富士子編 86 石川記念公園
シーン86 石川記念公園
公園の北出入り口を背にした左手、記念樹の下にあるパークベンチに富士子と宗弥は座っていた。石川記念公園はもとは2人が共に通った小学校で、今は葉を落としている植樹は開校記念日の記念樹で、学校は廃校となって公園になっていた。目にする何もかもが2人にとっては過去のものだった。
2人で天辺まで登り、校舎を眺めたジャングルジム。どこまで漕げるか競ったブランコ。富士子は怖くて苦手だったが、宗弥は端から端まで渡るのが得意だったシーソー。クラス毎に季節の花を植えて育てた花壇が見えていた。
1時間ほど前、富士子の自宅玄関に現れた宗弥は紺色のワイシャツに、アルミニウムグレーのストレートパンツを合わせて、黒のワラビーブーツを履き、上着は着ておらず、定番のボディー バックを左肩からタスキ掛けにし、左脇に艶消しの墨色の紙袋を抱え、右手を前ポケットに入れていた。
出迎えた富士子は髪をストレートにブローして、半タートルの首元をパールのボタンが3つずつ八の字に飾る白のケーブルニットに、アッシュグレーのロング丈・バイアスプリーツのスカート姿だった。
宗弥は富士子の顔を見てホッと息を吐き「親父が言ってた通りだ。元気になったな、富士子。よかった」と言った。
その宗弥はがっちりとしていた体型がひと回り小さくなり、面差しは尖り、目は以前より大きくなって、快活な印象だった鳶色の瞳に陰を宿していた。
富士子と一 緒に出迎えた浮子は宗弥の顔を見るなり「宗弥さん、お疲れのご様子ですが、お体は大丈夫ですか?」と思わず聞いてしまう。「大丈夫です。ここんとこ忙しかったからですよ、浮子さん。こう見えても俺、優秀なんでやる事が多くて、何かと頼られちゃうんですよ。それに今日は演習明けです」と応じた宗弥はBig に笑って見せたが、その笑顔が痩けた頬のエッジを強調する。
宗弥は富士子が退院した後、アルファーとは接触不可となった。宗弥に対してだけ、本陣警備課から事件前後に関する徹底した事情聴取が行われ、それが終了すると宗弥はコロンブス直属となり、そうなった理由は規定上、説明されていない。
宗弥の顔付きを見た富士子は自分の事で迷惑を掛けているのでないかと危惧し、訊ねようとしたが、今聞けば浮子を心配させると考え直して「宗弥、久しぶりだね。この間はお見舞いありがとう。浮子に聞いたの」と軽やかな声で明るく伝え、浮子も「そうでした宗弥さん、お見舞いありがとうございました。なんのお構いも致しませんで、申し訳ございませんでした」と言って頭を下げ、「とんでもないですよ、西浜先生が往診中だったのに押しかけて、こちらこそ、すいませんでした」 宗弥は快活にひどく晴れ晴れとした声で応え、その声色を聞いた富士子に暗流が横たわる。どう説明すれば良いのだろう・・・破れかぶれだ。幼馴染の富士子にしか分からない。不穏が香る声だった。
ねこに噛まれた朝、父、樽太郎から連絡を受けた宗弥は富士子の自宅に駆けつけていた。「まだ、お嬢様の心情は不安定かもしれません。宗弥さん、今日はご容赦くださいませ」浮子は2階に上がろうとする宗弥を懸命に引き止め、宗弥はその悲壮な訴えに、なりふり構わぬ浮子の痛ましさに力無く引き下がり、心をおいて宿舎へと帰った。
宗弥が「行こうか」と富士子を誘う。「うん」と返した富士子が玄関の上がり板に座り、黒のバレンシアガのシューズを履き始めると、宗弥は「浮子さん、2時間ほど散歩してきます。俺が付いてるんで心配しないで下さい」と浮子に会釈して玄関から1番近い大鉢の前で富士子を待った。咲いている薄緑のバラの茎を右手の人差し指と親指とで支えて、咲き誇る花を眺める。
