富士子編 59 鈍い星
シーン59 鈍い星
玄関の上がり場に腰掛けた富士子はノロノロとハイヒールを履くが、無気力感に襲われ「何故 !!!!」と叫んだ。
「富士子さん」スマホから要に問い掛けられる。その声は冷徹とも、冷静とも違う、どこまでも通常で「あなたの父上、国男さんと、浮子さんのお話をしなければなりません。車に乗って下さい」と話しかけられる。富士子は冷めた目でスマホを見た。
悔しさと憤りと無念が富士子の心を掻きむしる。その苦汁が富士子の脳をゆっくりと覚醒させてもゆく。怒りが思考のエッジを尖らせる。要の白々とした言葉が鮮血を流す富士子の心痛の上に折り重なって、心に沈着していく。
この人は何を考えているの!!!ソシオパスなの!!!愛を簡単に操れる人!!!!何なの!!あの目は嘘だった…あの声も…仕草も……なぜ、映画に誘ったの。す、べ、て、を、出会ったあの時、か、ら、、、コントロール、し、て、い、た。
やるせなく泣きたい。
声を上げて、泣きたい。
今ここで、泣いてみせたい。
構わない、……から…。
玄関ドアを開けて門を見る。
門前に停められた車の前に、薄い月明かりでもはっきりと視認できる男が2人、全身黒ずくめで立っていた。男たちの姿を目して、現実味というスパイスが加わる。今、起きている事に血が通う。
富士子は勢い任せで外に出た。
後ろ手で強く閉めた玄関ドアが軋み、大きな遮蔽音を立てたが怯まず、富士子は踏み出した。2人の顔を見て・・瞬時に・・病室前で警備している大きな声で返事するイギリス騎兵隊と、人の良い笑顔の大男だとわかった。
厳密な監視下に、父は置かれていた。
慎重に歩き出し、男たちの前に立つ。
イギリス男が後部座席のドアを大きく開け、富士子は乗車する。イギリス男は音もなくドアを閉め、クゥンと鈍い音を立ててドアの鍵が掛かった。
心がグキリとする。
運転席の大男がバックミラー越しに無表情な目で自分を見ていたと気づき、バックミラー越しに睨み返す。互いの目は何も語らず、こんなにも屈強な男性の目を自分は怖気づかず、毅然と見ているという事はあの漆黒の瞳がえぐった私の心の傷は、よほど深く、私の神経はいま尋常では無いという事か…、嘆かわしくもなければ、哀れとも感じない。心が抜け落ちている。今はそれでいい。
黒フィルムの車窓越しに見上げた星は輝きを失い、ただの黄色い点に見え、今の私には丁度いいと笑いが出るほど、富士子の心情はいびつにひねくれていた。
しばらく直進した車は十字路で一旦停止した後、減速して次の路地を左折すると、不規則に左折を3回繰り返して元の道に戻った。1kほど直進して、左折を2回繰り返して停車した。
運転席から降りた大男は車の周りを1周しながら、周囲を嗅ぎ回るように見渡し、ドアの前に立ったイギリス男は大男を見ている。大男がイギリス男にうなずく。イギリス男がドアノブに左手を掛けると、クゥンと解除音が聞こえてドアが音もなく開いた。
無言で、車から降りる。
2人の男は富士子を挟むようにして両脇に立ち、富士子の歩調に合わせて歩き、見覚えのあるドア前に富士子はたどり着く。
尾長さんに連れられて訪れた喫茶店だった。
何もかもが全て、最初から仕組まれていた偶然。富士子は逆に脱力して笑い出しそうになった。どうでもいいとドアを力任せに開けて暗い店内に入る。その瞬間、音もなくドアが締まりカチリ、カチリ、カチリと施錠する音が富士子の後を追う。見知った紺の傘が微かに灯る光の点を、点から点に視点を移動させてゆく。
青白い光に照らされて、鈍く青光りする丸く分厚い銀色のドアへとたどり着いた。あそこは確か、本棚だったはず。青白い光に吸い寄せられようにして歩く。富士子は立ち止まって室内を見た。
左がわの壁にはTVが壁掛してあった。正面の壁には道路地図が貼ってある。その左横の白板に視線を移して、富士子は息をのむ。
国男、富士子、浮子、中田の順で写真が貼ってあった。写真の下には名前 、生年月日、行動範囲が青ペンで書いてある。こ、こ、は、何をする部屋なの!!!恐々とする目を右に移す。壁一面にずらりと銃が並んでいた。
驚愕しきった精神は、富士子の身体を勝手に後退りさせ始め、それを見た要は背後から「富士子さん 」と声をかけた。




