4 声が聞こえる……って、えっ?
三重苦の地の利のことを思い出し終わって、私の目にはうっすらと涙が浮かんできた。
これじゃあどうやっても、前世の知識を生かしようがないじゃない。
……いや、そうじゃないか。
だから、こんな状態の国だから、めんどくさい社交に力を入れなくていいのよ。
うん。
でも……でも……やはり、転生の特典を“魔法が使える”にしてもらっていれば、この状況をどうにか出来たかもしれない。
だって……まだわずか五歳で、刺繍したハンカチが売れるだとか、この地に咲く数少ない花からポプリを作って匂い袋にして売ろうだなんて、考えなくていいじゃない。
この国を出て魔物を倒して外貨を得て、それをこの国に残る家族のもとに運ぼうと考えなくてすむじゃない。
魔物を倒す冒険者じゃなくても、他国に働きに行かなくて済むように、この国で何か産業が興せれば……。
だいたい神様も嘘つきじゃない。ゲームの世界じゃないかもしれないけど、ゲームの世界だとそう思った人物により苦境に陥っている国に生まれ変わらせるなんて。
どうしろっていうのよー!
私が公爵領に来たのは、王都の邸にない本が多くあると聞いたから調べ物をするには丁度いいと思ったのと、荒涼とした土地だと聞いたからそこを開墾できないかと思ったからだった。
私の“動物の言葉がわかること”スキルを使って、牛…は無理でも羊または山羊を飼って、羊毛を使った毛糸製品やヤギのチーズを作って売ることが出来ればと考えたからだ。
でも……少し考えればわかることだったのよね。
この国が出来て二百五十年も経つのだから、今までに何もしていないわけがなかったことに。
荒野の開拓は……とても困難を極めたことに。
私は自分の無力さを実感して茫然としたあと、神様からの特典を違うものにしてもらうべきだったと思って、「しくったなー」と呟いたのだった。
それが冒頭である。
うん。
◇◇◇
『おやおや。どうしたものだろうねえ』
私は突然聞こえてきた声にハッとして、当たりを見回した。
けど、見える範囲に人影はなかった。
『人の幼体よな。……なんでこんなところに居るのか知らないけど、保護するべきかねえ』
困惑したような声に、私は首を傾げた。
人の……ようたい?
なに、それ?
『困ったねえ。あたしの姿を見せて、怯えさせるわけにはいかないけど。……それでも送っていくしかないかねえ』
怯えさせる?
誰を?
私を?
『この子の親は何をしているんだい。もう、かなり長いことここに居るじゃないか。……ええい! もどかしい!』
その言葉と共に頭上からキラキラと輝くものが降ってきた。
私は上を見上げて唖然とした。
おおきい……蛾……だよね。
ポカンと口を開けて見上げる私と蛾の目が合った。(と思う。複眼がキラリと光ったから)
大きな蛾はゆっくりと降りてきた。
そして私から五メートルほど離れたところに降り立つと、六本の足を使ってゆっくりと私のほうへと歩いてきた。
そして二メートルくらいのところで止まるとジッと私のことを見つめてきた。
『やれやれ。見つかっちまったい。……それにしても本当に小さいねえ。こんな小さいのを放っておくなんて、人というのは無責任な生き物なのかねえ』
まるで人のようにため息交じりに言われた言葉に、私は再度大きく口を開けた。
『おや? なんだい、この子は。口を大きく開けたりしてさ。……もしかしてお頭が足りないのかね?』
困ったように頭を上下させる、蛾。
「しゃ……」
『しゃ?』
「大きな蛾がしゃべったー!」
『……はっ?』
私が絶叫するように叫んだら、蛾は少し仰け反るように後ろに下がった。
「ええっ~? この蛾って、魔物よね。魔物図鑑に載っていたもの。確か、洞窟茨が好物で、討伐のドロップ品が“モモンスラーの繭”と呼ばれる、貴重な糸だったはず! なんでこんなところにいるのー!!」
『何を言っているんだい、この子は』
疲れたような呆れた声で呟いた蛾は、前足(で合っているのかな?)を持ち上げると、私の後ろを指示した。
『まあいいさ。あたしの言葉がわかるのなら、さっさとお戻り。この辺には人を襲うようなものはいないけど、安全とはいいがたいからね』
蛾の言葉に私はまたも目を丸くした。それと共に困惑もしている。
えっ? どういうこと?
魔物って、人を見れば襲って来るものじゃないの?
私が動かないことに焦れたのか、蛾は近づいてきて私の肩に触れ、くるりと向きを変えた。
一瞬体が強張ったけど(だって体長が三メートルはあろうかっていう大きさなのよ。怖がるなってほうが無理よね。それに足は十五センチはあるだろうという太さなの。恐怖を感じたって仕方がないわ)気を使ってくれているのか、案外やさしく触れられたの。
でも、肩から足を離す時に爪(で合っているのかしら?)が服に引っかかったのか、引っ張られてバランスを崩した私は、後ろへと倒れ掛かった。
「わっ」
可愛くない悲鳴? を、上げた私は体を地面に打ち付けることを覚悟した。
ポスン
実際にはそんな音はしなかったけど、どうやら受け止めてくれたらしい蛾の体のおかげで、怪我をすることはなかった。……私はある事実に目をまん丸く見開いた。
「やわらか~い!」
『えっ?』
「いや、なに、この触り心地~! 気持ちいい~!! ずっと包まれていた~い!!!」
『ちょっ、ちょっと』
向きを変えた私は蛾の体へと抱きついた。邸で使われている毛布よりも柔らかくて極上の手触りに、私は恍惚の表情を浮かべて触りまくった。
『ちょっと……おやめ。くすぐったいじゃないかい』
そう言いながらも私を止めることが出来ない(らしい)蛾は、しばらくされるがままになっていた。
「はあ~、気持ちよかった~」
『それは……よかったねえ』
思う存分ふかふかの毛並み(としか思えなかったわ)を堪能した私は、満面の笑顔で大きな蛾を見上げた。
蛾は疲れたような声で答えてくれた。
『それよりもいい加減おうちにお帰り。心配しているんじゃないのかい』
「あっ。そういえばかなり時間が経っているかも」
私は邸がある方を振り向いた。かなり遠くに見えるけど、なにやら人が動き回っている気がする。
「あちゃー。どうしよう。怒られるかな?」
『何をのんきに。……まあいいさ。あの様子ならすぐに迎えに来てくれるだろうさ。おとなしく待っているんだね』
そう言って蛾は私から離れようとした。
そんな大きな蛾に向かって手を伸ばし、私は前足を掴もうとした。
「待って! ねえ、また会いに来てもいいかな」