富士子編 38 赤ずきん
シーン38 赤ずきん
横浜横須賀道路は空いていた。宗弥と同じで、尾長さんも運転が上手い。分岐の道路表示が出るとスムーズに進路変更して、エンジンを起こすように加速していく。まるで尾長さんの運転に、周りの車が合わせているみたいだ。道が開くとアグレッシブに攻め、意表を突き、支配的に周りの車をコントロールして進む。
車の運転は人柄を物語るという。人を知るには酒を一緒に飲めとか、ゴルフを共にしろとか言うけれど、誰かが居るのを承知しての事だ。車の運転は一人で判断し、決断して実行する。ウィンカーの出し方、前後の車との車間距離、加速の仕方、ブレーキを掛け始めるタイミング、車線変更する時のミラー確認とそのスムーズさ、前後左右への注意力、思いやり、配慮、その段取りと優先順位の付け方、その全てに運転者の個性と胆力が出る。何をどう考えているのか、脳の中身が見える。
ナビが優秀なこの時代。考えていなくても目的地には到着できる。退化した分だけ、思考しない分だけ、運転はハンドルを握る人の本質を暴く。人間力の総合芸術が運転なのだ。車の好みは、好みの相手に求まるフォルムと希望だともいう。
人格は人の根幹で、優しさは強く無ければならず、責任を背負う覚悟がなければならない。共感力と忍耐力のバランスが取れていなければ、強さは疎まれるだけだ。カリスマ性は要らぬ競争心を刺激し、相手の心にプライドという燃料を与え、時に不和を呼ぶ。
弱きが1番楽で、責任感から発言した人のように「言ったよね」とは問われもせず、努力しなくて済み、人の指針について行くだけで考えるもいらない。安全を得て庇護の対象になれ、弱さを優しいと評価されたりもする。人は“優しいひと”と呼ばれる事に、心のどこかで憧れて尊ぶ。いつから人は考えるのをやめたのだろう。食料の安定供給が保証され、戦う必要が無くなってからだろうか・・・・。
左のサイドミラーを確認して視線を戻した要に、宗弥が「優勝できてよかったな」と話しかける。「圧勝だったな。宗弥、僕たちは毎年棒倒しを観戦してるだろう。第一大隊が決勝に上がると、僕はいつも4連覇を逃したあの対戦を思い出すんだ。過去の事なのに感傷的に、当時の自分とダブらせる。勝負分け目のあの一瞬、他にできることはなかったかと考えるんだ」要は自虐的な笑みを浮かべてそう話した。「慢心を学んだ年だったもんな」と言った宗弥の声も沈む。
バックミラー越しに宗弥を見た要は、その顔に哀愁を見つけ「負けるべくして負けたんだ。今となってはあの経験が貴重だったって、今も教訓にしてるじゃないか。侘しい言い方をした、すまん」と言い、宗弥は車窓に顔を向け「いいんだ。俺だってそうだ。今でもやっぱり悔しいんだよ。何年も経ってるのにさ。作戦も斬新でよかったし、成功してたらって、俺も観戦してて思うよ」しんみりと言った。
富士子の視線に気づいた宗弥は「卒業する年に、要が総長で俺は副総長でさ。4連覇が掛かった決勝戦であっと言う間に負けたんだ。俺、決勝戦は絶対勝てるって、4連覇するのが当たり前だって高を括ってた。先頭の遊撃がつまずいて、攻撃のタイミングがズレて総崩れしたんだ。立て直せないまま完敗したんだよ」と説明する。
