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国守の愛 第1章      作者: 國生さゆり  
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富士子編  14 西浜総合病院



  シーン14 西浜総合病院




 富士子はERへと続く廊下を先端せんたんにだけブラック・スパンコールが、散りばめられたマッドブラックのハイヒールで走っている。顔色は青白く、目は大きく見開かれ、死の形相ぎょうそうで走る富士子の姿とは対照的に、富士子のポニーテールは子犬のしっぽのように可愛らしく揺れていた。



 リノリウムの廊下を叩くヒールの音は甲高く、不規則に響きわたり、院内を疾走する富士子の姿は誰が見ても、近親者に負の影が触れたのは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。




 すれ違う人たちは怪訝けげんな表情で富士子を見るが、すぐにお気の毒にといった顔つきに変わり、その顔を目にする度に、富士子の心に不安が折りかさなってゆく。



ああ!神様。どうか。どうか・・・と富士子は祈る。



 背後から「廊下を走らないで下さい。ここは病院です」厳しい声が飛ぶ。富士子はピタリと立ち止まり、バランスを崩しながらも振り返って「申し訳ありません!!」と頭を下げた。富士子が発した声は自分で思っている以上に大きく、その残響に顔をゆがめた富士子は「すみません」とふたたび頭を下げる。



 看護師は富士子に歩み寄り「どちらに、いらっしゃいますか?」と慈悲じひの声で尋ねた。「ERの手術室です」と答えた富士子に、看護師は足元の廊下を指差し「この赤い線を辿たどって下さい」と言った。




 「はい」富士子がとぼしく返す。赤い線!緊急の色!!危機を知らせる色!!停止する色・・・ああーーーそんな!!この色の先にーーーお父様がいる。いやだ。仲が悪い、それでも!ーーーやめてよー、嫌よ。こんなことって‥うそでしょ‥。看護師が「大丈夫ですか⁈」と富士子の顔を覗き込んだ。「ありがとうございます」消え入るような声で答えた富士子は、ゆっくりと看護師に頭を下げて歩き出す。




 だが、じわじわと、徐々に、確実に、富士子は早足になっていく。祈る気持ちと共に父の元に急ぐ。ERの手術室前で立ち止まると、富士子の耳にゼイゼイと息を切らす自分の呼吸音がこだまする。うるさい!!と叫びそうになった。


 

 今日の午後、会長室で父と冷たくも激しく、感情をぶつけあった。あの会話が、あんないたわりのない自分の言葉が、父と交わした最後の会話になるかもしれない、嫌だ!!!!・・・後悔に身が凍る。


  

 ごめんなさい。ごめんなさい。だから・・・。お願いよ・・・。お父さま、お願いよ・・・1人にしないで。



 

 富士子は会長室での国男との対面を終えた後、明日の期限までに、液体デイバイスの完成度を数%でも上げようと、研究所の密閉室に一人籠ひとりこもっていた。不審を抱かれないよう富士子は防護スーツを着用しないままの賭けに出た。データ上、デイバイスのナノ粒子同士が反発し合い、今の混合液の強度では活動を制御せいぎょ出来なくなると、今まで懸念けねんして避けていた手法をこころみていたのだ。



 意思を持つ粘菌の暴走を招くかもしれなかった。不活性化が進化してゆく過程かていで、未知の毒性を形成する可能性があった。そうなったら・・と考え、今まで、踏み切れずにいたレシピだった。仕上げた液体デイバイスを、電子顕微鏡で経過観察する。



 3時間後、注意して見ていなければ、見落とすほどの極々微細ごくごくびさいな細胞を富士子は発見した。シャーレに移して成分検査する。特異的に結合した抗体だった。いける!!!と直感する。光明を得て、ああ!!!!と歓喜の声を上げそうになった。慌てて右手を口にあててガラス越しの研究員を見回す。誰もが自分の研究に熱中していて、富士子の歓喜に気づいてはいなかった。あのBでさえも。




 それからは夢中だった。この抗体は常温で増殖できるのか・・・何がしかの方法で培養した方がいいだろうか。温度は⁈、触媒活性は⁈・・・と推測していたところに富士子の館内専用・携帯電話が鳴る。思考を邪魔をされてうらめしく 「統括、盾石」不服を含んだ声で対応した。



 「素水モトミズです。今しがた警察から連絡がありまして、富士子さん気を確かに持って聞いてください」、「はい・・」なぜか、富士子はヒヤリとしたものを感じて小さく答え、「会長が運転されていた車が、ダンプカーと側面衝突したと連絡がありました。富士子さん、西浜総合病院に向かって下さい」と言った樽太郎さんの声はうわずりそうになるのを、無理に押さえ込んているような低い声だった。




 瞬間、富士子の全てが無音とす。 ドクン、ドクンと脈打つ音だけが聞こえていた。




 「富士子さん、お車を正面玄関にまわしてあります。警備ゲートの手続きは不要です。中田が待ってます。富士子さん⁈富士子さん!」樽太郎の声に無念がじる。富士子は「はい」と心ここにらずで返す。



 「富士子さん、正面玄関前の中田の車に乗って下さい !」樽太郎の強い口調に富士子ははじかれ、携帯を落とし、研究所から駆け出した。警備ゲートを走りぬけて社用車に飛び乗り、車内では両手を強く擦り合わせることしか出来ず、ハッとして、浮子に連絡しなければと思うが、スマホは保管庫!!と思いいたり、「あっ!」と声が出た。



「どうされました!!」中田が緊張の声で聞く。



 「浮子に」小さく答える。「素水様がお迎えに行くと、おっしゃっていました」と言った中田に、富士子は「そう」と言うのが精一杯だった。



 富士子は病院の正面玄関前に車が停車する寸前にドアを開け、急ブレーキを踏んだ中田が「お供します!お待ち下さい!」と言ったが、富士子は足を止められず、中田は富士子の背に「ERです!富士子さん!!廊下の赤い線をたどって下さい!!」と叫んだ。走る。走った。ひたすらに富士子は走った。そして富士子は看護師に、呼び止められて立ち止まった。



 ER手術室の前で立ち尽くしている富士子の耳に「お嬢様、お嬢様」、ツンドラの彼方かなたからのような、浮子の声が聞こえてくる。



 富士子の正面に立った浮子は左右の手で富士子のそれぞれの腕を掴み、激しく揺らしていた。渾身こんしんの思いで「お嬢様!!」と浮子は富士子に呼び掛ける。自分の存在を認識させようと、富士子のうつろな目を強い眼差しで見つめてもいた。



 光軸こうじくの定まらない富士子の瞳が浮子をとらえ、富士子は「私は大丈夫だから」と言うが、どこか上の空で“あれ、ここはどこ?ああ、そうだった病院だ“とおぼろげに考える富士子は、浮子の非力にゆらゆら揺れている。




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