24 この地に来た魔物は……
『それはどうだろうね。もともとクアールもフェンリルも、八十年くらいは軽く生きるというからね。もっと長生きするものも居るらしいし。守護契約をしたことで寿命が延びる恩恵は、あんたらにはないと思うよ』
ピーチティアの言葉に、がっかりした顔をするブラッキールと、澄ましているけど耳が微妙に下がったホワイティアだった。
『それから、あんたにこの子を渡しておくよ』
そう言ったピーチティアから離れて私のほうへ飛んできたのは、体長が三センチくらいの蝶だった。
蝶はヒラヒラと私のところへと来ると、私が出した右手の指先に止まった。
「ええっと、この子は?」
『その子はあたしの眷属さ。あたしはマリーアンヌのそばにいつもいられるわけじゃないからね。代わりにその子をそばに置いておくれ』
『どうしてさ。姉さんもおれっちと同じ様に小さくなればいいじゃないかー』
ブラッキールはピーチティアの言葉に異議を唱えた。
『それが出来るならそうするさ』
ピーチティアがそう言うと、ブラッキールはもっと不満そうに低く呻った。
『ああ、意味が違うんだよ。あたしだって、出来ればマリーアンヌのそばに居たいさ。でもね、いいかい。あたしらピングドグマは人にとって討伐対象となっているんだよ。前に……“モモンスラーの繭”とか言っていただろう。そう、あたしらの繭が人の間で良いものらしくてねえ。だからあたしらを見つけると、繭があるだろうと思って奪いに来るんだよ。そんなあたしが小さな姿とはいえマリーアンヌのそばに居たらどうなると思うんだい』
『それは……』
ピーチティアの言葉に何も言えずに口を噤むブラッキール。
『安心おし。この子はあたしとマナで繋がっている子さ。だからあたしと同等のことが出来るさね。あたしがそばに居られなくても、この子がいればあんたたちは安心して敵を葬ることが出来るだろうよ』
『そうであるな。マリーの守りを任せることが出来るのであれば、我らが遅れを取ることはないだろう』
重々しくホワイティアが頷いた。
……って、何を言いだすのよ。
いきなり戦いを想定した会話をしないでくれないかな。
今のところきな臭い話はないんだからね。
『マリーアンヌ、今までは今までだよ。これからは何が起こるとも知れないだろう。用心するに越したことはないはずさ』
「そうだけど、今は平和だよ」
『マリーアンヌ、そうも言っていられないんだよ』
ピーチティアは北のほうへともう一度目を向けて言った。
『これからここにある魔物が来るのさ。そいつと会ってやってくれないかい、マリーアンヌ』
私もつられたようにそちらを見て、飛んでくる魔物の姿に目を見開いた。
あれは……蜂だよね。かなり大きいけど。
見る間に近づいてきた蜂はピーチティアのそばまで来ると、ホバリングに切り替えた。
『遅れたかい?』
『いや、その前の話がいま丁度終わったところだよ』
「ええっと、ビースピア?」
私は魔物図鑑に載っていた種族名を呟いた。
『おやおや、その名前は人が勝手につけたものだよ、お嬢さん』
蜂は私のほうへゆっくりと移動しながら、そう言った。
体長は一メートルくらいで……いわゆる蜜蜂の女王蜂という風体をしている。
それにその蜂を守るようにスズメバチと思わしき蜂が数匹追従していた。
えっ?
蜜蜂とスズメバチって、天敵の仲じゃないの?
『はじめまして、人のお嬢さん。私は“ハニービーグル”を率いるものです』
「あっ、私はマリーアンヌといいます。ようこそこの地にいらっしゃいました」
私の挨拶にハニービーグルはピーチティアへと振り向いた。
前足を持ち上げて、私のことを指示した。
『この子は……』
『わかっただろう。この子がこの地の所有者さ』
「えっと、私の土地というわけではないんだけど……」
『そのことについては、また別に話があるけど、それは次に話すよ。ハニービーグル、それでこの地はどうなんだい』
『ええ、とても満足よ。今は野ばらが咲いていて蜜を集め放題だからね。これなら、我らも幾ばくもなく数を増やせるだろうね』
……ということは、やはりハニービーグルも絶滅危惧種なのね。
うん。保護対象だわ。
私が守らなきゃ!
『マリーアンヌ、気持ちは分かるけどね、出来ればあたしらのことは、知らぬふりをしてくれると助かるよ』
「そうね。私が余計なことをして、あなたたちの存在をお父様たちに知られるわけにはいかないもの」
私がピーチティアにそう返すと、ハニービーグルは驚いたように声をあげた。
『ピングドグマ、あなた、もしかして、そのお嬢さんと守護契約をしたのかい』
『そうだよ』
『人は信用ならないって言ってなかったかい』
『この子は違うのさ。なんといっても、魔法も魔道具も無しで、話ができるからね』
ピーチティアにそう言われたハニービーグルは、私のことを探るように見てきた。
しばらくじっと見つめていたが、何を思ったのか一つ頷くとこう言った。
『それなら、私とも守護契約をしておくれでないかい』
『ちょっと、いきなり何を言いだすんだい。今日は挨拶だけって言っただろう』
『それはそれだろう。あなたが信用しているだけでも、私が信用するに値するね。それにお嬢さんのそばには気難しいと言われるフェンリルと、気まぐれなクアールが従っているだろう。この二匹を従えるだけでも、守護契約をして貰う理由になるじゃないかい』
『いや、それでも駄目だよ。マリーアンヌは先ほどあたしと契約したばかりだからね。そんな負担を掛けられないだろう』
『おや、そうだったのかい。それなら守護契約をお願いするのは、後日にしようか』
私はハニービーグルを呆気に取らながら見つめた。
えっ?
会って直ぐなのに、ピーチティアやブラッキール、ホワイティアを見て、信用するの。
私を?
そんな私を置いて話を進めた二匹……いや、ブラッキールたちも会話に加わっていたから四匹は、何やら話をまとめていた。
『それでは本日はこれで失礼させていただきますね、お嬢さん。次に会う時には贈り物をさせてもらおうかね』
ハニービーグルはそう言うと、北のほうへと帰って行った。
◇◇◇
『すまなかったねえ。まさかあいつがあんなことを言いだすとは思わなかったよ』
「えーと、はい」
私はまだ自失状態で、考えをまとめられずにいた。
ピーチティアはそんな私の様子を見て、ため息を吐きだした。
『ハア~。これじゃあもう今日は話が出来ないねえ。それにそろそろ戻った方が良さそうだよ。邸の入口に人が集まり出しているからね』