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国守の愛 第1章      作者: 國生さゆり  
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富士子編  44 5人の対面



   シーン44 5人の対面



 西浜医師の説明を国男、浮子、樽太郎 と共に富士子は聞いている。当初、樽太郎は遠慮しようと思っていたが、国男の強い意向で同席する事になった。



 西浜は投薬や治療経過などなどを日を追って丹念に説明した後、2週間後、血液検査を行なって白血球、CRP, Dダイマー等々の数値と経過をかんがみて、自宅療養に入る日を決めましょうと伝え、最後に「会長、せっかくですから 、入院している間に人間ドックしませんか?」と提案する。



 国男は「4年ぶりです」と答え、樽太郎は「申し訳ございません」と謝り、国男が「いや、私が直前にキャンセルするからだ」とかばい、富士子が「会長、これからは毎年人間ドックを受けてください」と口を挟むと、国男は「わかっている」とけむたげに言った。父の言いように富士子はその気はないと感じ、浮子と父の3人で来年から、一緒に検査を受ける事と頭にめおく。



 廊下で待っていた看護師長、病院事務員、ケースワーカーが入室して、パンフレットをみながら自宅療養用の介護用具の相談をしていると、西浜が浮子の介護負担を考えると、24時間、看護師を付けた方が良いのではないかと富士子に提案した。



 その言葉を聞いた浮子の横顔が一瞬、おびえたのに富士子は気づく。富士子の視線をさつした浮子は、視線を上げて富士子に笑い掛けた。これまで懸命に生きて来た浮子が哀感にひたる目で、老いて役不足になっていくと恐れにも似た無念のなげきが浮く瞳で、私に微笑んだ。悲しみの表情では無いのが浮子らしい。それがまた富士子の心情にあわれを呼ぶ。



 誰もが思い通りにならぬ事を歳を取れば感じるものだ。浮子の気持ちを尊重した答えを出さなければならない。傷つけてはいけない。「考えてみます」と答えるにとどめた富士子に、西浜は何も言わなかった。




 「事務長、会長の退院手続き、自宅看護の事務の諸々は、富士子さんに委任状を書いて頂いて提出させて頂いた後、私がやらせて頂きます」と 樽太郎が言った時、西浜の院内専用携帯が鳴り、電話に出た西浜は「わかった」とこたえて早々に電話をえ、椅子から立ち上がながら「会長、申し訳ありませんが、失礼させて頂きます。素水さん、移動しながらで申し訳ありませんが、人間ドックについて説明させてください」若干、厳しい顔付きになりながらも平静へいせいたもっていた。



 「もちろんです」と返した樽太郎は座っていた椅子を元の場所に戻して、内ポケットからハンカチを取り出すと、アームパッドを几帳面きちょうめんに拭く。室内が一気に慌ただしくなった。



 病院関係者も椅子から立ち上がり、ケースワーカーは介護テーブルの上に置いてあったパンフレットを、薄ピンク色の封筒に収めて「ご参考になさってください」と富士子に手渡し、看護師はベットの乱れを整え始め、事務員はペンと黒革の手帳を内ポケットに入れる。



 富士子は浮子の顔を見た。静かな顔つきだった。富士子は思う。雨が降った時、どう歩いて行くのかはその人の考え方次第だと。父の回復と浮子の気持ちを大切にしよう。ケースワーカーに相談して助言を求めよう。不器用でいい。研究以外のことで人と話すのは自信がないが、樽太郎さんに全てお任せではいけない。樽太郎さんならば、磐石ばんじゃくな結論を出すだろうが、できるだけ浮子と相談しながら決めていこう。



 退出準備が整うのを待っていた樽太郎が「会長、富士子さんと浮子さんにご相談させて頂きまして、ある程度決まりましたらご相談にうかがいます。くれぐれもお大事なさってください。失礼致します」と頭を下げる。「わかった。頼んだよ、樽太郎」国男はそう言いながら富士子の顔を見た。



