富士子編 42 浮子の来訪
シーン42 浮子の来訪
黒のロング丈ワンピースにジャージ素材のCHANEL風・ホワイトカーディガンを羽織った浮子は、つま先立ちになりながら右手に持った白チョークを使って、拭き清められた黒板の左サイドに自宅の軒先を真似て大きく描く。
その軒先に大小のテルテル坊主が手を繋いでいる絵を描き、ニコちゃんマークの表情を描き入れる。テルテル坊主を白チョークで丁寧に塗り潰してゆき、完成させた浮子はチョークを持ったまま、三歩下がって出来栄えをチェックする。浮子の表情に晴れやかな笑みが浮かぶ。
オフィスに駆け込んで来た富士子は浮子の姿を見て「なに描いてるの?」と時が止まったままの姿で聞いた。
黒板を見たままの浮子は「お嬢様と私です 」と答え、振り返って「お約束の時間は、とうに過ぎております」教師が不出来な生徒に言うような口調で言い、手に持ったチョークを振り下ろして勢いよく 跳ね上げた。
その仕草を見た富士子は✔ だと思い、「待たせてごめんなさい」言い訳せずに頭を下げる。
浮子は黒板に向き直って赤色チョークに持ち替え、富士子であろう小さなテルテル坊主の頭に、蝶結びのリボンを描き加えた。
Bが発見した突然変異体は異物が混入した粘菌が、毒素を産生したものだった。
人体に機能障害を起こし兼ねないと判断した富士子は、迅速に行動を起こして加熱処理した。サンプルとして保存を主張したBに、富士子は「害をなすとわかっているものは、いりません」と即答した。防護服を着て作業に入った富士子を、機密室のガラス窓越しにBは憮然と眺めていた。
赤色に染まってゆくてるてる坊主のリボンを見て、富士子の緊張が溶けてゆく。Bが功を急ぎ、自慢してくれて良かったと思う。もし、黙って増殖させていたら・・・職員の死亡事故が起きていたかもしれない。外部流失などあったら・・・・考えたくもないが、盾石科学の信用は失墜しただろう。
デスクで帰り支度を始めた富士子が「今日のお重は何にしたの?」と聞く。
黒板の右上に太陽を描きながら「今日は少し両の親指が痛みまして、肉じゃが、だし巻き、ほうれん草のお浸し、鶏肉の豆板醤炒め、酢飯に椎茸、人参、 筍、干し大根を混ぜまして、錦糸卵と桜でんぷ、千切りしたスナップえんどうを散らしたちらし寿司に致しました」と浮子が答えると、富士子はごくリと喉が鳴りそうになった。
浮子が作るちらし寿司は絶品で、富士子の100点満点の好物中の好物だ。
デスクの上に置いたままになっていた私物を手早くバックに入れ、チェアに座って急いでフラットシューズから、ハイヒールに履き替える。浮子の視線を感じた富士子が顔を上げると、浮子と目が合い、浮子は口元に笑みを浮かべて左眉を上げた。
その表情を見て、富士子の眉間にVの字のシワが入る。浮子といい、Bといい、研究所の職員といい、ただのフラットシューズになぜ、こうも反応すると思うが、理由は富士子が1番よく分かっていた。
要との思い出と富士子は共にありたいのだ。わかりやすい女だと人は笑うだろう。だか、それでもいいと富士子は思う。紛れもなく、私は今、恋している。カルミナ・プラーナの“ おお.運命の女神よ“ の如く。恋をしている。
その恋路が過酷を辿ると、富士子はまだ知らない。