黒のペプラムシルエットのショート丈ダウンに、右手に黒のファーが縁についたフレンチバスケットを持った富士子が外に出ると、宗弥はバラを見ながら「今年のバラはいつもより小ぶりだな、富士子」掠れた声でそう言い、富士子に笑いかけ「ゆっくり行こう」と歩き出す。その顔を見た富士子は不安に駆られる。宗弥の態度は穏やか過ぎた。
公園に着くまでの間、宗弥は富士子の少し前を歩き、たまに何気なく、富士子の横顔を見て様子を確認する。その度に富士子は宗弥に微笑した。
入り口で立ち止まった宗弥は「あそこが、いいな」独り言のように言うが、その声には緊張感があり、その佇まいには圧迫感を漂わせていた。その張り詰めた雰囲気が富士子の背筋をクゥンと伸ばす。
宗弥はベンチの入り口側に座り、左手に持っていた墨の紙袋を右側に置くと、両膝に両肘をついて組んだ両手の上に顎をのせ、立っている富士子に「座れよ」と言った。
富士子も富士子でなぜ宗弥に続いて座らず、立って宗弥を見ていたのかと思いながら宗弥の左隣に座り「宗弥、元気だった?」と聞いた富士子と、「ああ。元気だよ」と返した宗弥との座る間隔は、いつもより空いていて宗弥の心を薄墨色の翳りが覆う。
払拭したくて「あのブランコあんな色だったけ?」とか、「意外に高かったんだな、あのジャングルジム」、「5年生の時の担任だった伊藤先生、今沖縄にいるらしいよ。のどかでいいだろうな」と宗弥は話し続け、自分の横顔を見つめるばかりの富士子に「どうした?」と普通に聞き、返事をしない富士子をしばらく見ていたが、宗弥は顔を前に戻して「どうした。なんか言いたい事あるのか?」と声のトーンを落とさずに聞く。
「宗弥、貨物船から助け出してくれて、ありがとう」と聞いた宗弥はピクリと反応し、一瞬戸惑いを見せたが「そうか。俺だってわかったか」と富士子に言うわけでもなく、 ぼんやりとした声で口にする。
らしくない言い方と声に富士子はまたも不安を感じつつ「わかった。私の怪我を確認していた手は宗弥の手だった」ゆるやかに答えた。
影の刺す表情で富士子を見た宗弥は「あの日、俺がそばに居たのにあんな事になってごめんな。お前に辛い思いをさせてしまった」切なく、無念が滲む声でそう言い、富士子が「私が会社に行きたいっ」と言うと、宗弥は「やめてくれ!頼むからやめてくれ、富士子・・やめろ!頼むから・・やめてくれ」悲の感情がはみ出し、最後は悲願する口調で富士子の言葉をさえぎった。
口を閉じた富士子を、宗弥は額を固くして見ていたがやかて前を向く。気が抜けたように背もたれに身体を預け「俺のせいだ」ポツリと小さく言う。その宗弥の顔には富士子が今まで見たことがない、荒涼があった。
「宗弥。私の事でお仕事上、 迷惑を掛けていない?」富士子が囁く。「どうして、そんなことを言う。あるわけないだろ」快活な声とは裏腹に鳶色の瞳に霧が掛かる。見逃さなかった富士子は「ごめんなさい」と呟いた。
富士子の沈黙を破るように宗弥が「俺とお前は幼馴染で、その関係性を説明するのに時間が掛かっただけだ。おじさんや親父のこともある。心配するな。お前が謝ることじゃない。機密とか規定とか、前例とか、そんな大人の事情だろうよ。俺は俺だ、何も変わってない。そんな事よりお前は大丈夫か?」話の矛先を変えるように宗弥は富士子に聞き、富士子は自分1人では、癒すことが出来ないでいる傷を口に出す。甘えていると思いながらも。
