4 初日が肝心(夕)
変態です。
「グレース、今日一日私を避けていたのは分かっている。何故だ」
はい? 何故だ、ですか?
「それ、正気で仰ってます?」
「本気だし正気だ」
「ご自分でお考えください」
帰り際、自習を終えて人のいないエントランスでドルマン様に待ち構えられ、私はさすがに会話をしないというやり方はできずに、仕方なしに疲れた声で答えた。
納得していない様子だが、私はその態度こそ納得できない。
足早にこれだけ答えて、ごきげんよう、と自分でも驚くほど温度のない声音で告げてエントランスを出る。
「?! さわらないで!」
その腕を後ろから掴まれて、私は驚いて声を上げ、鞄を振り回して胸を打つようにして振り返ったそこにいたのは、生徒会長のルネスト様だった。
「あ、すみませ……」
「いい……! いいよ、グレース嬢! もっとくれ!」
「……はい?」
ルネスト様のお顔が一瞬、こう、生理的嫌悪感をもよおす物に見えたが、気のせいであれ。正気じゃない男がこれ以上増えても困るだけだ。
「いや、そうじゃない。はい? ではなく、気持ち悪いゴミ虫……、くらいは言ってくれ」
理解が追いつかないまま、眼鏡を中指で直しながら毅然とした態度と落ち着きのある声でこの男性は何を?
段々突拍子のなかった状況が頭に浸透するにつれ、私は演技でもない鳥肌が立ち、心底蔑むような目でルネスト様を見た。
「気持ち悪……」
「いい! あぁ、最高だよ! 何か言い争う声が聴こえて来てみたら、君がなんだか逃げるようにしていたから声をかけたんだが……、ッ女神の思し召しだろうか」
「何の女神ですか、変態の女神ですか、授業で習った中には居ませんでしたが新興宗教にでもハマっていらっしゃるのなら、この私今すぐバケツいっぱいの冷水をぶっかけて差し上げたく存じます」
身悶えるようにして自分の体を抱きしめたルネスト様の顔が完全に、その、歓喜に咽び泣くような感じになっており。
少なくない生徒会長ファンが見たら百年の恋も冷めるだろうけれど、たぶん冷められた分だけ喜んでしまうタイプなのはわかった。
「……何の御用です?」
「いい、いいねぇ、その心底蔑むような声! 視線! ……まぁ私の愉悦はこのくらいにして、どうにも婚約者殿とうまくいっていないようだね?」
ゆえつ。愉悦って言いましたかこの方。気持ち悪っ!
でも後半の言葉は本物のようだ。前半はもっと本気のようだったけれどそれは考えない。考えてはいけない。
蔑めば蔑むほどこの人は喜んでしまう。ので、後半の部分にだけ一応返事をしておく。
「えぇ、まぁ……ドルマン様は私のことは何一つ褒めず、お喋りもなさらず、このまま結婚するのは無理なので……婚約破棄を狙っておりまして」
私が一日気合いを入れて塩対応をした結果、実はもうくたくただ。他人に冷たくするのも、それなりに気を遣う。
「ふぅん……? 今日はもう遅い。明日、放課後生徒会室においで。大丈夫、私は自ら女性に手を出す趣味はな……ではなく、相談に乗るよ」
この上なく信憑性が高くて信頼できるのに、止まらない寒気。なんだかとんでもない方と縁ができてしまった気がする。
しかし、男性がどうしてあんな行動に出るのかを聞くにはいい機会だろう。
私は明日の放課後、生徒会室に向かいます、と告げてやっと帰路についた。
……この、私と生徒会長の茶番ともいえる気持ち悪い会話を、遠目からドルマン様が悔しそうに眺めていたことは、ずっと後に知ったのだけれど。