富士子編 24 デイトの申し込みと笑う浮子
シーン24 デイトの申し込みと笑う浮子
富士子が病院前の歩道に着くと、要と宗弥は正面玄関前のLEDライトに照らされて、 2つの大きな青い影を作り、宗弥に背を向けた要はスマホに着信したベータ長・サラマンダーと話をしていた。
宗弥は両腕を組んで仁王立ちし、門前に現れた富士子を怖い顔で見据えている。その表情を見た富士子はただならぬ宗弥の気配に、眉間を固くして口元の笑みを引っ込めた。
サラマンダーに指摘されて振り返った要は富士子の姿を確認するや、迅速に近づいてゆく。そして富士子の右手から下がっている伸び切ったコンビニ袋の取手を、引ったくるようにして奪い取る。1.5ℓのペットボトルが2本入っていた。瞬時にサラマンダーから「お前、白梅には優しいな」と言われ、要はどこから見ていると顔を動かさず、視線をめぐらせたが見当がつかない。正面、マンションの屋上にある看板の影か、いや、ドッシリと構えたいサラマンダーの性格だ。室内か、車の中から見ているに違いない。ベータチームの監視ポイントを見つけ出す事と頭に刻む。
驚く富士子の顔を要は一瞬見たが、電話口でサラマンダーが聞いていると思えば何も言えず、駐車場前に停車している富士子の社用車に向かって歩き出し、サラマンダーに「少し待ってもらえますか」と断りを入れ、「おお、いいよ。僕たちサブだから暇ですし、お前は」ニタリと笑っているであろうサラマンダーの話の途中で、要はスマホを左太ももに押しつけて、助手席の窓を“コンコン“とノックした。
振り向いた運動手の中田の顔を間近で見た要は、“ 責任感が強く、責務を忠実に果たす“ と報告書にあった一文を思い出しながら会釈する。中田の座席から降りる仕草を見て、要は先に歩き出す。
車の前で中田と言葉を交わした要は中田の話し方、選ぶ言葉に実直さを感じた。頭をさげてコンビニ袋を差し出し、中田はそれを両手で受け取り、富士子に向かって足早に歩く。
その行動を見た要は、国男が中田を富士子の運転手にした理由を理解する。
富士子は要と中田に視線を向けて歩いていた。足を止めた富士子のそばに立ち止まった中田は「承知いたしました」と言って、コンビニ袋を富士子の顔の前にかざし、訳を知らない富士子が「あの」と言うと、中田は微笑んで「お任せください。旦那様にお届けしてきます」と説明した。「あっ、お願いします」と頭を下げた富士子に、「はい」と言った中田は病院の正面玄関へと向った。
その中田の背を見て、富士子はまた一つ、要を理解する。
電話しながら要はたまに「はい」と答え、直径 5mほどの円を作るように、ゆったりと歩いていた。サラマンダーは今のスパルタンについて話していた。要が訓練生だった頃の教官だった男の話だ。そして今スパルタンは所在不明で、生死さえわかっていない。そんな男の話をサラマンダーは長々と話し続ける。その見下げた口ぶりに、要は私怨を感じた。
富士子は要に向けていた目を宗弥に移し「話って?」と聞いた。宗弥は要を見る富士子の横顔を見ていた。
富士子と目が合った宗弥はうつむいて「俺に向かっては雑だなぁ」小さくぼやき、「まっ、幼なじみにはそうなるか」と考えずに口に出した自分は、己を励ましたのか、納得させたのか、ただ、事実を口に出しただけなのか、自分の心の内がよくわからないまま顔を上げてしまい、筋書き通りに「明後日の日曜日、何か予定入ってるのか?」と富士子に聞く。
富士子はキョトンとして「研究所に行く予定だけど」当たり前でしょというニュアンスで答える。それを聞いた宗弥はニコリと笑い「俺たちとデートしよう」と唐突に誘う。
驚いた富士子が「デイト!?」と聞き返す。「デイトじゃないよ。デートだよ。明後日、朝9時に地下鉄大江戸線牛込駅、A2出入り口前に集合だ。どうだ?」と言った宗弥は、186センチの身長を屈め、近距離で見ると鳶色だと分かる瞳で、富士子の目を覗き込んだ。返事に迷っているとわかる宗弥は「考えるな。お前、どうせ外出もしないで、毎日、研究所にこもり切りなんだろう?たまにはお日様の下を散歩しようぜ」と誘った笑顔は軽やかだ。
