「「「それは!」」」」
お父様たちの声が重なりました。お父様たちはハッとして、顔を見合わせました。
それはまるで誰かが言ってくれることを期待しているように見えました。
譲り合って口を閉ざしてしまったので、私は言葉を続けました。
「それともお父様たちは私が愚かであることを望まれるのでしょうか。お茶会で会ったご令嬢方はもう売り物に出来るような刺繍を刺していらっしゃると聞きました。私では教えるだけ無駄ということで、刺繍を教えてもらえないのですね」
「違うわ。そんなことは思っていないわ!」
お母様は顔を蒼褪めさせて叫ぶように言いました。
私はチラリとお母様の顔を見て、すぐに逸らしました。
「いいえ。私はこの家のお荷物なのだわ。私に出来ることはみんなに愛嬌を振りまいて、可愛がってもらうことだけ。ブラッキールやホワイティアとおんなじ。……いいえ、二匹より役立たずなんだわ」
「マリーアンヌ! そんなことはない。そんなことはないんだ」
お父様へと目を向けて、またポロリと涙を零した。
「慰めてくれなくてもいいのです。教えたくないと思わせた私が悪いのですもの。……部屋に戻ります」
私はそう言うとソファーからぴょんと降りた。
……本当はスッと立ち上がりたかったけど、それは五歳児には無理だからね。
「待って、マリーアンヌ。誤解よ。誤解なのよ。可愛いあなたに危ないことをさせたくなかったのよ」
お母様がそう言って立ち上がると、私を抱きしめようと近づこうとした。
それを邪魔するように私とお母様の間に立ちふさがるものがいた。
いつの間にか応接室の扉が開いていて、廊下に心配そうな顔をして覗いている使用人が何人もいた。
そこから入ってきたのだろう黒と白の獣たちは、その巨体で私を守るようにお母様から隠した。
「ブラッキール、ホワイティア。お部屋に戻りたいわ」
私がそう言うと黒い猫、ブラッキールはグルルルルと低い呻り声を上げて周りを威嚇してくれて、白い犬、ホワイティアは体を低くして私がその背に乗ることが出来るようにしてくれた。
そして私は二匹に守られて部屋へと戻ったのでした。