 “樽太郎に任せろ“とでも言っているかのような父の視線は、富士子には“お前には無理だ“と言われているようで、“確かにそうかもしれないけれど、誰にだって初めてはあるわ、お父様“という気持ちでその視線を受け止め、椅子から立ち上がった富士子はトートバックに封筒を入れ、西浜医師と樽太郎さんの退出に合わせてドアを開ける。



 ドアの外には今まさに、右腕を上げてノックしようとする要が立っていた。



 その姿を見た富士子の心臓がドキリと跳ねる。どうしてここにいるのと心が喜ぶ。ただただ、あなたに会いたかったと朱に染まる。立ち尽くす富士子と要の姿を見た西浜が「富士子さん、お知り合いですか?」と尋ねた。



 富士子は要の顔から視線を移して「はい。幼馴染を通じて」とつぶやくように答えた。要は西浜に「初めまして、尾長要と申します」他人行儀に挨拶し、まばたきした西浜は「ああ、こんにちは、西浜です」と言ってから笑顔を付け足す。西浜は内心で、もう富士子を取り込んでいたかと舌を巻く。



 心をキュンとさせながら、ドアを大きく開けた富士子は「ありがとうございました。西浜先生」と頭を下げる。西浜が「なんでも相談して下さい」と言うが、富士子は要を見ていた。富士子は落ち着きなく西浜に向き直って「あっ、ごめんなさい。はい。ご相談させていただきます。ありがとうございます」と言いつつ顔を伏せた。



 富士子のたたずまいを目にした西浜は、友人以上の感情があると直感する。わかっているのだろうかと要を見るが、要は富士子に無関心だった。仕事かと、西浜は複雑な気持ちになる。西浜自身も仕事に私情を入れず対応するようにしてはいるが、しかしながらだ。要たちの仕事は相手の想いですらコントロールして、目的を達成する側面を持っている。非情な選択にも、躊躇ちゅうちょがない。点ではなく面を狙って、相手を手中に納める。西浜は富士子に深入りして欲しくはなかった。要たちの世界は無秩序むちつじょだ。西浜はそれを身をもって知っている。



 要は樽太郎に目礼した。樽太郎は事故の翌朝、ICUの待合室で会った宗弥と要から極秘の依頼を受けていた。要に会釈した樽太郎に、富士子が「樽太郎さん、ありがとうございました」と声を掛け、要と富士子が知り合いになっていたと知り、暗澹あんたんたる心境で“橋渡しは宗弥か“と要の顔を見ていた樽太郎は、富士子に向き直って「では、これで失礼します。何かあれば、いつでも連絡してください」と言って廊下へ出た。



 西浜と樽太郎は顔を近づけ合って、 ボソボソと話をしながら廊下を歩いてゆく。



 要は今しがた本陣の係官から、西浜に連絡が入ったと知っていた。今朝の本陣とのミーティングで決まった今後が、着実にととのえられていく。そう思いながら要は2人の背中を見ていた。



 盾石家の警護は新たな段階に入った。刻々と時が進む。何も知らないのは富士子の家族だけだ。後日、国男に話を通すにせよ、それでも富士子は何も知らずに、ただこのまま、今のまま、日の当たる場所で幸せであって欲しい。今や、それだけを願う要の富士子に対する想いはフラットだ。



 富士子が「あの」と要に声を掛け、富士子の顔を見た要は「これを」と左手を上げた。



 大きな手の平に富士子のスマホがのっていた。驚いた富士子は要の顔へと視線を走らせ、要は微笑んで「車に落ちていました。スマホがなければ不自由だろうと思いまして。今日は病院にいらっしゃると、おっしゃっていましたから」と個性的な低い声でワケを話す。



 話の途中から私は、尾長さんを凝視していた。父が見ていると肌で感じ、羞恥を覚え、ゆっくりと視線を落とす。



 「ありがとうございます」と囁いた富士子は右手の親指の指先で、左手親指の爪の付け根を押し始め、その仕草を見た要は宗弥が、この癖をやんわりと止めたのを思い出す。手を差し伸べてやめさせたい。しかしながらこの女性には、これ以上、踏み出してはならない。代わりに、スマホがのる左手を富士子の目の前にソロリと上げた。