富士子は 最近、誰かにも同じようなこと言われたなと考え、「お日様を浴びなさい。お日様を」と言ったサヤの顔が浮かぶ。微笑んだ富士子に、宗弥は「決まりだな」と満足する。
要が宗弥の左隣に歩みよりながら「決まったか?」と聞くと、宗弥は「ああ」と答え、要は富士子をひたりと見るや「明後日の10時に綺麗なお姉さんの 」、「それ言ったし、それに待ち合わせ時間は9時だし、間違ってるし、ちゃんと伝えろよ〜」うんざり顔の宗弥が言葉をかぶせた。
「そうだった。すまん」と要、「まったく、俺に抜かりはないよ」と宗弥、「だよな」と要、富士子はそのやり取りを2人の顔に視線を交互させながら、仲が良いのだなぁと感じつつ「どこに行くの ?」と聞く。
要が犬歯を見せる打撃力の笑顔を富士子に向け、宗弥に聞いたつもりだった富士子はその笑顔に我を忘れ、要は「内緒です」と低く秘めやかな声で言い、宗弥と同じように上半身をかがめて富士子の目を覗き見て「綺麗なお姉さん。明後日はハイヒールではなく、フラットシューズでお願いします」と言った。
距離が近い。恥ずかしさで顔が熱くなる。それでも私はとりすました表情で「はい」と歯切れ良く返事する。
宗弥が「で、素直で綺麗なお姉さんは、今夜はこのまま帰るんだろ。自宅まで送らせてくれ」と言うのを聞きながら、富士子はさりげなく半歩下がり、それに合わせて要も姿勢を戻す。
火照る頬で宗弥を見上げた富士子は「綺麗な、なんちゃらって呼ぶのやめて、恥ずかしいから。それにお姉さんじゃないから、同じ歳でしょう私たちは」と言い、宗弥は「なんだよ、要は良くって、俺はダメなのか」とからかう口調で言い返し、富士子が返事に窮している所に、「お待たせしました」と中田の声がする。これ幸いと富士子は中田に歩み寄って、中田が手にしているお重と鞄等々を引き取りながら「中田さん、ペットボトルすみませんでした。お重と鞄もありがとうございます。重かったでしょうに、すみません。それで、あの、宗弥と尾長さんが車に同乗します」と伝えると、一瞬キョトンとした中田は「承知しました」とかろうじての言葉を紡いだ後、「尾長さんに頼まれまして、お荷物をお持ちしました。先ほどお知らせせずにすみません」と言って急ぎ足で車に向かった。富士子が要を見ると、要はメールを打っていた。
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「僕たちまで乗車してすみません。盾石さんのご自宅からは電車で帰りますので」助手席の要は中田にそう言うと、シートベルトと格闘しはじめ「もう少し出ないかな」とつぶやいた。
聞こえた中田は「ゆっくりと引っ張ってみてください。助手席を使用した事がございませんので、少々、固いのだと思います。お嬢様が人をお乗せするのは、初めてですから」嬉しそうな口ぶりだった。富士子は友や知り合いが少ない事を要に知られたと恥ずかしく、下を向く。
中田は目印にしている反射鏡を通り過ぎると、ハンドルのワイヤレスフォンのスイッチを押した。2コールで出た浮子の「お疲れ様です、中田さん」と言った耳障りの良い声が車内に響く。「お疲れ様です、浮子さん。あと5分ほどで到着いたします」、「承知いたしました」中田と浮子のいつものやり取りだった。要はシルクで包み込むような浮子と中田の富士子に対する気持ちに、内心で驚いた。この女性は正真正銘のお嬢様なのだと。
盾石家の自宅は国男が自ら設計した。国男は久美子と出会う前にすでに購入していた土地に、久美子の両親と久美子に結婚の承諾を得る前に今の家を建て始めた。どうあっても、久美子と結婚する。その意思を宣言するかのように。
外壁は表面がゴツゴツと不揃いな絹ねず色のストーンタイルを、基礎から1mあけたところまで貼り、そのあけた箇所には艶を鈍らせた濡羽色のタイルにしてある。
2階建ての招き屋根には黒のマット加工された瓦をのせ、玄関を中心として左右対象に設計した引き戸は、担柄茶色の木枠に複層ガラスがはめ込んであり、高さは有に2メートルを超えていた。
金属製の玄関ドアにも国男はこだわりを見せ、全体は烏羽色をほんのりと青みがからせ、ドア中央には上下を15㎝あけ、深い飴色の幾何学的な花弁柄の竹細工を、特注で埋め込んだ40㎝✖︎20㎝のパネルが縦に一列に配してある。
