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国守の愛 第1章      作者: 國生さゆり  
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富士子編  47 浮子の悲哀


 シーン47 浮子の悲哀ひあい



 車の後部座席に座る浮子が「中田さん、ご面倒をお掛け致しまして申し訳ございません」と丁寧に言って頭を下げる。すると中田は「浮子さん、よして下さい。私が会長の運転手になったばかりの頃、浮子さんに色々教えて頂きました。そんな風におっしゃらないで下さい。 感謝しているんです。あの頃の私は会長のことがおっかなくって、今だからお話ししますが、私はいつ辞めようかと悩んでおりました」と照れくさそうに言い、微笑んだ浮子は「わかっておりましたよ」と言った。



 「えっ」と声を上げた中田は失礼だとは知りつつ、バックミラー越しに浮子の顔を見た。浮子と目が合い、笑う浮子に中田は「そうでしたか…」とこぼして、視線を前に戻しつつ「ご存じでしたか。浮子さんの笑顔とカラリと晴れ渡る口調に、何度も助けて頂きました。これからもよろしくお願いします」と言った。



 「こちらこそ」と頭を下げた浮子に、中田が「そう言えば、浮子さん。お知らせすることがあるんですが、聞いていただけますか?」、「もちろんです。どうされました?」と危惧きぐを抱いた浮子に、中田は「悪いお知らせじゃありません、浮子さん」と慌てて付け足した。



 浮子は、まただと思う。最近、物事を悪くとらえるようになった。今日も病室に仕事を持ち込んだ樽太郎さんに怒りを感じ、24時間在宅看護師のススメに狼狽うろたえ、先に帰るよううながされて落ち込んだ。私はいつから和を持って、相手にゆだねるが出来なくなったのだろう。知らず知らずのうちに、悪い方へと推測して不安の種を育てしまう。



 「息子が宗弥さんに憧れて、国防大学を受験するんです。受かると良いんですが 」と言った中田の話し声がはずむ。浮子が「もうそんなに、大きくられたんですか?わたくしがお会いした時は、 確か、小学校の…」と言い淀み、「高学年の頃に、銀座でばったりお会いしました」と中田が応え、「ああ、そうでしたね 」と言った浮子は思い出せなかった自分を残念に思いながらも、クスクスと笑い「あの頃、わたくしに会うとまるでかみしもをつけたようなぎこちない態度でいらした」と笑う。「あの時分の浮子さんは歯切れが良くて」と言った中田は「あっ!失礼しました」と謝り、表情を引き締め「今もお変わりありません」と口調を改める。



 「ほっ、ほっ、ほっ」と笑う浮子は中田に「今年で何年目になったのですか?」と聞き、中田は「ハイヤー会社からの転職でしたから、15年ほどになります」と答えて、「浮子さんは盾石の家に入られて何年におなりですか?」と聞く。浮子は「32年になります」と即答した。



 中田は笑みを浮かべて「長い月日ですね。浮子さん、私は旦那様に、お嬢様の運転手をまかされて8年になります。そのお話を頂いた時、旦那様は私に“富士子を頼んだぞ“ とおっしゃいました。嬉しかったです」遠き日を見るような語り口だった。浮子も微笑み「中田さんもわたくしも旦那様からお嬢様をお預かりして、責任感の日々でごさいますね」とおうじた浮子が「中田さん」と声を掛け、「ここで結構でございます。宅の門をおくぐりになる必要はありません、ありがとうございました」と言うと、、中田は「いいえ、玄関前までにさせてください」とゆずらない。



 浮子が「相変わらずの生真面目さですね」と言うと、右のサイドミラーから視線を戻した中田は「 浮子さんにはおよびません」キッパリとした口調でそう言いながら車をエントランスに停める。



 降りようとする中田に浮子は「やり過ぎです」とえた声で中田を引き留め、ドアを開けて立ち上がると「ありがとうございました」と言って頭を下げてドアを閉める。走り去る車を最後まで見送った浮子は、玄関の鍵を開けて家の中に入った。



 アイランドキッチンにハンドバックを置いて、椅子に座った浮子に先ほどまでの打てば鳴るような明るさはなかった。このまま盾石家にとどまることが、果たして国男と富士子のためになるのだろうかと、浮子は考え始める。



 国男と富士子のことはもちろん、盾石家に関わる全般を取り仕切ってきたという自負も、浮子なりにあった。2人からの信頼も得ている。自分の身を気遣う周りの人達に感謝する気持ちも 、もちろん持っている。



 されど、だからなのだ。



 盾石家の家政婦になって32年。国男にくし、母を亡くした富士子を誕生以来、いつくしんで育ててきた。この家のことは何もかもが頭に入っていて、自分の身体などいとわずともなんでもなかった。長年の習慣通りにおこなっていれば手にとるように頭にあった事が、最近は薄れ、確信を持てなくなってしまう時がある。



 あり得なかった物忘れをするようになった。



 そんな自分への不信をどうしたものかと考えると、浮子はじれったい気持ちになる。老いても矍鑠かくしゃくとしていたいのだ。自分の老い方が・・気に入らない・・そろそろ、次の人生を考える時期なのだろうか・・・大きな失敗や迷惑をかける前に・・・。



 この夜、浮子は長い時間アイランドキッチン前の椅子に座り、今後に思いをせた。1人で暮らすを今からできるだろうか・・・人と会話する機会も・・減るだろう・・・自分のための食事は・・きっと・・・簡素なものになる・・・テレビを見て・・いや、見なくなる。世間に興味を抱けるだろうか・・・天気を気にして洗濯をする・・そんな事さえしなくなるのでは・・・ここにも新しい家政婦さんが入り、旦那様もお嬢様もいつでもおいでとおっしゃるだろうし、何か困ったことがあったら連絡をともおっしゃるだろう・・・だが、私は・・新しい家政婦さんを目にするのが嫌で・・・お邪魔しないだろう。



 私はひとりで生きて行けるのだろうか。




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