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国守の愛 第1章      作者: 國生さゆり  
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富士子編  80 診療室

 


    シーン80  診療室



 富士子は膝上にいだいたねこを、背を丸めて見つめていた。



 浮子が富士子の様子をうかがうと、ねこを見たままの富士子が「うきちゃん、しんぱいしないの。ふじちゃんはお腹が空いているだけれすよー」と自分にも言い聞かせているように言った。「盾石さん、診療室にどうぞ」と看護師に名を呼ばれ、富士子の背筋がピクンと伸びる。



 富士子は浮子の影に隠れるようにして診療室に入り、閉めたとびらの前に立ち「せんせい初めましてふじちゃんれす」と抑揚よくように欠ける声で挨拶する。場の雰囲気が微妙にきしむ。



 診療台を挟んで、青い診療服の首から聴診器を掛けた年若で背の低い、丸顔に丸刈りの獣医は富士子の発した言葉とその口調に息をのみ、富士子の左隣りに立つ浮子の顔に視線を走らせ、浮子は動じる事なく微笑んだ。



 獣医の隣にいた看護師が「はじめまして、ふじちゃん 。私は藤堂っていうの。宜しくね」富士子に太陽のような明るさで話しかける。



 困惑する獣医に浮子は「こんにちは、 先生。浮子と申します。お嬢様のご様子を不思議に思われるでしょうが、ご心配にはおよびません。宜しくお願い致します」ごくごく普通に言い、丁寧に頭を下げた。



 戸惑いの汗がひたいにじみ始めた獣医は「あっ、はい。浮子さん。こちらこそ、よろしくお願いします」深くお辞儀をし、富士子に向き直ると「ふじちゃん、こんにちは。私は中村と言います。診療台に猫をのせて下さい」と言った中村に、富士子は「おねがいだからねこにちゅうしゃしないでって、ふじちゃんがいってるの」と早口で訴え、中村が思わず「注射は嫌いかい ?」と聞く。「こわいら、、、」小さく答えた富士子が身震いをする。そのさまに中村は驚いて隣に立つ看護師の藤堂の顔を見た。藤堂はにこやかに中村に頷いて半歩前に出て「私も注射は嫌いなのよ。痛いもんね。でもね、うちの先生の注射は痛くないのよ」と富士子をはげます様に語り、笑顔の視線で中村に振り向いた藤堂が「先生」と応援するトーンで言った。



 その間もまばたきを忘れた目で中村を見ていた富士子に、中村は「心配する気持ちはよくわかるよ。先生に任せてくれないかい?」と問いかけ、富士子は青ざめた顔色で無言のままコクリとうなずき、ねこを診療台の上にのせて微震する両手でねこをささえる。



 問診表を藤堂に手渡した中村が「迷い猫なんだね。ありがとう、手を離していいよ」 と富士子に言って、猫の身体のあちこちを繊細せんさい手付てつきで、やんわりと押しながら反応を見たり、猫の口を慎重しんちょうに開け、口腔こうくうを観察したりしながら「生まれて2ヶ月前後の雄です。まずは猫の調子を見る為に、血液検査したいんだけどいいかな?」と富士子に聞く。



 「えっ」と声をうわずらせた富士子は蒼白になり、うつむき「やっぱり痛い?」とささやいた。



 中村は「ふじちゃん、ねこの健康を知るためには必要なんだよ。痩せているし、ノラ猫だったかもしれない。病気の可能性もあるんだ」とおだやかに言い、予想外の言葉を聞いた富士子が「先生は、ねこが元気か知りたいから、ちゅうしゃするの?」と聞くと、中村は「そうだよ、それが先生の役目なんだよ。それから病気にならないように、ワクチンも打たなければならない」と言った。



 「2回も…チッウシャ…するの…」とつぶやいた富士子が不安げに振り返り、浮子は「ねこちゃんの為に、必要な事でございます」と言って大きくうなずく。考える富士子は「ねこは、ガマンできるかな?」と誰に問いかけるでも無くそう言い、「ふじちゃんは泣いたよ」とポツリとこぼす。