要が「お前が総長はやる事が多いから嫌だって、僕に総長押しつけたんだろうが」と言うと、「総長のお前は、カッコ良かったです」宗弥は改まった口調で返し、「お前もな」と微笑んだ要は、車線を縫うように車を走らせながら「転んだ横尾は長距離行軍の時に、必ず殿に付いて、脱落しそうな奴に付き添ってたよな“根性で乗り切れ“って励ましながら…。あの対戦の後、横尾はひとりでベットに座ってたんだ。あの姿が忘れられない。知ってるか、横尾は今、佐世保教育隊で教官してる。赤鬼と呼ばれてるらしい」と話す。「赤鬼か、鬼となって後進を鍛える・・いいね、あいつらしくて最高だ」宗弥は思いを馳せながらそう言った。
話を聞いていた富士子が「アクシデントって思わぬ時に起こるよね。万全だって希望を持ってる時に限って、タイミングがズレて上手くいかないの、わかる。液体デイバイスの製造工程でもそういう事多いから」、「だろう。あるよな、そういうの」と返した宗弥が要をバックミラー越しに見る。
視線を合わせた要も液体デイバイスの話を、普通にする世間知らずさに懸念を抱く。やはり富士子は液体デイバイスの暗黒面を知らず、気づかず、誰にも教えられずで研究開発している。莫大な利益と力を得るために、富士子にはあえて知らせないか・・・。知らせた上で、富士子の判断に任せるをしないのは、ある意味、富士子を馬鹿にする行為だ。英断を下せるはずの富士子は、人のしたたかさを知るすべもなく、そんな所も世間慣れしていない。ただのお嬢様ならそれは美徳だが、富士子は液体デイバイスの開発者だ・・・。
そう考えながらも要は全く違う事を口にした。「優勝した第三の練り歩き見て悔し泣きしたな。あんな青臭い泣き方は、もう出来ないと思う」と。「お前だけが、泣いたんだ」と宗弥はこだわり、「そうだったかー?」と返した要に、宗弥は「そうだ!」と声を大にして言い返す。
2人のやりとりを聞いていた富士子は「尾長さんと宗弥は、在学中から仲がよかったの?」と聞く。要は車を加速させながら「図書館にいた時、宗弥に話しかけられたんです」、「違う!」とかぶせるように否定した宗弥が「お前が、俺を射ったんだろうが」と若干、強い言い方をする。
「そうなのか」と無機質に返した要に、宗弥は「涼しく言うな。お前の悪い癖だ。どうして言葉をもったいぶる。お前はいつも言葉が足りない。そうだったのかとか、どういう意味だとかないのか、普通聞くだろう」と言った。さして興味を示さず、要は「すまん」と謝る。表情をうんざりとさせた宗弥が「言ってるそばからこれだ。俺は今、お前に射抜かれたって、告白みたいなこと言ったんだぞ。恥ずかしいだろう、俺。それについてなんか言えよ」とぐずるように言うが、 要は再び「すまん」とすんなりと謝り、「愛想のない奴」と投げ出すように言った宗弥は、会話を楽しんでいると富士子にはわかった。
富士子に視線を向けた宗弥は「きっかけはさ、誰かとだったり、 グループだったりしたんだけど、毎日、要は罰当番してたんだ。最初は鈍い奴なのか?と思ったんだよ。だけど、敏捷性もズバ抜けてたし、動作の覚えも悪くなかった。座学も同列で5本の指に入ってた。要は時間が空くと図書館に入り浸りで、各国の首都の緯度と経度を暗記してるかと思えば、次の日はBASHAR を熱心に読んでたりもした。面白い奴だなと思って見てたんだ。そしたらある日、罰当番してる理由が分かったんだよ。要は誰かがしくじりそうになると、一緒にドジって罰当番を受けてたんだ」、黙って聞いていた要が口を挟む。「1人で罰を受けたら目立つし、卑屈になる。誰かと一緒なら思い出になるだろう。そう思っただけだ」と不機嫌に言う。
バックミラー越しにチラリと要を見た宗弥は「なあー、かっこいいこと簡単に言うだろ。四六時中、一緒に居る俺の身になってみろよ、富士子。俺、頑張ってるだろう」仔犬のような目で富士子を見つめながら言い、富士子が「そんな風に話すという事は、宗弥は尾長さんのこと好きなのね」と言うと、要が「なんか居心地悪いです」と迷惑そうに口を挟む。富士子は右手を口元にあてて「あっ、ごめんなさい!」と謝った。