「おぼろげなんだけど、サヤは私のせいで家族が壊れたって言ったわ。何か知ってる?」ゆっくり話す。宗弥が「知りたいのか」とささやく。
「知りたい。何があったのか」と言って、瞳を泳がせながら視線を落とした富士子は「でも1人で考えると、、怖いの・・」と小さく言った。「ほっとけよ。サヤの事なんて」北風に負けない冷たさでそう言った宗弥に、ゆるりと視線を上げ「そうよね。そうだけど、知っておく必要がある」歯切れの良くつぶやいた富士子に、「サヤの身勝手な考えが招いた結果だ!!お前が知る必要は無い。関係のない話だ!」と言った宗弥の語気は鋭く荒い。
富士子と宗弥は一時、沈黙のままにお互いの顔を見ていた。宗弥が富士子に注目する中、富士子は「わかってるのよ。そうは思っているんだけど、ご両親のことは別だと思う」乾いた声で口にする。その顔を見ていた宗弥が「釈然としないのか、富士子」と口元に笑みを浮かべ、「昔から納得していないと、そんな顔をする。俺だけが知ってる頑固な富士子だ 」と言いながら鳶色の瞳に笑みを伝染させ、その目で富士子の眼差し見つめつつ、持ち前の軽快さを発揮するように「わかった」と言い、「いいか、わかりやすいように背景から話す。気を入れないで聞け。所詮、他人事だ。キツくなったらすぐに言う。約束できるか?」と吹っ切るように言って、「約束する」と答えた富士子に、宗弥は「わかった」と応えて前を向く。
「あの時の作業着の男は、、」 と話し出したが、すぐに喉をつかえさせる。咳払いをして「今回の件を計画した集団のリーダーは作業着の男だ。その男をAとする。Aは元は俺たちの訓練教官だった人間だ。Aは2年前からサヤの喫茶店に通い始めて常連になった。Aは時期を計ってBにも近づいていた。他国での液体デイバイス開発の統括ポジションと、多額の報酬を餌にしてな。AはBを情報屋に仕立てて液体デイバイスの開発状況をスパイさせ、そうしながら、サヤの喫茶店を繁盛させないように仕組んだ。急に傾き始めた商売に、不安を募らせたサヤの親父にAはつけ込んだ。Aは憂さ晴らしとか、なんとか言ったんだろう。親父を掛け麻雀に誘って最初はボロ勝ちさせて、賭け金を上げていき、Aはサヤの親父の負けが重なるよう細工した。一発逆転を狙ったサヤの親父を泥沼にハメるためにな。Aは金に困ったサヤの親父に高利貸しを紹介して、借金を雪だるま式に膨れ上がらせた。もちろん金貸しもAの仲間だ」そこまで話した宗弥は「大丈夫か」と富士子を気遣い、富士子が見た宗弥の目はさっきよりも大きく、ギラついたと感じた富士子は「宗弥は大丈夫?」と聞き返し、深くうなずいた宗弥は先を続ける。
「Aは借金の取立てをわざと母親とサヤの前でやらせ、母親は多額の借金がある事と貯蓄を持ち出していたのを知ってぶちキレたそうだ。そうだよな。寝耳に水だもんな。当たり前だよな。その場で親父を罵倒んだと。それから事あるごとに喧嘩するようになった2人は互いに理性を失って、サヤは両親の激しくなる言い争いと暴力を厭わない姿を毎日見ていたそうだ。そこで2年前から常連になっていたAの登場だ。サヤの相談相手になって男女関係になった。そうなったところでAは本来の目的をサヤに持ちかける。謝礼金を用意してあると言ってな。その裏付けはサヤの口座から取れてる。現在、サヤの父親は行方不明。母親は今回のことを調査するのに見つけ出された。西成のドヤ街で、、、働いてる。母親はこの経緯を話すのに金を要求したそうだ。