お気に入りの隠れ場所で見つけたもの
さあ、始めよう。
まずクイズ。「ボクは誰だ?」
十秒あげるね。
じゅう、きゅう、はち、はい、ハズレ。
怒った?
じゃあ、ばいばい。もう二度と現れないでいいよ。
さて、辛辣なコメントにあてられてうんざり。
さしずめそんなことろでしょう。
部屋があるんだ。真っ白な壁が四方を閉ざしている。天井も同じくらいに白い。影さえない床も、そう、もちろん白いさ。
ここに入れられたのはいつだったか、正確には覚えていないんだ。だから今しがたってことにしておこう。面倒だからね、何事も適当に決めてしまえばいい。
クイズにヒントがないと飽きるだろう。
飽きたらいい。
怒った?
じゃあ、ばいばい。そうプンプンされることにこっちも飽きたよ。
脱出しよう。
手探りで壁に亀裂がないか調べる。
手探りってことは、なんとボクは手があるらしい。右手と左手で交互にひんやりとした壁を探る。少なくとも二本、そして温度を感じることができるんだね。
もう答えは分かったかな。分かるわけないよね。いつでも答えなんて変えられるし、当たってても教えるつもりはないよ、まだ。
いやあ。それにしてもこの殺風景な部屋は気に入った。どうしてかボクにしっくりくるんだ。
まるでボクのために用意されたとしても過言ではないね。空白の中で呼吸をしているってのは、実はとても清々しいことだからさ。肺に深く息を吸って満たせるだけの酸素がある。つまりボクは生きているってこと。この部屋では生命が維持できるだけの条件が整っているんだ。
壁を伝ってぐるりと歩く。横っ腹をこすりつけるとザラザラとした感触が振動となって皮膚のしたにめりこんでくる。漠とした寂寥を忌避するタイプなら発狂を禁じ得ないだろうけど、生憎ボクは無機質さは根本的に肯えるから問題ない。
ところがボクは躓いてしまった。四つん這いで堪えきれずにしたたかに頭を地面に擦った。一体どうしてボクの軌道がねじ曲げられたのか、不思議でならないし、脳震盪を起こしたみたいに視界がぐらぐらと揺れる。
二つ目の角を曲がったときだった。それは確かに固すぎもせず、柔らかすぎもしないが存在していたんだ。ボクはそいつにぶつかって、足をとられて転倒する運びとなった。
まさか見えない刺客に四本の足を射られた?矢みたいな代物で攻撃を受けたに違いない。罠だ。誰かがボクを観測している。それなら抵抗しない手はないだろう。反射的に膀胱を収縮させる。臭いは部屋にとって新たな構成要素となった。
さらさらの液体を四方八方やたらめったらにぶちまける。飛散したしずくは粒となって広がる。
見つけたぞ。
濡れた床から隆起したのは、液体によって屈折率を付与された何らかのマシーンだった。
何らかのマシーン?
ボクと大きさはそう変わらない。寧ろ同じくらいか。直方体の形が光の反射で浮き彫りになった。透明な装置はいつからここにあったのか分からない。分かりようがない。きっと得体の知れない何者かが運搬したはずだ。
体当たりをしてみるも、頑丈な装置は少しも動かない。変位はゼロだ。引っ張ってみても当然のごとく糠に釘だった。どうやらこの装置を動かすには猫の手も借りなくてはならない。
ボクが部屋に閉じ込められているのと、装置が備え付けられているのは関係がないとは言えない。
透明の装置に近づいてみる。アクリルガラスで隔てられているのか、手のひらを押し付けても徒労に終わった。めげずに装置の蓋を外してみたい。欲望のスイッチがボクの胸の奥でカチッと鳴った。
押してダメ、引いてダメ。じゃあどうしたらいい?みんな教えてくれよ。考えてくれよ。すぐにでも採用してみせるからさ。嘘じゃないよ。約束するよ。叩く?舐める?待つ?数え始めればきりがない方法を順繰りに試していくしかないものか。
軽々しく触ったことが災いして、爆発する可能性だってゼロではないんだ。リスクはもちろん考慮するべきなので、躊躇わないこともない。ボクは思うんだ。遅かれ早かれ壊れてしまうなら、結果が同じならば、危険を侵しても許されるはずだ。
許す?誰がそんな滑稽な権利を所有しているのか分かるかい。権利を主張しているやつらさ。それっぽい理屈を並べて、頭の整理がつかないうちに迫害することが得意なのさ。カリスマ性を備えた男が過去にいた。悪魔とも呼ばれた男だ。
特に仔細な分析を試みたわけではない人でもその名は知っているだろう。どうしてみんな彼に従ったんだ?
