富士子編 30 京急本線 特急 品川駅〜
シーン30 京急本線 特急 品川駅〜
JR山手線の新宿駅から品川駅まで移動して、京急本線特急に乗り換えた。要たちが乗った車両が東急蒲田駅に着くとエスカレーターに近い車両だったせいか、トランクや紙袋、大きめの鞄を持ったカラフルカラーの乗客が多数乗り込んで来た。しまったと顔をしかめた要が富士子を見ると、富士子は今日の定位置となった場所に立ち、扉の方を向いて車窓から景色を眺めていた。要の表情を見た宗弥が“大丈夫だ、俺がガードしてる“と口だけ動かしてそう伝え、要はうなずいた。クソ!蒲田でイベントでもあったのか…。
富士子は思う。日本は豊かな国だと。一つ一つの家や、マンションの前には整備された道が続き、大小はあるけれど駅前にはビル群があって、様々な病院広告が電車から見えるようにいくつも掲げられている。どの駅も綺麗に掃き清められ、落書きも極めて少ない。流れる風景を見ながら、これまでの電車移動を思い返す。
構内にある案内標識は目に入る高さに設置され、それに従って歩くと迷わなかった。電車は数分おきにあって、正確に到着と発車を繰り返していた。Kiosk、コンビニ、販売機、ATM、水呑み場、エスカレーターにエレベーター、階段には手すり、至れり尽くせりだった。
京急本線特急のホームに着いた時、これで乗り換えは終わったとホッとして息をついた。聞こえてしまったのか、尾長さんが「お疲れ様でした」と言って、左手に持ったペットボトルを乾杯するように私の前に上げ、宗弥も「お疲れ」と言ってペットボトルを掲げて、私は右手に持っていたペットボトルを二人のペットボトルに、コン、コンと当てて「お疲れ様でした」と言って水を飲み干した。無味無臭のはずなのに、その水はとても美味しかった。嬉しくなって、声を上げて笑った。
尾長さんも宗弥も笑ってた。周りの目を気にせず、声を上げて笑ったのはいつ以来だったろう。
3人ともが飲み干したペットボトルを捨てにいき、いつの間にかに到着していた電車に気づいて、3人揃って車内に駆け込んだ。
走り、笑い、今、お日さまの下にいる。
太陽が車窓に反射して七色の光の玉が出来た。光玉は電車が進み太陽の角度が変わり出すと、その色を変化させてゆく。車窓に右手を添えて数える。13個あった。明るい日差しに幻想的な色彩の光玉。日常には無い今日がある。豊かだ。
ふと、振り返ると宗弥と目が合った。宗弥がウインクする。真顔の寄り目を返す。「ぷっ」と吹き出した宗弥を無視して、尾長さんに視線を送ると、変わらず、私に背を向けていた。アーバンノートの香りはもう覚えてしまった。風景に視線を戻す。
突然、殺気を浴びた要が身体を右横にずらす。要はあっという間にくの字に崩れ落ち、左腕に掛けてあった上着が落ちてパサリと音を立てた。咄嗟の要は右手で右脇腹を押さえ、なんとか左手と左膝を床に付き、倒れるマヌケを避けた内心で吠える。クソ!!刺された!!乗客の足元を見るが不審は影すら既になく、クソ!!!何処に行った!!
要の異変を見た富士子は要の背中をがむしゃらの両手で掴み「大丈夫ですか!!!」と恐怖の音色を上げる。周りの乗客が屈んだ要から一歩下がり出して、要の周りに空間ができたが物音一つしない。
宗弥は神速で上着を脱ぎ、富士子と要の間に割って入って背中に富士子を隠す。脱いだ上着を要の肩にかけながら「どうした、文学部。電車酔いでもしたか?」呑気に聞こえるであろう調子で聞く。要は屈んだまま首だけを上げて宗弥を見ると「ミスった、すまん。だが医療オタク大丈夫だ、このまま移動してくれて」と冷静に返す。
その声を聞いた宗弥は静か過ぎると、身体に危機が近いほど要は冷徹な対応を取ると、微かな動揺を顔に走らせたが、すぐに表情を和ませて床に落ちた要の上着を拾い上げながら、周囲をさりげなく見た。襲撃した奴はどこへ行った!!!!!走り続けている電車の何処かに身を隠してやがる!!クソ!!
近くの座席にいたカップルが席を立ち、女性が「どうぞ」と小さく富士子に声をかける。富士子は半歩前に出で、宗弥の影から「ありがとうございます」と頭を下げて要を見る。
自分の足で立とうとする尾長さんは自分の左肘を、掴んで離さない宗弥の右手を外そうともがいていた。宗弥が「いいから、座れ」と高圧的な口調で尾長さんに言い、宗弥のその声は今まで聞いたことがない、唸ったような声だった。
富士子が宗弥の顔をみる。「お前も座れ」声音を和らげたつもりでいたが、その声には未だ棘があった。俺は自分の修行の足りなさに舌打ちしたくなる。要は知らぬ間に負傷し、富士子を怖がらせた俺は最低だ!!!!
要と富士子は並んで座り、富士子の前に仁王立ちした宗弥は要の様子を医師と戦士の目で観察する。大丈夫だ、要からのサインもない。フッーと吐息を吐いた宗弥は気配をとらえる為に、戦闘時並みの意識のアンテナを周囲に張り、左手でスマホを取り出して掌の上で、指先を使ってクルリと回転させるやメッセージを打ち始めた。
左隣に座った要に、富士子は「目眩はどうですか?まだしますか?」と小さく聞いた。
強張ったままの富士子の表情を見た要は「綺麗なお姉さんを怖がらせた」とおどけた口調で言って犬歯を見せて笑うが、富士子の表情は溶けず、真剣な眼差しで要を見続けていた。その健気さに要は「ふざけてすみません。あなたが心配しているのに。大丈夫です。目を閉じていれば治ります」と真摯に答え直した。
「何か、できることがあったら言って下さい」なおも心配する富士子に、要は「はい」と答えて腕組みをし、瞼を閉じる。人目がある電車でこのまま移動した方が安全だ。失血しているが、脳内で警告音は鳴っていない。まだ時間はあるという事だ。問題ない。
3つ目の駅を通り過ぎた頃、富士子の左肩にコトリと要の頭が乗った。富士子はピンと伸びかけた背中を押し止め、数秒待ってそっと首を伸ばし、要の顔を覗き込む。
眠ったの…。光に溶け込んだかのとうな顔色は淡く、青白い。