 中村は「そうか。泣いたんだね」と咄嗟とっさに言ってしまい、富士子の表情を見て気まずくなった中村は藤堂の顔を見る。いさめる視線をびた中村は「すいません」と浮子に言い、浮子は会釈を返しながら、泣いたとは・・・事件のことだとわかり、国男からもっと話を聞いておくべきだったと後悔した。



 悩む富士子はねこにかがみ込んで「ねこ、どう思う?」と聞き、ねこは富士子の顔に鼻を近づけツンとれる。



 その仕草に「わかったよ」と答えた富士子は、硬い表情のまま中村を見るや「せんせい、ねこがんばるって、私はここでみてると泣いてしまいそうですから、外で待っています」と平たい口調で言い、頭を下げた富士子に中村は「ここで待ってていいよ。隣りの診療室を使うから」と言ってねこを抱き上げ、隣り部屋へとつながる扉を開け、深く頭を下げた浮子は「中村先生、ありがとうございます。感謝致します」と言った。



 「 いいえ。こちらこそ、なんか、すみません」と言った中村が隣の診療室に入って行く。看護師の藤堂が壁ぞいに置いてある丸椅子を2つ持って来ながら「この椅子を使ってください。うちの先生、いい人すぎて不器用なんです。すみません。診療技術はピカイチですからご心配なく。時間掛かからないと思います」と言いつつ丸椅子を並べ、「恐れ入ります」と言った浮子に、藤堂は「いいえ」と笑顔を返して扉を閉める。



 閉まった扉を見続けている富士子の隣に、浮子は歩みよると富士子の背中に右手を添えて、上下させを繰り返しながら中村と富士子の会話を思い返す。



 富士子の苦難の数日間は想像していたよりも、はるかに過酷なものであったと、浮子の内心は荒涼こうりょうとする。心情におだやかざるものをかかえつつ浮子は「お嬢様、ねこちゃん元気になりますね」とつとめて明るく話しかけたが、富士子は扉から目を離さず、返事すらせずで、「大丈夫ですよ」と再びの浮子が声をかけるが、またも富士子はドアを見つめるのみだった。



  扉が開く。



 中村に抱かれたねこの姿を見た富士子は、めていた息を静かに吐いた。診療台の上にねこがろされると同時に、そっとその背に両手をえる。



 中村は「家で飼うのかな?」と富士子に聞く。無言の富士子に代わって浮子が「さようでございます」とこたえ、中村は浮子に「猫を飼うのは初めてですか ?」と聞く。「初めてでございます」浮子が不安気に中村の顔を見ると、中村は「そうですか、【初めての猫】っていう無料の小冊子を後で差し上げます。猫の習慣とか、猫との生活の仕方しかたとか、そんな色々書いてありますから参考にして下さい」と安心させるような口調で言った。



 その会話を中村の顔をジッと見て、聞いていた富士子は「せんせい、ありがとう」と小さく言い、中村は「なんのこれしき。わからない事があったら、いつでも電話してきて構わないよ。ああ、ここに来てもいいし」気さくにそう言いながら左腕で猫を抱きかかえ、自分の身体に猫の背を付け、右手で順に左前足、右前足と爪の間を確認していき、藤堂に「爪切り、頂戴」と言って、手渡された爪切りでねこの爪を丁寧に切り始めた。



 その手元を覗き込んだ富士子は「そうやって爪切るの?」と興味深く聞く。「最初は誰かと一緒に切ってあげたほうがいいかな。猫の慣れと信頼を勝ち取ったら、猫は爪切りを楽しみにするようになるよ」と笑顔で答え、と、聞いた富士子は浮子に振り返ってニッと笑い「そうなんですって浮子、ねこの爪切り担当は浮子ですからね」と怖い声で言い、ギョッとした浮子の顔を見た富士子は「ふじちゃんは、ねこに嫌われたくないのです」と言って、楽しげに、かろやかなに笑った。





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