恐怖。明日は我が身。殺さないと殺される。迷信。論拠はともかくやるべきことがあるから。同調。保身。破壊衝動。内に秘めた残虐性を露呈することが憚られない世界。正しいことが正しい。生き残るために必要な正義。暗闇。逃避。単なる気紛れに流された時代。風が吹いた方向に旗は靡く。色。形。亀裂は一度意識するといつまでも脳裏に居座って、ひょんなタイミングで顔を出してくれる。あらゆるところに走ったヒビに人が気づけるようになるまでかかる時間が長いこと。
無言で収容された空間に、無数の光が蠢いている。憎悪や悲壮に塗りたくられた眼は闇を切り裂く。息がつまるほどの想いを抱えたまま、やり場のない精神が黄色い雰囲気に蒸発していく。拙い。こんな幼稚な景色ではなかった。黄色がオレンジに見えたり、酸っぱいものが辛かったり、まなじりからは涙ではなく脂がこぼれたかも知れない。肌は焼けつき、喉をかきむしり。隣人の首を噛みきり、足蹴にして突き飛ばす。髪をむしられ慟哭をあげれば、いつの間にか耳が失われている。背中の皮は捲られて骨が剥き出しになっている。口から火花を散らし、腹は破れて胃腸が弾ける。酸化した皮膚が黒ずんで堅くなる。融かされた細胞膜がドロドロに紐解かれていく。
透明な蓋が開いたとき、浮かんだ情景はボクを横切っていった。パンドラの箱なら、今のが災禍であって、底には希望が眠っている。蓋は初めからついていなかった。
窪みがある。丸くへこんでいる。握った拳ほどの直径だ。
はめてくれと言わんばかりだ。
改めてボクは周囲を伺う。静寂の徴に耳鳴りがする。尖った耳に沁みてくる。まぶたをおろして神経を研ぎ澄ませる。
チン、などと金属音。
コインだ。表と裏がある。足でつつく。何も起きない。舐めても味がしない。役に立たなそうなので放っておくことにする。
お金は相手がいてこそ成り立つ。一人ではおままごとにしかならない。おままごとですら一人二役を演じなければ価値がない。白い部屋に孤独のボクにコインは要らない。どこから持ち込まれたのか、これは重要だ。ふいに発生したのだから、空間に歪みがあって、そこを目掛けて投げ込まれたと推測する。逆も成立しそうじゃないか。ボクが時空の歪みにダイブする。するとコインを放った主の元へと遡れる。脱出先はどこでも厭わない。閉塞からの解放は、それだけで充分だ。
また再びコインが現れるタイミングで、ボクが異世界の扉を通過する。できるかどうかではなくて、やらなくてはならない。食べるものがない部屋で息絶えるのはこりごりだ。勘弁してほしい。のたれ死ぬのはまっぴらごめん。
矛盾してる。
さっきは箱を開けるためなら、リスクを度外視して試行錯誤すると宣言したのに、死に場所は選びたいだなんて、どうかしている。ボクはいよいよ頭がおかしくなってきたらしい。平静を保てる方がおかしいとも言える。つまりどちらもおかしいに違いはないのだ。
自分の都合のいいように解釈するのは悪い癖だ。正義を主張しているわりには説得力に欠ける。欠けていることが魅力だとする場合もある。
完璧なんて面白くない。完璧なんて有り得ない。完璧なんて架空の物語だ。
無敵のスーパーヒーローは漫画で死なない。死んでも復活する。事実死んでいないことと同義だ。ヒーローの死を無限遠方に発散させると「生」に収束する。何をどうしても死が確定することはない。紙にインクで描かれた存在は、少年少女の脳味噌に像として刻まれ、語られ、生き続ける。もしも応援していたキャラが死んで二度と出てこなくなったら、自分で続きを描けばいい。それか読み返してストーリーを逆行させればいい。
だんだん死んでるか死んでないかなんてはっきりどうでもいいと思うようになってくる。問題は何を以て死とみなすかだ。
心のなかで生きている。友よ永遠に。盲信は精神を継承していく。ゴルゴダの丘にわだかまる陰鬱な熱気の向こうに裸体が透けている。手のひらや脹ら脛に打ち込まれた釘から滴る鮮血は、炙られれば黒く変色するのだ。心臓から送られる度に傷口から血は吹き出す。飛沫が空を赤く染め、混沌の道が拓かれる。群衆の暗澹たる表情は、どこか恍惚とした猟奇性を孕んでいるようだ。
首を半回転させて頭を垂れる彼は息をしていないのは明らかだ。それでも令和のボクが彼の今後を語るなら、生きているのだ。
ぶしゅぶしゅと迸る体液が鎮まり、穴の空いた瞳に光をたたえて微笑むのだ。
コインをはめてみよう。
裏か、表か、どちらを上にする。
一度きりだ。
裏を選ぶ?
裏はハズレだ。窪みがコインで埋められた瞬間に白い部屋は真空になる。ボクは酸素で生きているから、真空ではとても生きていけない。
仮に真空に耐えられる肉体を持っていても、次は刃の雨が降り注ぐ。すべて運良くかわせたら、毒ガスが噴霧される。間髪いれずに壁が圧縮される。逃げ場などない。
確実に死ぬ。
表を選ぶ?
表は当たりだ。コインをはめればクラシックが流れて美味しいコース料理が現れる。時空の切れ目から、頼めば好きなものが好きなだけ手にはいる。望めば永遠の命だって夢じゃない。
確実に生きていられる。
さあコインをはめるんだけど、読者はボクがどちらの面を上にしているか分かるかい。
そう、その通りさ。いや、やっぱり違うな。
まあやってみれば分かるよね。少し集中したいから、もうこれからは黙っているよ。
「」
(了)




