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国守の愛 第1章      作者: 國生さゆり  
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富士子編  56 甘い・甘い恋のチョコーレート

 

  

  シーン56 甘い・甘い恋のチョコレート




 ホテルの正面玄関にタクシーが到着する。要の後を追うように降り立った富士子は数歩あるいて、建物を見上げた。オリエンタル調の建築様式で、絶妙に和テーストが取り入れてあって、スタイリッシュな印象の建物だった。「行きましょう」と声をかけられて、「はい」と返事した富士子は歩き出す。



 館内の雰囲気にも好感を持った富士子に、富士子の左隣を歩く要が「ホテルから映画館まで直通通路で行けます。このホテルに併設へいせつされている別館には、ブランドの店舗や星を持つレストランがいくつか入ってます。美術館もあって、半年前に青い睡蓮すいれんがフランスから来ました」すずむような、あの独特の低音で説明した。



 パッと要を見上げた富士子は「青い睡蓮!鑑賞したんですか?」と歓喜のままに聞く。一度でいい、観てみたいと思っていた。要は「いえ、残念ながら海外派遣でした。貴重な機会を逃しました」静かな笑みを返す。富士子が「どちらにいらしていたのですか?」と何気なく聞くと、要は「日本の裏側です」と答えた。不自然さを感じた富士子が要を見上げると目が合った。要の瞳に戸惑いがあるように見えた富士子は、立ち入り過ぎたと後悔する。



  引っ込め!!好奇心!!と、内心を叱った富士子は下を向く。



 下を向いた富士子に、要は「すみません。こんな言い方しか出来なくて」と言い、その内心で“あなたは知らなくていい、内戦で荒れ果てた国です“と正直に答えた。



 「こちらこそ、立ち入った事をごめんなさい」小さく頭を下げた富士子は、尾長さんも宗弥と似たような言い方と表情すると考えていた。



 3年前のお正月、父に挨拶に来た宗弥の顔色が優れず、「どうしたの?」と聞くと、宗弥は「派遣先でウィルスにやられて腹壊したんだ」と言った。「どこに行ってたの?」と聞くと、宗弥は「ここから地球の4分の1ったとこ」と答えた。「変な言い方」と私が笑うと、宗弥は今の尾長さんと同じような表情をした。



 幾分、すれ違う会話になりながらも、2人は肩を並べて歩いていた。



 富士子は要の肩に、自分の肩が触れぬよう歩く。そうしているうちに、キラキラした目で要を見る女性や、2度見して立ちどまる女性、見惚れた目を要から隣の富士子に移して、溜息を漏らす女性が数知れずいる事に気づく。そんな女性と目が会い、顔を伏せた富士子は内心で“すみません。私じゃあ、不釣り合いなのわかってます“と白状する。



 おずおずと尾長さんを見上げる。その横顔には揺るがぬ眼差しがあった。気にもめてない。初めて抱いた恋心が、ホッする。だが、すぐに、私の行き過ぎた想いだと思う。今はまだこのシャボン玉の中にいるような、心地良さから出たくはない。このままでいい。自分の感情を伝えて壊すようなことはしたくない。



 計算された機能美のフロント前を通過して、左手首のiPhone Watchを見た要は「映画まで時間があります。お茶しませんか?」と誘う。富士子の「はい 」と言った表情に見惚れていた要は、先導するように富士子の半歩前を歩きだす。



 尾長さんが案内してくれたお店は改装されたばかりなのか真新しく、モダンなデザインと東洋風の家具との調和が美しいラウンジだった。こういう所にも来るんだと思い、誰と⁇と考えて、その答えは知りたくないと切り捨てた私の心に、グレー色のモヤモヤが降ってきた。もうーーー、馬鹿なの。




              ★




 受付に立つブラック・チャイナドレス姿のコンシェルジュと、要は面識があった。クソ!と内心で毒を吐く。名前はと考えるが、覚えていなかった。女は表情を嬉々とさせて半歩近づき、不適切な距離感で「いつものテラス席になさいますか?」と聞く。冷笑を浮かべ「いえ、左手の壁添いをお願いします」と無機質に応える。その付近からは出入り口が見え、店内全体を見渡みわたせるはずだ。確か前回、帰国した時だった。4ヶ月前の話だ。この女は僕をテーブルに案内しながら「近々、結婚して、ここを辞めことになりました」と言った。だからもう、2度と、顔を合わすことがないだろうと思った僕は女を誘った。クソ!なぜまだ、ここに居る!今夜は誰にも邪魔はされたくない。


