富士子編 89 墨色の紙袋
シーン89 墨色の紙袋
自室に入るとカギを閉めてベットにねこを下ろす。ねこは私の顔を見て「ニャー、ニャ」と鳴き、「ねこ、どうしたの?今日は朝からよく鳴くわね」と語り掛けた。
ベットに座ってねこの顎の下を、くすぐるように撫でてやる。ねこは顎を伸ばしてグルグルと喉を鳴らした。そうしているうちに、目の縁に悲しみの影が落ちて来る。
思い立ってクローゼットに入り、左側の衣装ダンスの上に置いたトートバッグを手にして、ベットの窓際側に腰掛ける。バックの中から寄せ木細工の小物入れを取り出す。蓋をとり、内に入っている物を一つずつ、ベットの上に置いてゆく。興味を示したねこが身を寄せて私の行動を見ていた。ねこの背中を右手で3度なでて「お前も一緒にね」と言った声は掠れていた。
ペットボトルの蓋。差し出してくれた手はゴツゴツとしていて大きく、掌と節々に硬くなったマメがあった。元は綺麗で伸びやかな指と手をしていただろう。どれほどの修練を積んだのか・・・
電子マネーカード。誠実な言葉に、素直に受け取れることが出来た。
梱包されたままの戦車のスマホストラップを見て「あっ」と小さな声が出る。タンスからビニール袋に入ったままのTシャツを取り出してベットに並べる。カレーライスのお礼だと晴れやかに笑った。“男は黙って痩せ我慢“ の意味を私は今になって理解した。
なぜ、戦車だったのだろう。
思い出は当然なにも教えてはくれず、落胆が果てない喪失に変わる。
本棚の前に立ち、求めるように墨色の紙袋を引き寄せて抱きしめる。
トボリ、トボリとベットの窓際がわに戻って腰掛ける。ねこは膝の上にある紙袋の角を嗅ぎ始め 「気になるの?」と話しかけたらズンと心が落ちぶれた。
喪失は今や、私の一部だ。
窓越しに見上げた空は私とは裏腹にどこまでも清く、青く、遠く、無心で見つめているとねこがまた「ミャー」と鳴き、頭をクシャリと撫でてやる。
墨色の紙袋を抱えたまま、ズルズルとベットから下りて横座りする。紙袋の左右をふさぐ、2つの黒のダブルクリップを外す。
アーバンノートの香りに心臓がドキリと跳ねた。
首をうなだれ、香りに埋もれて、滂沱の涙を流す。
好んで着ていた黒革のライダースジャケットを取り出した。最後になった日、肩にそっと掛けてくれた。私は傷心の怒りと共に投げ捨てた。
あの時が、脳裏に蘇る。
あれが最後になったとは無念すぎる。
慚愧には遅い。
ジャケットを抱きしめる。
香りが私を包んだ。枯れるまで泣き尽くす。
涙を拭いた指先で、紙袋の中にある物を取り出す。
同じ戦車のストラップが下がった黒カバーのスマホ。恥ずかしさが先立ち、番号すら聞こうとしなかった。馬鹿。
白い封筒を手にとる。
封筒の表には万年筆の青で、角を几帳面にとった男性的な字が並ぶ。盾石富士子様と。裏返す。左下に尾長要と書いてあった。あぁ・・本当に・・・死んでしまったのだ。これは手紙ではなく、遺書だ。
「クッ」と出た声を噛み殺す。
枯れたはずの涙が封筒に落ち、文字は幾重もの青い波紋になった。