宗弥は2人を交互に見るや「おいおい、なんだよ、2人して。俺が痛い奴みたいだろうが。今ここで一番痛いのは富士子、お前だぞ」と決めつけ、「えっ、私?」と返した富士子に、宗弥が「好きとかじゃない、尊敬というんだ。こういう時は」と教えるように言い、富士子はクスリと笑い「尊敬って、尾長さんを前で口に出した。宗弥が一番痛いわ」とすかさず返し、「お前。時々、鋭いよな」と言った宗弥が笑い飛ばす。
話の矛先を変えたい宗弥が「なんだったっけ、ほら、お前が罰当番の時にぶつぶつ念仏みたいに唱えてたやつ、マッチ売りの少女だったか、シンデレラだったが、ほら」と急かし、要は「赤ずきんちゃんだ」と答え、「そうそう、それだ。まだ暗唱できるのか?」と宗弥が聞く。「ああ」と応えた要に、「話してくれよ」と宗弥が言い、要は語り始める。
“ お母さんに化けた狼は、家に入って来た赤ずきんの姿を見て「私は帰ろう、母のもとへ」と歌い始めました。赤ずきんも狼と一緒に歌います。歌う赤ずきんに狼が言いました。「暖炉にシチューを作っておいたよ。お腹が空いているだろう。それをお食べ」と。赤ずきんは「お母様、とてもお腹が空いていたの。ありがとう」と喜んでシチューを食べ始めます。肉をゴクリと飲み込んだ赤ずきんは「お母さま、こんなに美味しいお肉、初めて食べたわ」と言います。狼は次の肉を食べ始めた赤ずきんに目を細め「それは、よかった」と言って、毛布を口元に引き寄せ「その肉は、お前のお母さんなんだよ」と囁きました。
赤ずきんは「お母さま、今なんて言ったの?」と聞き返します。狼は「何でもないよ」と答えました。赤ずきんがシチューを食べ終わると、狼は葡萄ジュースの瓶を見て「赤ずきんや、喉は乾いていないかい。その葡萄ジュースをお飲みよ」と言いました。「ありがとう、お母さま。だけど、コップがないと飲めないわ」赤ずきんは困った顔をします。
狼は「可愛い、可愛い赤ずきん。お前のその可愛らしい口で、そのままお飲み」と言います。素直な赤ずきんは「分かったわ。お母さま」と言って葡萄ジュースを飲み始めました。満足した狼は毛布の中で呟きます。「それはね、お母さんの血だよ」と。慌てた赤ずきんは「えっ、今何て言ったの?」と聞きました。狼は「大した事じゃないよ。そんなことより、美味しかったかい?」と聞き返します。「ええ、とても甘くて美味しかったわ」と答えた赤ずきんの口は、野苺のように赤く染まっていました。大きくうなずいた狼は「赤ずきんや、もう少しこちらに来てくれないかい」と言って、枕元に赤ずきんを呼びました。間近で狼を見た赤ずきんは「お母さま、どうして、おばあさまの目はそんなに大きいの」と言います。すると狼は「お前を良く見るためだよ」と答え、「どうして、お母さまの爪は尖っているの?」と赤ずきんが聞くと、狼は「お前を捕まえる為さ」と言って大きな口を開けて笑いました“
「あとは、みんなが知ってるフレーズが続く」と言った要に、宗弥は浮かぬ顔で「そこからいくことないだろう。前半の楽しいとこ話せよ」とこぼし、要は「確かに、そうだったな」と応じ、バックミラー越しに富士子を見る。富士子は淡々とした語り口調に空恐ろしさを感じ、浮子の声が聞きたくなって、クランチバックからスマホを取り出した。
要は富士子の表情を見て十二分に後悔したが、もう遅い。