 要のあからさまな態度に女があごこわばらせて、一歩、静かに下がる。



 綺麗に整えた夜会巻の掛かる耳たぶを、女はゆっくりと右手の先でひと撫でして「承知しました」というと、手入れの行き届いた指先で、鮮やかなミントグリーンのブック型メニューをカウンターから取り上げて左腕に抱き「お一人様でよろしいでしょう?」と聞いた。要は「いえ、2人です」と平坦にこたえる。



 女はそこで初めて富士子の存在に気づき、富士子を見て遅れ気味に「失礼いたしました。ご案内致します。どうぞ」 と言った微震する声と、漂流感漂う足さばきで歩き出す。要はその態度が気に入らない。お互い一夜限りと承知していたはずだ。婚約者はどうした!誓った相手がいて抱かれたくせにバガ野郎。



 ピアノソロの“月光“が流れている店内を要は富士子の前を歩く。これ以上、この女を富士子に近づけたくはない。コンシェルジュが要と富士子を、二人掛けの丸テーブルに案内する。



 アクアポリスカラーのクロスが掛かるテーブルの中央には、直径3㎝ほどのオレンジ色の江戸切子えどきりこ蝋燭ろうそくあかりがともしてあった。淡い光の中、要はシャンパンカラーの壁がわに座り、テーブルを挟んだ向かい席に“ロマンチックな演出だ“と若干、緊張した面持ちの富士子が腰掛ける。



 テーブルにメニューブックを置いたコンシェルジュが「ごゆっくり」と言いながら富士子の容姿をうかがう。その視線にいやらしさを感じた要は「ありがとう」と固い声で言い、メニューを開いて富士子の前におき直す。



 コンシェルジュがチラリと視線を投げて来たが、僕は気付かぬフリをする。すまないが、早く消えてくれないか。



 この女は何を求めている。婚約者がいながら僕の誘いに乗り、関係を持った女だ。そうさせた責任の一端は確かに僕にもある。視線を送られても面倒な女だと思うだけで、今更だ。自分と関わる女たちはなぜ、いつも、こうなのだろう。さびの浮く身勝手さを守りながらも不純を放ち、平然としていられる醜さを持つ。短絡的な執着。しかしひるがえって考えてみれば、それは自分もなのだと思う。僕は己を笑うしか無くなる。人は自分の鏡だ。いつも通りの無限ループにおちいりそうになる。今夜はダメだ。こんな事、考えたくない。神よ、罰するなら後にしてくれ。その機会ならこれから先、十二分にあるはずだ。女が形だけの会釈してテーブルを去った。



 左肘をテーブルに付いた要は左手に左頬ひだりほほを預け、メニューに視線を落としている富士子の顔を眺める。蝋燭の光が彼女の顔の輪郭りんかくに、陰影いんえいを作り出している。瞳が揺れているように見える。美しい。まぶたをシャッターを切るように落して、その顔を脳裏に刻む。きっと、さっき手をつないだことさえ、この女性はもう忘れている。何かに夢中になると感覚が無になる女性ひとだから。今はメニューにご執心だ。理解できる。その感覚と僕は戦友なのだから。それでもどうしても知りたくなって「お昼は食べたのですか?」と唐突とうとつに聞く。



 メニューから顔を上げて、はんなりとした炎に照らしだされた尾長さんの妖艶ようえんさに、私は釘付けになった。男性に使う言葉じゃないと思いながらも、まばたきを忘れ「食べていません」私はぼんやりと答えていた。


 クソ!!!やっぱりそうだったか。要の眉間にシワが寄る。



 イライラとする気持ちを抑え込んだが、上手くゆかずの要は「そうですか。映画を観たあと何か食べましょう」焦ったさが香る声で返していた。クソ、なんできちんと食事を摂らない。自分が関わっている仕事の激務さが、富士子はわかっているのか。身体を壊したらどうする。付きまとって食事の管理をしてやりたい。



