8 ルーツ・1
夕飯と湯浴みを済ませて、寝巻きに着替えた私は、ルネスト様に言われた『ルーツ』を考えることにした。
昨日釘を刺したからか、ヴェネティスは今日は来ない。ちょうど良かった。
一人でちゃんと考えなければいけないことだ。
いつも悩む時や辛い時は、ベッドに入って考える。
灯りも落として、春の風を少しだけ窓を開けて部屋に入れ、レースのカーテンの方を向いて横になる。
(婚約したのは……12歳。私がドルマン様の家に嫁ぐ事になって、決まった)
初顔合わせの時、なんて綺麗な男の子だろう、と思った。政略結婚、というものはよく分からなかったけど、この子が相手ならよかった、と嬉しかったと思う。
にっこり笑いかけられて、ドルマン様の家に行ったから、庭を案内されて……、私が慣れない靴で歩き回って靴擦れを起こして蹲ったら、とてもオロオロして少し涙ぐんでから、待っててと言ってハンカチを濡らしてきてくれて……少しサイズの大きいドルマン様の靴を履いて、彼は裸足で私の靴を持って、ゆっくりお屋敷に帰ったんだっけ。
優しい人だと思ったし、その後怒られて泣いて居たのも、私の両親がドルマン様の紳士な対応にお礼を言っていたのも、思い出してきた。
「う……?!」
この先のことを思い出そうとすると、酷く頭が痛んだ。一緒にお茶会に出ることが多くなって、それはよかったと思う。
ただ、何か凄く嫌なことがあって、でも、ドルマン様に言えなかった。ドルマン様を責めたくなかったからだ。聞かせたくも無かった。だって、ドルマン様は……。
「優しい、人だから……」
何人かの令息令嬢に囲まれて、とても酷い言葉を投げかけられた。そんな事ない、と言い張ったけれど、みんながみんな、笑って聞く耳を持たなかった。
子供の言葉は鋭くて残酷だ。貴族の令息令嬢なのだから、下手に語彙があってそれもいけなかった。
痛む頭を枕に押し付け、頭まで布団を被って、私は必死にその時の事を思い出そうとした。
けれど、誰一人顔が思い出せない、名前も出てこない、どこのお茶会だったかも分からない。
ドルマン様が席を外した隙に、彼は侯爵令息で私は伯爵令嬢だから、私に向かって、ドルマン様を笑った事だけは……その時の酷く悲しくて、つらくて、でも絶対にドルマン様の耳に入れるものかと、何かあったと悟らせない為に涙を堪えたことを、覚えている。
この時の必死に耐えたドロドロの感情だけが私の中に汚泥のように残ってしまった。
そして、歳月が経って、その汚泥を堪えきれなくなって……、でも、もうその時浴びせられた侮辱的な言葉は思い出せなかったし、今も思い出せない。
(ドルマン様を笑った言葉なんて、思い出せなくてもいい、今後も伝えるつもりはない)
だけど、私は2年もの間、ドルマン様にそっけなくされる覚えもない。
すっかりそこの記憶が抜けているようだ。たぶん、この頭痛の元……あの時大勢に囲まれて嘲笑された記憶と紐付いている、から……?
(ダメだ、頭が痛い……。ルネスト様に、今度相談しよう……、何か、いい方法を、知っているかもしれない……)
思い出そうとするのをやめると、頭痛はすぅっと引いていった。
私は詰めていた息を吐いて、ベッドに仰向けに体を預けると、微かに思い出した嫌な記憶から目を背けるように眠りについた。