玄関を背にした右側の100坪に高麗芝を敷き庭として、今、その庭の4つ角には浮子が趣味にしている四季薔薇が鉄紺色の大鉢に植えられて、一角に一つずつ置いてあり、左側の100坪は車寄席としていた。
富士子はこの家の色調と落ち着いた雰囲気が好きで、一人暮らしを考えたことがなかった。浮子がいるからかもしれないし、内心のどこかで、父をもっと知りたいと思って離れられないのかもしれない。
社用車がナンバー感知式・自動開閉の門をくぐり、ロータリーに入ると、浮子はいつもと変わりなく、外に出て出迎えていた。
富士子が座席下においたトートバッグを左手に持ち、ドアノブに手を掛けようとした瞬間、ドアが開く。音もなくいつの間にかに降りていた要が開けたのだ。
要を見上げた富士子は「すみません」と頭を下げて、隣に置いてあったお重を取ろうと右手を伸ばすが空を切り、振り返って見るとお重はすでにそこにはなく、こちらもいつの間にかに降りていた宗弥が、逆手にした左手にお重を持ち、その手を左肩に掛けて玄関へと歩いている。
2人とも、いつの間に降りたの?と思いながら、富士子は揃えた両足を地面に下ろす。立ち上がろうとする富士子の動きと、大きくドアを開けようとした要の動きがクロスした。
互いにゆっくりした動きだった。ドアを挟んだだけの重なりに、二人は瞬時にお互いの顔を見る。富士子は要を見上げたままゆっくりとした口調で「ありがとうございます」と言い、要も富士子を見つめたまま「いいえ、荷物で両手が塞がっているかと思いまして」と細く通る声で言った。
玄関前では浮子に空のお重を手渡した宗弥が「浮子さんのお弁当はやっぱり最高なんですね。おじさんパクパク食べていました。今度、昔みたいに俺にも卵の肉巻きとだし巻き卵の巻き巻き弁当お願いします」とBIGな笑顔でそう言い、浮子は「お料理のレパートリーがいつまでも変わらなくて、お恥ずかしいかぎりでございます」と機嫌良く返していた。
俯いて歩く富士子と、月が落とした富士子の影に寄りそうように歩く要に、浮子は気付き「まあ、まあ。今夜はナイトお2人に、エスコートされてのご帰還ですか。嬢ちゃま」と声を弾ませる。
富士子は浮子の「嬢ちゃま」という幼い頃の呼び名と、ウキウキとして目を細めている様子を、要に見られてはと恥じらい「浮子!」と抗議するが、浮子の耳には届かない。
宗弥の左隣に並んだ要が浮子に「はじめまして、尾長要と申します。帰りが遅くなってすみません」爽やかに言うと、宗弥はすかさず補足する。「浮子さん、こいつ俺と同期卒で俺より2歳年下なのに、俺より階級が上なんですよ。できる男です」と。
「まあ、まあ、そうですか。それは、それは」浮子はそう言いながら、要を顔からつま先までマジマジと見た。
そんな見方しないで、浮子!!!富士子の心が叫ぶ。
ウキウキの浮子が「嬢ちゃま、宗弥さんと尾長様にお上がり頂いて、お茶でもいかかでございましょう」と富士子に尋ねる。すると要は「家長不在の折、上がり込む無粋は避けたいと思います」、「いつの時代だよ」宗弥は神速でツッコむ。
宗弥をスルーした要は「僕たちは、これでお暇します」と言って背筋を引き上げ、意志ある背を折って浮子に頭を下げた。宗弥が「富士子、明後日な」と言うと、要と宗弥は身体をクルリと180°反転させ、駆け足で門に向かい、門前で息のあった反転をみせ、揃ってピシリと45度の礼をする。宗弥が門のドアにあるパネルに暗証番号を打ち込んで解除し、2人は公道に出た。
見送る浮子は待ちきれず「嬢ちゃま、明後日って、なんでございましょう?」と右隣に立つ富士子を見上げて聞き、「デートなのよ」と答えた富士子に、浮子は「デッ、デイトでごっ、ござ、いますか?」となんとか言い終え、素知らぬ顔の富士子は玄関へと歩き出してドアを開け、浮子に振り返るや「浮子、嬢ちゃまはやめて」とピシリと言い、浮子は「まあ、 まあ、怖いお顔。うら若き女性の頭にツノが見えました。デイト中にそういうお顔はなさいませんように、嬢ちゃま。ホッ、ホッ、ホッ」と軽やかに笑い声を上げる。