 尾長さんは私の食事に対して、なぜか声を尖らせた。私はまた彼を怒らせた。



 その気持ちを富士子の表情から読んだ要は「食事を抜いてはならない。思考、行動、言動、精神が良くない方向に向かいます。何より、自分を大切にするために食事はきちんと摂ってほしい」余計なことをと思いながらも、願いを口にする。



 富士子はコクリと頷いた。



 「約束できますか?」要は念押しせずにはおれず聞く。富士子は「はい」と素直に言った。約束されても要は信じ切れず、本当に、これからはそうして欲しいと願う。毎日を充実と共に過ごし、人生を謳歌おうかして生き抜いてほしいと強く願う。



 見つめる要に富士子は微笑をかえし「約束します」小さく言った。ホッとした要は椅子の背に身体を預け「ここのチョコレートケーキはパティシェのこだわりで、ナイジェリア、ペルー、インドネシアからカカオマスを取り寄せています。その日の天候と湿度によってカカオマスの配合を変えて、チョコレートムースを作るんです。五感の味わいと言われています。どうです?食べてみませんか?」どうしても一緒に食べたくて、甘い笑みを添えて誘う。射られた富士子はときめきで「頂きます」とこたえ、その声には北風に吹かれてもくじけないロマンスが薫っていた。



 なんて魅力的なのだろう。尾長さんは自分がどれだけ無限なのかを知っているのだろうか・・・(//∇//)



             ★



 テーブルに置かれたチョコレートケーキを富士子は見ていた。美しい。断片がこんなにふわふわとしているケーキを、今まで見たことがあっただろうか。目が輝いているのが自分でもわかる。研究所の冷蔵庫に入れてある冷凍ケーキとはまったくの別物だ。これこそがスィーツの佇まい。



 満足度、満点顔の富士子を見た要は微笑を浮かべ、手を合わせて「頂きます」と言うや食べ始めた。富士子も遅れて手を合わせ「頂きます」と言い、一口食べて目を丸くする。



 スパイシーでスモーキーな男性的な味わいが、かすみを食べるかのように口の中でふわふわとけてゆく。フローラルなカカオの風味だけが口の中に残り、その風味は嗅覚を春風のようにくすぐって無くなった。



 風味を失ったのが残念でもう一口と、口にして至福を得る。このチョコレートケーキはある意味あぶない。いや、すでにもう五感がとりこになっている。美しくも残酷な魅惑のチョコレートケーキ。五感のどこかでフローラルの花を咲き誇らせて華やぐケーキ。



 穏やな時が過ぎてゆく。



 ふと、視線を見上げた先に私をすでに見つめていた目があった。その顔には間違いなく、満ち足りた幸福感があると確信できた。自分もまた、きっと、同じような表情をしているだろう。自然と微笑みかけていた。次の瞬間、ハッとするような男らしい微笑びしょうが返ってきた。その顔に見惚れてケーキを食べる。こんな幸せもあるのだと、初めて知った。



 同調するように、要もフォークを動かし始める。

 よい思い出ができたと、実感する。



 皿からケーキが姿を消し、それぞれが、それぞれの飲みものを時間をかけて飲んでいた。富士子はしばらくぶりに声を出す「なんの映画を観るんですか?」と。



 要はエスプレッソを一口飲んでソーサーに戻しながら「トップガンの続編です」と応え、富士子は「あのトップガンですか?」と聞き返していた。



 「そうです。あのトップガンです。やはりトップガンは映画館で観なくてはいけない。映画館のサウンドシステムに脳と身体を一気に持っていかれなくては。あの臨場感は映画館でしか味わえません」要の言葉が弾む。



 尾長さんは幼な子が意地悪を言うような顔をして「どういう映画が好みなのか、わからなかったので、独断という特権を行使こうししました」と言って笑った。可愛い。



 要はしばらく何も言わず、長らく富士子の顔や、ノンカフェを飲む仕草、ナフキンで口元を拭く手付きを眺めて過ごした。オープンスペースのガラス扉越しに夜空を見て思う。



 薄氷を踏む愛はなんと、愛おしいのだろうと。



 左手首のiPhone Watchが振動して視線を落とす。時間だ。行こうか…。要は「映画館に移動しましょう」深海に沈みこむような声で富士子を誘う。




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