 心が動いた富士子は「ご迷惑をおかけしました」と言いながら、スマホを要の手のひらからすくい上げ、富士子の人差し指が要の手の平をかすめ、要の手がピクリと外側に跳ねた。その動きに富士子は目を奪われ、要は跳ねた手を拳にして有るべき場所に下ろしつつ「あなたが降りた時に、車内を確認せずにすみませんでした」と言った。富士子は視線のやり所に困りながら「とんでもありません。私の確認不足でした」と言った。



 俯いてばかりいる富士子を見ていた要は、清く視線を上げ「会長、お邪魔致しました。お大事になさって下さい。失礼致します」といって意思ある背を折る。国男は「尾長さん、わざわざありがとう。お茶でも飲んで行きませんか? 浮子の入れるお茶は一興ですよ」と声をかけ、要の返答を待ち切れず「どうぞ。遠慮しないで入ってください」と言い、浮子もドア前に姿を見せて「お口に汚しになりますが、どうぞ」と柔らかく誘う。



 これが最後の対面になるかもしれないと思いつつ、要は「失礼致します 」と頭を下げて入室した。



 富士子の目が要の一連を追う。その視線が国男の目と合い、富士子は視線をそらして打ち合わせ前に座っていたチェアーに腰掛け、ページを開いたまま右隣の席に置いた“ 遠雷と蜂蜜“ を右手で取り上げた。



 浮子はテーブルにお盆をおき、内側に傾斜けいしゃして今日は強張りが出ている右手で、茶器を一つ、また一つとお盆に置いてゆき、要は自分の前にあった茶器を両手でお盆にのせ、浮子は「恐れ入ります」と会釈する。



 その浮子の姿は小さく、背中が丸まっているのにまたも気づいた富士子は、さっき見た浮子のうれいある笑顔を思い出し、しかしながら浮子の老いは認め難くも…、文庫本を隣のチェアーに置いて立ち上がった富士子は「私にやらせて、浮子」華やかさが満ちる音調を心がけてそう言った。



 浮子は富士子の顔を見て、ふっと口元をほころばせて目尻を下げ「お願い致します」と小気味良く言い、両手で持っていたお盆をゆずるように前に出した。富士子は足早に歩みよって受け取る。



 要は「“遠雷と蜂蜜“ですか、懐かしいです」と言いながら、文庫本から富士子に視線を移した。富士子が要に振り返って「私もそう思って、読み返し始めたところです。前は宗弥にススメられて」と言うと、「僕もそうです」とこたえた要は、国男を見て「会長が宗弥にススメたと聞いています」と言い、国男は「私は樽太郎にススメられたんだ」と言ってしみじみと笑った。その笑顔に要が戸惑いを浮かべると、「ああ、申し訳ない。樽太郎は一体誰に、ススメられたんだろうと思ってね。一つの本がくるくると、人の手を旅して歩くと想像して笑いが出たんだよ」遊び心のある口調でそう言いながら、国男は左手の人差し指で天を差しクルリと2回して円を描く。



 喜びを頬にたたえて話す国男を見た富士子は自分が娘ではなく息子だったら、こんな会話もできるのだろうかと考えながら歩き出した。そう思えば足取りは落ちつかず、いけないと慎重な心持ちになった富士子は、ゆっくりを心がけて歩み、隣部屋へと続く引き扉の前に立ち、音を立てぬように気遣いながら扉を開けた。



 パジャマの乱れを直した国男が「浮子、あとは富士子に任せて、今日はもういいから中田の車で帰りなさい」と言った。「旦那様、お気遣いなさいませぬように、浮子は大丈夫でございます」と返した浮子に、「そうだと思うが浮子、今後もある。 明日のお茶を楽しみにしているよ」と国男は譲らない。浮子は静々とその言葉を受け入れ、隣り部屋の引き戸を静かに開けて「お嬢様、お先に失礼致します」と告げた。



 「えっ!」と驚いた富士子は振り返ったが、もう、そこに浮子の姿は無かった。





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