呪詛の言葉を合間に挟んで朗々と語ったらしい。壊れてるよな。Aが悪質なのはサヤの憎しみがより富士子に向くよう、言葉でサヤをコントロールして富士子へと吐口を作り、身体を使って従わせた事だ。工作の術を教える立場だったあいつには、赤子の手を捻るよりも簡単だったはずだ。だがな富士子、サヤにはそれを吸収する意地汚い心の土壌があった」と話した宗弥は富士子を覗き込んで「辛くないか?」と和らげた声で聞く。富士子から「大丈夫」と聞いても、宗弥は富士子の顔を見続けていた。
しっかりと宗弥の目を見た富士子が「宗弥と私しか分からない事がある。人に話しても、きっとわかってはもらえない。サヤのずる賢さには、長く側にいないとわからない巧妙さがあった。それを理解できるのは高校からサヤを知ってる私たちだけよ。宗弥から話を聞いて、心に溜まった膿を出して、私はサヤを葬りたい。それで終わりにしたい。親友だと思っていたの・・・なにがあってもって、親友だと思っていたの・・それなのに・・。宗弥、こんな事に付き合わせてこめんなさい」と口籠もりながらもきっぱりとした口調でそう言うと、「いや、いいんだ。俺もそうしたかったから・・そうだよな。あの頃からだったな」と言った宗弥が話し出す。
「密航したAとサヤは現在、消息不明だ。心配するな。2人は世界のあらゆる法執行機関からタグ付けされている。どこに逃げてもいずれは発見される。日本には絶対に入国できない。海外ではAに射殺許可が出てるし、Aとサヤの口座は凍結されてる。今は逃走資金さえ手元にない状態だろう」と言った宗弥は、富士子に真剣な眼差しを向け「 富士子、サヤにとっても今回の件は渡りに船だったんだ。サヤとAは最悪な取り合わせだ。悪魔的に相性がいい、すこぶるな。両方を知ってる俺が言ってる。間違いない」と言った。
考える富士子を見て宗弥はベンチから立ち上がり、環境に配慮して配色された自動販売機へと微かに肩をイカらせながら歩いて行き、温かいお茶を2本買うと1本のフタを開けて元に戻して富士子に手渡した。「ありがとう」と言った富士子に頷いて座った宗弥は、苦い薬でも飲むかのように ペットボトルのお茶を半分のんだ。
「私、ここ数日、今回の事や過去の事を考えていたの。高校の頃から宗弥はサヤから離れろって何回も警告してくれてた。その度に私は宗弥を非難してた。あんなに何度も宗弥は……なのに私は信じなくて…ごめんね、宗弥。いつも、いつも、、」富士子は透き通った声で後悔を言葉に出し、宗弥は「いいんだよ。俺がそうしたくてしてた事だ」忠実な真心のままに応えて「富士子。俺が話したかった事は……あのな」と言い、その後をなかなか言い出さない宗弥に、富士子が「どうしたの?」と聞くと、宗弥は富士子から目を逸らしてうなだれていく。
その体勢は長く続き、富士子が口を開きかけた時、宗弥が「お前の救出作戦に要も参加していたんだ。それからあいつはずっと所在不明扱いになってた。だが、2週間前に作戦時死亡扱いになったよ」、「えっ!!」驚愕した富士子の声が裏返る。
驚きに打たれた富士子は身をワナワナと震わせ「あ、あ、あの時、う、撃たれたあの人はおな・・尾長さん・・だったって・・こと・・負傷したけど!!あ・・ぶ、無事に、救助されたって、、父は、言ったわ。尾長さんがあの人だった・・・の」表情を強張らせゴワゴワした声で、その顔を見た宗弥は富士子の心は今も要にあると悟った。
「要は…救助されていない」掴みどころなく宗弥は富士子に告げ、その瞬間、富士子の中で音が消えた。




